禄剛崎

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2012/11/3(13:50)
道の駅「狼煙」近くの案内板。
「禄剛崎(ろっこうざき)」は、能登半島最先端
の珠洲市狼煙町にある。
地名は、古来より日本海航路の要所として航路を
照らす「狼煙(のろし)」が上げられたことに
由来するという。
写真をクリックすると「案内図」の「禄剛崎」
部分が拡大表示(600x450)されます。

2012/11/3(13:53)
「案内図」では、「禄剛崎灯台」に向かう道が
3本あるが、この中の右(東)側の道を歩く。

2012/11/3(13:54)
階段を登る。
標識には、「禄剛崎灯台 0.3km」とある。
ちなみに「狼煙駐車場 0.1km」とあるので、
道の駅「狼煙」から「禄剛崎灯台」までは、
0.4kmである。

2012/11/3(13:55)
階段を登ったところで見る「狼煙漁港」。
「狼煙漁港」の奥に写る岬は「金剛崎」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/11/3(13:57)
「禄剛埼灯台」近くの遊歩道。
2012/11/3(13:59)
「禄剛埼灯台」が見えている。
2012/11/3(14:00)
「禄剛埼灯台」入口の案内板。
写真をクリックすると「案内板」が
拡大表示(600x450)されます。
2012/11/3(14:00)
「禄剛埼灯台」入口門を入った所にある案内板。
案内板には「日本で唯一『菊の御紋章』がある
灯台」とある。
写真をクリックすると「案内板」が
拡大表示(600x600)されます。
2012/11/3(14:01)
「禄剛埼灯台」。
明治16年(1883)初点灯。
昭和38年(1963)までは職員が常駐していたが、
以降は無人化されており、この日は灯台記念日
(11月1日)の記念行事として、一般公開
されていた。
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2012/11/3(14:01)
「菊の御紋章」。
明治の13年頃までの洋式灯台は、全て外国人
技術者の手によって建設されているが、
この「禄剛埼灯台」は、設計こそフランス人技師
だが、建設は日本人の手で行われたという。
このため、他の灯台にはない「菊の御紋章」が
付けられたという。
なお、「菊の御紋章」は、真鍮記念額に初点灯
年月日が刻まれているという。
写真をクリックすると「菊の御紋章」が、
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2012/11/3(14:05)
海側から見る「禄剛埼灯台」。
建物は低く見えるが「建設当時の明治の面影を
残す」といわれ、崖の上に建つため、水面からの
灯火高は、約48mあり、到達距離は、18海里
(約33km)とある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/11/3(14:08)
「展望広場」のモニュメント。
詳細は不明だが、モニュメントには、
「ロータリークラブ」と刻まれている。
2012/11/3(14:09)
各地への方向と距離が書かれた標識。
東京、302km。
上海、1598km。
釜山、783km。
ウラジオストック、772kmとある。
2012/11/3(14:09)
山口誓子の句碑と「禄剛埼灯台」。
句碑には「ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり」
とある。
石碑の他の面には、「禄剛埼灯台」の説明、
「禄剛崎」の簡略地図等が刻まれている。
2012/11/3(14:11)
「能登半島最北端」の標柱と「禄剛埼灯台」。
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2012/11/3(14:11)
「禄剛崎」の案内板。
「禄剛崎」では、「海から昇る朝日」と
「海に沈む夕日」が同じ場所から眺めることが
できるとある。
なお、灯台の建物に貼られていた「禄剛埼灯台
縁起」という説明書には、「傭外人フランス人
技師ウェルニーの設計図を基に日本人の手により
建設」とあったが、この案内板では「イギリス人
技師が設計した」と書かれる。
写真をクリックすると「案内板」が
拡大表示(600x450)されます。
2012/11/3(14:12)
「禄剛埼灯台点灯百周年祈念碑」。
2012/11/3(14:14)
帰りに振り返る「禄剛埼灯台」。
「禄剛崎」は、周囲の沿岸の「千畳敷」と
呼ばれる海食台地の景観でも知られる。
今回は、気づかずに次の目的地に向かったため、
紹介できないが、「禄剛崎」を訪れる際には、
是非素晴らしい「千畳敷」の景色も
ご覧になって頂きたい。

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