穂高神社

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2016/9/25(9:19,9:19)
「穂高神社」北側の駐車場と手水舎。
「穂高神社」は、安曇野市穂高にあり、JR東日本大糸線「穂高駅」の東側に「本宮(里宮)」を置くが、
上高地(明神池の入口)に「奥宮」、奥穂高岳山頂(標高3,190m)には「嶺宮」を祀ることから、
「日本アルプスの総鎮守」とも呼ばれている。
毎年9月26、27日に行われる「御船祭」では、長さ12m、高さ6mという大きな船形の
「山車(御船)」を激しくぶつけ合うことで知られ、祭りの前日であったこの日は、「山車(御船)」を
作る様子などを見ることができた。
左の写真をクリックすると「境内案内図」が表示されます。
この案内図は、800x800ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2016/9/25(9:21)
「ステンレス健康長寿道祖神」。
平成25年(2013)、長野が男女共に全国一の
長寿県となったことを記念して制作したという。
高さ約2.5m、幅約1.6mのステンレス製で、
穂高町に生まれ、ステンレス彫刻の創始者
「中嶋大道」の作品である。
写真をクリックすると近づいて撮る「ステンレス
健康長寿道祖神」が表示(450x600)されます。
2016/9/25(9:22)
北側の参道から境内に入る。
写真の建物は「授与所」。
2016/9/25(9:23)
東(正参道)側、境内入口の鳥居。
鳥居は、この背中側の「正参道」にも立つ。
鳥居奥の建物は、「神楽殿」。
鳥居の右に、「神馬舎」。
左には、「手水舎」と神船「穂高丸」がある。
2016/9/25(9:24)
「神馬舎」。
「唐鞍(奈良時代の馬の飾り)を付けた馬としては
全国でも稀に見るもので、馬は木曽馬をモデルに
している」とある。
写真をクリックすると近づいて撮る「御神馬」が
表示(600x450)されます。
2016/9/25(9:24)
神船「穂高丸」。
「平安時代風木造屋形船」。
また、「上高地にある奥社と当神社との神々を
送迎する御船として奉納する」とある。
写真をクリックすると近づいて撮る、
神船「穂高丸」が表示(600x450)されます。
2016/9/25(9:26)
「神楽殿」。
「神楽殿」は、境内中央に位置し、「御船祭」では、
「山車(御船)」が「神楽殿」の周りを曳き廻し、
「拝殿」の前で、「山車(御船)」同士をぶつけ合う。
2016/9/25(9:27)
「拝殿」。
現在の社殿は、平成21年(2009)に行われた、
20年に一度の式年御遷宮祭「大遷宮」により、
造り替えられたものである。
また、「御船祭」で、「山車(御船)」と「山車(御船)」を、
激しく衝突させるのが、この「拝殿」前である。
写真をクリックすると正面から撮る「拝殿」が
表示(600x450)されます。
2016/9/25(9:29,9:32)
制作中の「山車(大人船)」。
境内南側の広場では、翌日からの「御船祭」に備え、穂高区の睦友社により「山車(御船)」の
制作が行われていた。
「山車(御船)」には、「大人船」と「子供船」があり、ぶつけ合う戦闘用の「大人船」は、毎年2艘が組み立てられる。
「山車(御船)」の前方は、「男腹」と呼ばれ、何十枚もの「男の着物」。また、「女腹」と呼ばれる後方には、
「女の着物」が掛けられる。
船の上は、「木偶(でく)」と呼ばれる人形(穂高人形)で、時代絵巻のように飾られ、
太い木で組まれた中心部分には、笛や太鼓、鐘など、お囃子の青年たちが乗る。
そして、祭りのクライマックスでは、船の前後に張り出した「男腹」と「女腹」を、激しくぶつけ合うという。
どちらも、写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2016/9/25(9:29)
制作中の「山車(子供船)」。
「子供船」は、「大人船」より一回り小さく、
各地区で1艘づつ、合計3艘が組み立てられ、
各地区を曳き廻された後、祭りのクライマックスでは、
各船が境内を3周づつ廻る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/25(9:33)
山車を飾る「穂高人形(木偶(でく))」等。
手前に並べられるのは「大人船」を飾る
「穂高人形」であろう。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/25(9:32)
山車を飾る「穂高人形(木偶(でく))」等。
「子供船」を飾る「カニ」や「うす」等も用意されている。
なお、「子供船」に「カニ」や「うす」等が飾り付けられた
様子は、本ページ最後の行で紹介しています。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/25(9:32)
「結びの石神」。
昔は、別々の場所に祀られ、願いが叶うまでと、
何度も訪れお祈りされていた三基の「千度石」に、
1.過去に感謝
2.現在、今に祈願
3.未来、明日に祈願
の祈りを込め、時を超えて幸せへと導く「結びの石神」
として、この場所に再配置したという。
2016/9/25(9:34)
「嶺宮遙拝社」。
この「遙拝社」を拝むことにより、奥穂高岳山頂にある
「嶺宮」をお参りしたことになるという。
ここに祀られる社は、この前年「平成27年(2015)」まで、
奥穂高岳山頂に祀られていた「旧社」だという。
写真をクリックすると近づいて撮る「嶺宮遙拝社」が
表示(600x450)されます。
2016/9/25(9:35)
「神池」。
2016/9/25(9:38)
「孝養杉」。
樹齢500年を越えるが、乾燥した地盤のため
樹齢に比べると小ぶりで、地元では親孝行の
思いが込められた木として、大切にされている。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/25(9:39)
「若宮社」。
「若宮社」の周りには、複数の境内末社が鎮座する。
2016/9/25(9:40)
「欅の木」。
樹齢500年を越える。
昭和45年(1970)、「川端康成」、「東山魁夷」、
「井上靖」の3巨匠が、夫婦揃って参拝した折り、
若葉繁るこの木に絶讃したという。「井上靖」は、
翌年の昭和46年(1971)に「けやきの木」という小説を
執筆。神秘的な表現の中で、「穂高神社の欅」を
著している。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/25(9:42)
境内北側(欅の横)の「神馬舎」。
2016/9/25(9:43)
「阿曇比羅夫之像」。
「阿曇比羅夫(あずみのひらふ)」は、安曇野を
切り開いた、「安曇族」の英雄といわれ、
天智元年(662)、「天智天皇」の命を受け、
5千人の兵と軍船170艘を率いて、百済の王子
「豊璋」を百済に護送、救援し、王位につかせたという。
「御船祭」の行われる9月27日は、「阿曇比羅夫」の
命日である。
2016/9/25(9:44)
「天神様」。
享保7年(1722)、「村山喜兵衛清政」が、
文道の祖「天神さま」を勧請し、
代々祭儀を厳修したとある。
2016/9/25(9:48)
「御船會舘」。
「御船祭」で曳き廻される「山車(御船)」や、
穂高人形の他、「安曇野」に伝わる貴重な品等が
展示されている。
写真をクリックすると「御船會舘」の
案内板(800x500)が表示されます。
2016/9/25(9:49)
「お猿の駕籠屋」。
現在、穂高人形を作る人形師は3名いるという。
その人形師の作であろうか、「御船會舘」の
入口前には、この年(2016)の干支「申」にちなみ、
「お猿の駕籠屋」が飾られていた。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/25(9:50)
「穂高神社」北側の鳥居。
この鳥居から境内に入ったところが駐車場で、
写真右の方向に「穂高駅」がある。
この後、神社の境内を出て、もう一つの「大人船」を
作っているという場所に向かう。
2016/9/25(9:52)
「健壮団」の大人船。
写真は、穂高と等々力の両町区を合せた「健壮団」の
大人船である。
「穂高神社」から北に、道を一本隔てた所で
制作されていたが、まだ準備段階なのか、
上に乗せる「穂高人形(木偶)」等も、全ては揃って
いないようで、作業も非常に少人数(2~3名)で
行われていた。
2016/9/25(10:07)
「泉小太郎と犀龍の像」。
この像は、「穂高神社」の社務所前に立つ。
その昔、周囲の山々から流れる水を、漫々と湛える
湖であった安曇野一帯の水を日本海に流し、
人の住める里に変えたという「日光泉小太郎伝説」に
ちなむ像で、「小太郎」は、母親「犀竜(さいりゅう)」の
背に乗り、巨岩や岩山を突き破りながら、安曇野の
水を日本海に流すための川筋を造ったという。
写真をクリックすると「泉小太郎と犀龍」の部分を
切抜く画像(600x450)が表示されます。
2016/9/25(10:08)
社務所近くに並ぶ「高嶋碑」等。
2016/9/25(10:11)
「大門通り」。
「穂高神社」の正参道である。
写真奥には、「正参道」の鳥居が写る。
写真左には、安曇野市役所「穂高支所」があり、
入口には「大門のケヤキ」が立つ。
この後、周辺の「道祖神」を巡るため時間が飛びます。
写真をクリックすると「大門通り」の案内板(800x500)が
表示されます。
2016/9/25(11:36)
「大門のケヤキ」。
この欅は、安曇野市役所「穂高支所」の入口に立ち、
樹齢500年を越える。
地上4m程で主幹を失うが、その上にも枝が伸びる。
写真は、「道祖神めぐり」から戻って撮影。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/25(11:37)
「正参道」の鳥居。
2016/9/25(11:38)
境内南側の広場に戻る。
「御船」は、大分出来上がってきた。
写真手前に写るのは、「土俵」。
2016/9/25(11:39)
ほぼ完成した「子供船」。
「子供船」には、「木偶(でく)」もセットされ、
船の側面には、幕が飾り付けられている。
写真をクリックすると山車を飾る「木偶(でく)」が
表示(600x450)されます。
2016/9/25(11:39)
「穂高人形(木偶)」をセット中の「大人船」。
写真をクリックすると山車に「木偶(でく)」を
セットする様子が表示(600x450)されます。
2016/9/25(11:42)
「大人船」の腹。
腹は、「ナル」と呼ばれる木の枝で作られ、
何十枚もの着物で飾られるという。
なお、海のない安曇野の祭りに、なぜ「御船」なのか
というと、現在、安曇野に住む人達の先祖となる
「安曇族」は、北九州に栄え、海運を司っていた
「海人族」が、川を遡って内陸部にも海産物等を運び、
活動範囲を全国に広げていく中で、「安曇野」に
住み着くようになった人達であったという。
そして、懐かしい海と先祖のことを想い始まったのが、
「御船祭」なのだという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。

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