妙成寺

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2012/11/2(15:15)
「妙成寺」総門。
「妙成寺(みょうじょうじ)」は、石川県羽咋市
にあり、山号は「金栄山」。
北陸地方における日蓮宗の本山である。
写真の「総門」は、寛永5年(1665)に建立され、
間口(幅)約4.4m、棟高約5.9m。

2012/11/2(15:20)
「妙成寺」受付。
境内には、加賀前田家初代から五代に亘って
造営されたという、国の重要文化財10棟が
ある。
写真をクリックすると「境内案内図」が
表示されます。
この案内図は、800x800ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。

2012/11/2(15:22)
「浄行堂」。

2012/11/2(15:23)
「浄行堂」の屋根の下。
水が「垢」や「穢れ」を清めるように、
「浄行菩薩」に水を注ぎ「たわし」で擦って、
願をかけると、身の病も心の悩みも除かれると
いわれ、「菩薩像」の前には「水場」があり、
「柄杓」が置かれている。
2012/11/2(15:23)
「浄行堂」の屋根裏。
2012/11/2(15:25)
「さざれ石」。
この石は、「国歌発祥の地、岐阜県揖斐郡
春日村の山中にあった」とある。
2012/11/2(15:26)
「二王門」。
寛永2年(1625)建立。
「佐々木志津磨」の揮亳(執筆)といわれる
「金栄山」の山号額が掲げられている。
2012/11/2(15:27)
「二王像」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/11/2(15:30)
「開山堂」。
延宝5年(1677)建立。
「妙成寺」歴代貫首の供養笠塔婆(中世造立の
石造塔婆7基)が安置される。
2012/11/2(15:33)
「経堂」の中。
堂内には「天海版一切教」及び北陸地方最古の
「法華経版木(応永22年)」が納められている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2012/11/2(15:34)
「経堂」。
寛文10年(1670)、4代藩主「前田光高」の
遺願によって建立される。
2012/11/2(15:35)
「五重塔」。
元和3年(1618)建立。
総高34.18m。心柱の直径1m。
屋根は、栩葺(とちぶき)で、五重塔としては
唯一という。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/11/2(15:38)
「大槻伝蔵」の墓。
「大槻伝蔵」は、三大お家騒動の一つ
「加賀騒動」の中心となった人物である。
2012/11/2(15:40)
「浩妙院」の墓。
「浩妙院」は、三代藩主「前田利常公」の娘。
2012/11/2(15:40)
「寿福院」の墓。
「寿福院」は、三代藩主「前田利常公」の生母。
「加賀騒動」については、別途調べていただきたいが、概略は以下のようである。
家老前田直躬らの保守派と、財政改革を断行した大槻伝蔵らの革新派との対立に家督問題が複雑に絡むが、
最後には、主家横領を企てたとして大槻伝蔵は配所で自殺。大槻派関係者すべてが処刑される。
小説や歌舞伎、講談などでは、大槻伝蔵が悪人中の悪人、前田直躬は加賀藩を救った英雄ということになっているが、
冤罪であった可能性も否定はできず、真相は闇の中だという。
2012/11/2(15:41)
正面に「丈六堂(釈迦堂)」。
2012/11/2(15:42)
「丈六堂(釈迦堂)」。
貞享3年(1686)建立。
「釈迦牟尼仏」を奉安する。
2012/11/2(15:44)
「釈迦牟尼仏」。
高さ、一丈六尺(5m)。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2012/11/2(15:50)
「番神堂」。
慶長19年(1614)建立。
日本の国神三十体(三十番神)を祭祠する。
2012/11/2(15:51)
「三十番神堂」拝殿。
慶長19年(1614)、本殿と共に建立される。
2012/11/2(15:52)
「三十番神堂」拝殿。
奥に「本殿(番神堂)」が見える。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2012/11/2(15:53)
「三光堂」。
元和9年(1623)建立。
日天・月天・明星天の3光天を安置する。
2012/11/2(15:54)
「本堂」。
慶長19年(1614)加賀藩第3代「前田利常公」の
帰依により建立される。
本尊は「一塔両尊」、「四天王四菩薩」等。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2012/11/2(15:55)
「祖師堂」。
寛永元年(1624)建立。
宗祖「日蓮大菩薩」の尊像を安置する。
2012/11/2(15:56)
「祖師堂」と「鐘楼」を結ぶ渡り廊下。
2012/11/2(15:58)
「鐘楼」。
寛永2年(1625)建立。
2012/11/2(15:58)
「本堂」前の庭園。
「祖師堂」と「鐘楼」を結ぶ渡り廊下沿いに
ある。(下のパノラマ写真を参照)
2012/11/2(16:00)
「本堂」前広場。
写真左から「本堂」、「祖師堂」。間に渡り廊下を経て、右に「鐘楼」。
「鐘楼」の右に、建物の左半分が見えているのは「二王門」。
2012/11/2(16:03)
「鐘楼」と「二王門」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2012/11/2(16:03)
「鐘楼」横から「客殿」へと下る渡り廊下。
2012/11/2(16:04)
「庭園」入口。
渡り廊下を下りると、正面が「客殿」で、
左を向くと「庭園」の入口がある。
2012/11/2(16:07)
「客殿(左)」と庭園。
2012/11/2(16:05)
「書院」の前から見る「五重塔」。
「妙成寺」で頂くパンフレットの表紙には、
「書院」の中から見る「五重塔」の写真が
使われている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/11/2(16:11)
庭園と「書院」。
「書院」と「客殿」は、渡り廊下で結ばれる。
2012/11/2(16:12)
「客殿」。
庭園を出て、「客殿」の表(玄関)側である。
元和2年(1616)建立。
なお、昭和5年刊「妙成寺の琹」には、
寛永2年建立と書かれるという。
2012/11/2(16:14)
西欧中世の「日時計(スペイン製)」。
2012/11/2(16:15)
「客殿」横の庭園。
西欧中世の「日時計」は、この中に置かれて
いる。
2012/11/2(16:15)
「庫裏」。
文禄2年(1593)建立。
「妙成寺」で一番古い建造物である。
2012/11/2(16:13)
「仁王門」と「客殿」。
写真中央付近に「仁王門」。右に「客殿」。
この写真は、帰り間際に撮影しているが、受付から中に入ると、先ず目に入るのが、この景色である。
能登随一の大伽藍というだけのことはあり、見るものの多い寺であった。

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