松ヶ岬公園
(米沢城本丸跡)

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2018/4/9(14:42,14:42)
「松が岬おまつり広場駐車場」と北参道入口。
「松が峰(まつがさき)公園」は、JR奥羽本線「米沢駅」から西約2kmにある
「米沢城本丸跡」を整備して作られた公園で、濠を囲む約200本の桜の中には、
樹齢100年を越える古木も多く、濠の水面に映える桜の美しい公園として知られる。
また、米沢城(別名:舞鶴城)は、米沢藩主「上杉家」の居城であったことから、
公園内には、上杉謙信を祀る「上杉神社」が建ち、桜の開花シーズンには、
春の「上杉まつり」が開催され、まつりで再現される「上杉行列」や「川中島合戦」には、
大勢の観光客が訪れる。
この日は、公園の北東側にある「松が岬おまつり広場駐車場」を利用。
「北参道」から、濠で囲まれた「米沢城本丸跡」に入る。
左の写真をクリックすると「松が岬公園案内図」が表示されます。
この画像は、1,200x960ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
右の写真をクリックすると「米沢城」の案内板が表示されます。
この画像は、800x900ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2018/4/9(14:44)
「福徳稲荷神社」の鳥居を潜り境内に入る。
摂社「福徳稲荷神社」は、「上杉神社」の
北側奥に建つ。
鳥居の扁額には、「福徳稲荷大明神」とある。
2018/4/9(14:45)
境内北側の池。
池の中央には、「鯉供養之碑」が立つ。
写真をクリックすると「鯉供養之碑」を
切抜く画像(600x450)が表示されます。
2018/4/9(14:45)
「稽照殿」。
「上杉神社」の祭神「上杉謙信公」の遺品等、
上杉家伝来の宝物を、多数収蔵・展示する
「宝物殿(有料)」である。
写真をクリックすると「宝物殿のご案内」が
表示(550x600)されます。
2018/4/9(14:46)
境内に咲く「あせび」。
写真をクリックすると「あせび」の花を
切抜く画像(450x600)が表示されます。
2018/4/9(14:47)
「上杉神社」の神門。
「上杉神社」の社殿は、「神門」から左右に続く
「瑞垣」で囲まれる。
2018/4/9(14:47,14:48)
「上杉神社」の社殿と近づいて撮る拝殿。
「上杉神社」では、明治の一時期、「上杉鷹山」を合祀するが、後に「上杉鷹山」は、
摂社「松岬神社」に遷座。現在は、「上杉謙信公」のみが祀られる。
左の写真をクリックすると「上杉神社御由緒」が表示(690x600)されます。
2018/4/9(14:49)
境内南側の池。
境内の一部には、雪が残る。
注:この池は、説明の都合上、南と北に分けたが、
実際には、一つに繋がる池である。
2018/4/9(14:49)
「春日神社」に向かう。
摂社「春日神社」は、「上杉神社」の
南側奥に建つ。
写真に写る白い建物は、「祭器庫」。
写真の標識には、「上杉家祖神 春日神社」とある。
2018/4/9(14:50)
写真奥に「春日神社」。
案内板には、「戦国時代の上杉家は、
代々春日社を守り神として敬い続けた」とある。
写真をクリックすると近づいて撮る
「春日神社」の写真(600x450)が表示されます。
2018/4/9(14:54)
「臨泉閣」。
建物の中には、観光案内所がある。
2018/4/9(15:00)
「臨泉閣」前の藤棚。
2018/4/9(15:00)
「天地人像(主従之像)」。
「上杉景勝公」と「直江兼続公」の二人の
主従が、新しいまちづくりについて語り合う
姿を表現したとある。
写真をクリックすると「天地人」の
案内板(960x650)が表示されます。
2018/4/9(15:02)
「上杉謙信公祠堂(御堂)跡」に向かう。
2018/4/9(15:02)
「招魂碑」。
「上杉謙信祠堂(御堂)」の跡地に建つ。
「戊辰・西南戦争」で戦死した将兵を慰霊する
ために建てられたが、後に、「日新・日露戦争」の
戦死者の霊も合祀されている。
写真をクリックすると「招魂碑」の
案内板(800x550)が表示されます。
2018/4/9(15:03)
「上杉謙信祠堂(御堂)跡」。
江戸時代には、この地に「上杉謙信」の遺骸を
安置した御堂が建っていたが、現在、
「上杉謙信」の遺骸は、西に1.2km程離れた
「御廟所(上杉家墓所)」に移されている。
写真をクリックすると「上杉謙信祠堂(御堂)跡」
の案内板(800x550)が表示されます。
2018/4/9(15:04)
「そめいよしの」の古木。
この年の開花は、4月7日であったという。
開花から2日経過していたが、未だ「蕾」が多く、
「咲き始め」であった。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2018/4/9(15:04)
「そめいよしの」の古木と
「上杉謙信祠堂(御堂)跡」。
2018/4/9(15:06)
「野口雨情」の歌碑。
「あづま山から 兎がはねて ぴょんとここまで
 こえばよい」と刻まれる。
2018/4/9(15:07)
「上杉謙信公之像」。
昭和49年(1974)に建立された等身大のブロンズ像。
右手に采配を持ち、「春日山城」の方角を見つめる。
写真をクリックすると「上杉謙信公之像」を
切抜く画像(450x600)が表示されます。
2018/4/9(15:08)
写真奥に、「上杉曦山公之碑」。
「曦山(ぎざん)」は、天保10年(1839)に、
20歳の若さで第12代米沢藩主になったという
「上杉斉憲」の号。
石碑は、明治24年(1891)に建立され、題字は、
陸軍大将「有栖川宮熾仁親王」の揮毫だという。
写真をクリックすると「上杉曦山公之碑」が
表示(450x600)されます。
2018/4/9(15:10)
「北参道」から「米沢城本丸跡」を出る。
この濠には、「蓮」の花が群生。
夏には、見事な花を咲かせるという。

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