瑞巌寺

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2010/7/4(12:48)
「瑞巌寺」参道入口。
参道への入口は、「国道45号線」沿いにある。
瑞巌寺(正式名:松島青龍山瑞巌円福禅寺)は、
日本三景の松島にある臨済宗妙心寺派の寺院で、
天長5年(828)、慈覚大師円仁によって開創
された奥州随一の禅寺で、伊達政宗公の菩提寺で
ある。

2010/7/4(12:49)
総門(宮城県文化財指定)。
慶長14年(1609)、伊達政宗によって建立。
扁額には、「天嶺性空」最晩年の筆で、「桑海禅
林」と書かれ、意味は「扶桑と呼ばれる日本の、
海辺近くに建つ禅の寺(林)」とのこと。

2010/7/4(12:50)
「本堂ほか7棟建造物保存修理事業」の案内。
「総門」の案内板には、「平成の大修理期間中
(平成21年9月~平成28年3月頃まで)は、
本堂、中門、御成門などの拝観はできません」
とあり、修理期間中は、「庫裡(国宝)」、
「大書院」と「陽徳院御霊屋(寶華殿)」が、
特別公開されている。

2010/7/4(12:51)
「鰻塚」。
「総門」を入り、右の方向にある。
大正12年8月建立。高さ2.85m、
幅1.57m。松島では天然鰻がたくさん獲れた
ことから、鰻の蒲焼店や卸問屋等関係者の寄付に
より、鰻供養のために建てられる。
2010/7/4(12:52,12:53)
「瑞巌寺洞窟群」。
松島は、古来「浄土往生」を祈念する神聖な霊場で、これら洞窟群は、納骨や供養のために、
鎌倉時代から江戸時代にかけて掘られたという。
洞窟の中や周囲には、五輪塔や笠付塔婆などの墓標が安置されたり、壁面に彫りつけられており、
静寂かつ厳粛な雰囲気が漂う。
2010/7/4(12:54)
参道の周りには、鬱蒼たる杉並木が続く。
2010/7/4(12:57)
「鉄道殉職者忠魂碑」。
霊の集まる場所として有名な松島ということで、
この地に碑を建立したそうである。
2010/7/4(12:58)
「境内入口」。
拝観料の支払いは、自動券売機である。
2010/7/4(12:58)
「青龍山灯篭(左)」と「延命地蔵(右)」。
「境内入口」の左側にある。
「青龍山灯篭」は、8代目伊達成村が亡くなった
ときに、彼の奥さんが建てたといわれる。
「延命地蔵」は、文久3年(1869)鋳造。
延命のいわれは、「飢饉時の幼児保護などに
勤めた当山117世中方明哉和尚の業績や長命に
あやかったと伝えられている」とある。
2010/7/4(13:02)
「境内入口」を入ると、修理中の本堂が工事用の
柵とネットで囲まれていた。
「瑞巌寺本堂」は、書院造り入母屋造本瓦葺で、
延べ数百人が、4年の歳月をかけ、慶長14年
(1609)に完成したという。正面39.0m、
奥行き25.2mで、国宝に指定されている。
2010/7/4(13:03)
「庫裡(国宝)」。
禅宗寺院の台所で、切妻造りの本瓦葺き。
正面13.78m、奥行き23.64m。
他にない巨大さとある。
大屋根の上に乗っているのは「煙出し」。
この「煙出し」は、外敵を見張る塔としても
使われたという。
2010/7/4(13:04)
「登竜門」。
「瑞巌寺」本堂に至る門は、
天皇と殿様のための「御成門」。
上級武士のための「中門」。
そして、僧侶が使った、この「登竜門」とある
が、僧侶は「庫裡から出入りしていた」との
説もあり、使われ方については諸説あるようだ。
2010/7/4(13:06)
「庫裡(国宝)」を正面から見る。
特別公開で、中に入ることはできたが、
中は、撮影禁止のため、写真を紹介することが
できない。
また、「大書院」も特別公開されており、本来は
本堂に安置されている「御本尊」等は、平成の
大修理期間中「大書院」の中で公開されている。
2010/7/4(13:26)
岩をくり抜いて作られた「倉庫」?。
「庫裡」の隣にある。
写真の右方には、「危険物貯蔵取扱所」の標識が
あったので、「洞窟」を「倉庫」として再利用
しているものと思われる。
2010/7/4(13:26)
「青銅門扉」。
ここを抜け、もう一つの特別公開の「陽徳院
御霊屋(寶華殿)」に向かう。
2010/7/4(13:32)
この石段を登ったところに「陽徳院御霊屋
(寶華殿)」があるが、撮影禁止であった。
「陽徳院御霊屋(寶華殿)」は、伊達政宗公の
正室陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の
墓堂であり、万治3年(1660)孫の綱宗に
よって造営され、平成18年から3年をかけ
復元されている。
2010/7/4(13:33)
帰りに見る「青銅門扉」。
13時26分の写真を反対側から撮影。
2010/7/4(13:39)
瑞巌寺宝物館(青龍殿)。
中は、「フィルム・レプリカ」「常設」「木像」
「出土品」「特別展示」の5つのコーナーに
分かれ、「本堂障壁画211面」、「歴代藩主
画像」等が展示されている。
2010/7/4(13:50)
「法身窟」。
鎌倉時代の半ば、ここで法身禅師が修行し、諸国
行脚中の「北条時頼」と出会った場所と伝えられ
ている。左右の石碑には「観音像」が刻まれ、
左は寛政12年(1800)建立の「鎮海観音」
、右が文政6年(1823)建立の「楊柳観音」
である。洞窟の中には、「北条時頼の供養碑」、
「三陸大海嘯犠牲者の供養碑」等、「玉石混淆」
で、いろいろな人が祀られている。
2010/7/4(13:53)
「瑞巌寺参道」。
明治維新前には参道の両側に、片側6軒ずつの
「塔頭(子院)」が並んでいたという。

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