秋葉街道

「秋葉街道」は、縄文時代から、遠州(相良)と信州(諏訪)を結ぶ「塩の道」であった。
現在では、国道152号線という、国道の一部区間であるが、途中標高1,000mを越える
4つの峠を通る山岳道路で、別名「酷道152号線」とも呼ばれていた。
2012年現在でも、2ヶ所の不通区間(地蔵峠、青崩峠)では、林道で迂回。
峠の周辺では、冬期閉鎖となる。とはいえ、道路は全面舗装。普通車同士であれば、
すれ違いに困るような場所もほとんどない。
見どころも多く、のんびり走るには大変に楽しい道である。

この日は、朝の8時48分に「諏訪IC」を降り、9時6分「杖突峠」を通過。
「高遠城址公園」に寄り、その後買物、そして「道の駅 南アルプスむら長谷」で昼食。
12時30分に「道の駅 南アルプスむら長谷」をスタート。
本ページでは、この後訪れた「分杭峠」から「兵越峠」までの写真と記録を紹介する。

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2012/4/13(12:51,12:52)
「分杭峠(ぶんぐいとうげ)」。
「分杭峠」は、長野県「伊那市」と下伊那郡「大鹿村」との境界に位置し、標高1,424m。
「秋葉街道」では、一番標高が高い。
右の写真で、「分杭峠」の標識の左に立つのは、「従是北 高遠領」と刻まれた石碑。
また「分杭峠」は、2009年にテレビ・ラジオや雑誌で「ゼロ磁場」が大きく取り上げられた
ことから観光客が急増。このため、峠の近くにあった駐車スペースも閉鎖。
パワースポットを求めてやって来る人たちは、途中(粟沢駐車場)でシャトルバスに
乗り換えなければならない。それから約3年を経過した平日のこの日でも、途中ではシャトルバスを
見かけ、パワースポットの入口と思われる場所では、観光客の車が入り込まないように、
ガードマンが立っていた。

2012/4/13(12:59)
「念力不動尊」。
「分杭峠」から、南にしばらく下ると左側に
ある。
この辺りは、昭和36年の「伊那谷三六水害」を
きっかけに、当時の住民は集団移住。
昭和38年に廃村となった「北川集落」の近く
である。
右の石碑(井上先生頌徳碑)は、この豪雨により
流失。行方が不明となるが、昭和49年、約100m
下流の河中から発見され、北川区出身者の
寄心により、この地に復元建立されたとある。

2012/4/13(13:00)
「北川念力不動明王」。
12時59分の写真奥にある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/4/13(13:01)
「念力不動尊」。
12時59分の写真左側にある。
綺麗に保たれており、「旧北川集落」にゆかりの
ある人たちが、この神社の手入れを続けている
のであろう。
2012/4/13(13:23)
「小渋橋」。
大鹿村民俗資料館「ろくべん館」と「中央構造線
博物館」の近くにある。
「大鹿村」には、関東から九州へ続く大断層
(中央構造線)が通っており、「旧北川集落」に
近い「北川露頭」では、色の違う岩石が出あって
いる崖があり、「中央構造線」を目で見ることが
できるという。
2012/4/13(13:26)
「小渋橋」から見る「赤石岳」。
「小渋橋」横には、「赤石岳」ビューポイントの
案内板もある。
下を流れる川は、「小渋川」。
写真をクリックすると3.5倍ズームで撮影した
「赤石岳」(600x450)が表示されます。
2012/4/13(13:27)
「小渋橋」。
昭和32年(1957)建造。
下路式鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋で、
長さ106m、幅5・5m。
アーチの部分を含め全てが、鉄筋コンクリート
造りというのは、最近見かけなくなったような
気がする。
2012/4/13(13:57)
「大鹿村」(北)側から見る「地蔵峠」。
「地蔵峠」の南側は、国道152号線の未通区間
(点線国道)であり、「蛇洞林道」を迂回する
のだが、同じ幅の舗装道路が続くため、気をつけ
ていないと、迂回には全く気づかずに通り過ぎて
しまう。
2012/4/13(13:58)
「地蔵峠」の標識。
「地蔵峠」は、長野県下伊那郡南部の「大鹿村」
と「飯田市(旧上村)」との境界に位置し、
標高1,314m。
2012/4/13(13:58)
境界地点にある「地蔵菩薩像」の標識。
「地蔵峠」の名前は、この「地蔵菩薩」から
名付けられたという。
道路に入る線は、国道と林道の境界にできた
舗装の繋ぎ目であろう。
2012/4/13(13:58)
「地蔵菩薩像」。
道路から10m程入ったところにある。
2012/4/13(13:59)
「地蔵まで道を届けて虫の声」の句碑。
道路と「地蔵菩薩像」の間にある。
2012/4/13(14:00)
「飯田市(旧上村)」側から見る「地蔵峠」。
写真に写るのは、木製の「冬期閉鎖中」のゲート
である。
この後、14時55分「遠山郷」に到着。
一泊し、翌朝7時15分「遠山郷」を出発。
静岡(浜松)方面へと向かう。
2012/4/14(7:25)
「青崩峠」と「兵越峠」の分岐。
写真右にある標識を見てほしい。ヘアピンカーブ
に入ったところで、右に入る道が「国道152号線」
であるが、道は6km先の「青崩峠」の手前まで
しか作られていない。
静岡(浜松)方面へは、ヘアピンカーブを
道なりに左へと進み「兵越林道」を迂回する。
2012/4/14(7:26)
「青崩峠」と「兵越峠」の分岐地点に建つ標識。
右方向が、国道152号線であるが、先には
大きく「×」と書かれている。
2012/4/14(7:26)
「青崩峠」方向に入ったところには、
国道152号線の標識が立つが、その先に立つ
青い標識には「この先6km通行不能」と書かれて
いる。
2012/4/14(7:46)
「兵越峠」の駐車場。
写真は、駐車場から「兵越峠」の長野県(北)側
を写す。
「兵越峠」の名前は「武田信玄」が西上作戦の
折りに、この峠を越えたことに由来するという。
写真をクリックすると「兵越峠乃由来」の案内板
が表示されます。
案内板が古いため、読みづらいが、木に直接毛筆
で書かれた現代にない趣のある案内板である。
この案内板は、1500x450ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2012/4/14(7:47)
駐車場から東の方向へと続く道。
地図で確認すると、この道は2~3km先で
途切れ、林業の作業で使用する道と思われる。
2012/4/14(7:52)
「兵越峠」。
「兵越峠」は、静岡県浜松市天竜区と長野県
飯田市の境界にある標高1,165mの峠で、
毎年秋、この峠で浜松市と飯田市による「峠の
国盗り綱引き合戦」という綱引きが行われること
で知られ、この勝敗により「遠州」と「信州」の
国境が、毎年1mづつ移動するいう。
写真をクリックすると「国境」の標識(600x450)が
表示されます。
2012/4/14(7:52)
「青崩峠遊歩道」の入口。
この日は知らなかったのだが、この階段を登った
ところに綱引きが行われる「国盗り公園」がある
という。

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