立石寺(山寺)

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2011/5/8(9:24)
「立石寺(山寺)」登山口。
「立石寺(山寺)」は、天台宗のお山で、
正しくは「宝珠山立石寺」。「比叡山延暦寺」の
分院である。
貞観2年(860)「清和天皇」の勅願により、
「慈覚大師」が開いたといわれ、
古来より「悪縁切寺」として信仰を集める。
登山口から、一番上の「奥之院」までの石段は、
1,015段、往復の所要時間は、
概ね1時間30分である。

2011/5/8(9:26)
「根本中堂(国指定重要文化財)」。
「宝珠山立石寺」の本堂である。
ブナ材の建築物では、日本最古といわれ、
堂内には、比叡山から分火され、千年以上の
昔から絶やさず灯され続ける不滅の法燈がある。

2011/5/8(9:26)
「山寺立石寺と根本中堂」の案内板。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
なお、この拡大写真は、大きさが1280x635ピク
セルあります。
案内板の文字を読みたいときには、ウインドの
サイズを大きくし、スクロールバーをご利用
下さい。

2011/5/8(9:27)
「招福布袋尊」。
「根本中堂」入口では、「招福布袋尊」が
出迎えてくれ、この「布袋尊」の身体を
撫でながら願い事をすると願いが叶うという。
写真をクリックすると、「招福布袋尊」の
拡大写真が表示されます。
2011/5/8(9:28)
「橋殿」。
説明板には、古来 天皇・宮人のみが渡る石橋と
伝えられている。「石地蔵尊」の頭をなでると、
長命できるとある。
2011/5/8(9:29)
「清和天皇御宝塔」。
山寺を勅願寺とした「清和天皇」の供養塔で
あり、山寺の中では最も古い石塔とある。
2011/5/8(9:30)
「山寺の大イチョウ」。
山形市で一番太いといわれる天然記念物。
「慈覚大師」のお手植えと伝えられ、
樹齢は、1,000年を超えるという。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/5/8(9:31)
「日枝神社」。
「慈覚大師」が山寺を開山した時に「鎮守社」と
して、釈迦・薬師、阿弥陀三尊を祀ったのが
始まりといわれる。
5月17日の例祭日には、ここで「山寺山王祭」
が行われる。
2011/5/8(9:31)
「亀の甲石」。
この石は、古来より「延命長寿」の霊験ありと
伝えられ、小銭に自分の名前を書いて甲羅の上に
投げると、願いがかなうといわれる。
また、この小銭は、毎日夕方集めて奉献の上、
祈祷してくれるという。
写真をクリックすると、「亀の甲石」の拡大写真
が表示されます。
2011/5/8(9:32)
「御神輿殿」。
例祭日(5月17日)に使用される「御神輿」が
納められている。
この「御神輿」は、1,320年に造られた社宝の
「玉御輿」と、1,615年に造られた「鳳凰御輿」
2基の計3基があるが、昭和55年、文化財保護
のため3基共に複製が造られ、現在は計6基が
納められているという。
左の石塔には、「こけし塚」と刻まれている。
2011/5/8(9:33)
「念佛堂」。
坐禅や写経を行う立石寺の修行道場。
参詣者も自由に修業ができるように準備されて
いるという。
2011/5/8(9:34)
「鐘楼」。
除夜の招福の鐘で、元旦にかけては、数千人の
参拝者がこの鐘をつくという。
2011/5/8(9:35)
「山門」。
鎌倉時代の建立といわれる。
この先、本格的な階段登りとなり、ここから
「奥之院」までの石段は800段を超える。
2011/5/8(9:37)
緩やかな傾斜の石畳を、ゆっくりと歩く。
2011/5/8(9:39)
「姥堂」。
ここから下は「地獄」。ここから上が「極楽」
という「浄土口」で、そばの岩清水で心身を
清め、新しい着物に着替えて「極楽」に登り、
古い衣服は堂内の「奪衣婆」に奉納するという。
2011/5/8(9:39)
「奪衣婆」の石像。
「姥堂」の本尊である。
一見すると怖そうに見えるが、よく見ると
ユーモラスな感じにも見える。
2011/5/8(9:41)
「四寸道」。
お山の自然に沿って造られた参道は、一番狭い
ところで、約14cmしかないという。
また、この参道は、先祖も子孫も登ることから、
「親子道」とか「子孫道」ともいわれるという。
2011/5/8(9:42)
「百丈岩」。
「四寸道」を歩くと、左上に見える。
この崖の上に「五大堂」「開山堂」が建つ。
2011/5/8(9:43)
「閑かさ」漂う参道を登る。
2011/5/8(9:44)
参道脇に掘られた「磨崖仏」。
右に「磨崖仏 平安初期」と書かれ、平安初期に
彫られたのであろう。
左には「伝・安然和尚像」と書かれている。
2011/5/8(9:46)
「せみ塚」。
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」芭蕉の句を
したためた短冊を、この地に埋めて石の塚を
建てたという。
2011/5/8(9:47)
石段が続くが、なんとも気持ちのよい雰囲気だ。
2011/5/8(9:50)
「弥陀洞」。
長い歳月の雨風が岩を削り、「阿弥陀如来」の
姿を創りだしたという。
この岩が「仏」の姿に見ることができる人には、
幸福が訪れるという。
2011/5/8(9:52)
「仁王門」。
嘉永元年(1848)に再建された、けやき材の門。
写真をクリックすると、正面から見る「仁王門」
の拡大写真が表示されます。
2011/5/8(9:54)
門の左右の「仁王尊像」は、「運慶」の弟子達の
作といわれ、邪心を持つ人が、この門より奥に
入らぬように見張っているのだという。
2011/5/8(9:56)
「山内支院」。
案内板には「江戸時代までは、12の塔中支院が
あり、現在は、性相院/金乗院/中性院/華蔵院
の4つの院がその面影を残す」とある。
写真は「性相院」。
2011/5/8(9:58)
「胎内くぐり」と「胎内堂」。
危険な岩場を通って、お釈迦様の身元に至ると
いわれる修行場で、谷に架かる梯子を伝い頭上に
せり出した岩穴を潜り「胎内堂」へ。更に上の
「釈迦堂」へと続き、出世や欲望のため岩場から
転落死した修行者も多かったという。
今では、修行者以外の登山は禁じられている。
2011/5/8(10:01)
「大正天皇東宮時山寺行啓行在所」。
明治41年、当時東宮(皇太子)であった
大正天皇が、山寺に行啓(参詣)された時に
休憩された建物とある。
2011/5/8(10:02)
「最上義光公御霊屋」。
説明版等がなく、詳細は不明であるが、「最上
義光公」は、出羽山形藩初代藩主で、伊達政宗の
伯父にあたり、「根本中堂」の大修理を行ったと
いう。
2011/5/8(10:03)
「中性院」。
お堂の入口には、なでぼとけ「おびんずるさま」
が置かれている。
2011/5/8(10:04)
なでぼとけ「おびんずるさま」。
長壽を授ける佛さまで、像を撫でると病気が
治り、病気にかからないとして、多くの人々から
信仰されているとある。
2011/5/8(10:05)
「奥之院」と「大仏殿」。
石段上、右の建物が「奥之院」、左の建物が
「大仏殿」である。
2011/5/8(10:07)
「奥之院(如法堂)」。
「慈覚大師」が、中国で修行中に持ち歩いた
「釈迦如来」と「多宝如来」を本尊とする。
2011/5/8(10:07)
「奥之院(如法堂)」右にある鐘楼。
2011/5/8(10:07)
「大仏殿」。
中には、金色の「阿弥陀如来像」が安置されて
いる。
2011/5/8(10:08)
「阿弥陀如来像」。
像高5m。毎日、ここで「卒塔婆供養」が
行われているという。
2011/5/8(10:11)
「三重小塔」。
この岩窟の中に、高さ2.48mの「三重小塔」
が収まっている。
「三重小塔」は、永正16年(1519)に建立され、
国の重要文化財に指定されている。
写真をクリックすると、少し近い距離で撮影した
「三重小塔」が表示されます。
2011/5/8(10:16)
「開山堂」。
「慈覚大師」の木造の尊像が安置され、朝夕、
食飯と香が供えられる。
左の小さなお堂は、写経を納める「納経堂」で、
山内で、最も古い建物だという。
2011/5/8(10:18)
「五大堂」。
「五大明王」を祀り、天下太平を祈る道場だが、
山寺随一の展望台として知られる。
2011/5/8(10:19)
「五大堂」から見る南東方向の景色。
写真ほぼ中央に「山寺芭蕉記念館」がある。
2011/5/8(10:20)
「五大堂」から見る南方向の景色。
写真ほぼ中央に、JR仙山線「山寺」の駅が
ある。
2011/5/8(10:34)
「芭蕉像」。
少し離れて右にあるのは、芭蕉に随行した
弟子の「河合曽良」。

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