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2010/7/4(12:51) 「鰻塚」。 「総門」を入り、右の方向にある。 大正12年8月建立。高さ2.85m、 幅1.57m。松島では天然鰻がたくさん獲れた ことから、鰻の蒲焼店や卸問屋等関係者の寄付に より、鰻供養のために建てられる。 |
2010/7/4(12:52,12:53) 「瑞巌寺洞窟群」。 松島は、古来「浄土往生」を祈念する神聖な霊場で、これら洞窟群は、納骨や供養のために、 鎌倉時代から江戸時代にかけて掘られたという。 洞窟の中や周囲には、五輪塔や笠付塔婆などの墓標が安置されたり、壁面に彫りつけられており、 静寂かつ厳粛な雰囲気が漂う。 |
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2010/7/4(12:54) 参道の周りには、鬱蒼たる杉並木が続く。 |
2010/7/4(12:57) 「鉄道殉職者忠魂碑」。 霊の集まる場所として有名な松島ということで、 この地に碑を建立したそうである。 |
2010/7/4(12:58) 「境内入口」。 拝観料の支払いは、自動券売機である。 |
2010/7/4(12:58) 「青龍山灯篭(左)」と「延命地蔵(右)」。 「境内入口」の左側にある。 「青龍山灯篭」は、8代目伊達成村が亡くなった ときに、彼の奥さんが建てたといわれる。 「延命地蔵」は、文久3年(1869)鋳造。 延命のいわれは、「飢饉時の幼児保護などに 勤めた当山117世中方明哉和尚の業績や長命に あやかったと伝えられている」とある。 |
2010/7/4(13:02) 「境内入口」を入ると、修理中の本堂が工事用の 柵とネットで囲まれていた。 「瑞巌寺本堂」は、書院造り入母屋造本瓦葺で、 延べ数百人が、4年の歳月をかけ、慶長14年 (1609)に完成したという。正面39.0m、 奥行き25.2mで、国宝に指定されている。 |
2010/7/4(13:03) 「庫裡(国宝)」。 禅宗寺院の台所で、切妻造りの本瓦葺き。 正面13.78m、奥行き23.64m。 他にない巨大さとある。 大屋根の上に乗っているのは「煙出し」。 この「煙出し」は、外敵を見張る塔としても 使われたという。 |
2010/7/4(13:04) 「登竜門」。 「瑞巌寺」本堂に至る門は、 天皇と殿様のための「御成門」。 上級武士のための「中門」。 そして、僧侶が使った、この「登竜門」とある が、僧侶は「庫裡から出入りしていた」との 説もあり、使われ方については諸説あるようだ。 |
2010/7/4(13:06) 「庫裡(国宝)」を正面から見る。 特別公開で、中に入ることはできたが、 中は、撮影禁止のため、写真を紹介することが できない。 また、「大書院」も特別公開されており、本来は 本堂に安置されている「御本尊」等は、平成の 大修理期間中「大書院」の中で公開されている。 |
2010/7/4(13:26) 岩をくり抜いて作られた「倉庫」?。 「庫裡」の隣にある。 写真の右方には、「危険物貯蔵取扱所」の標識が あったので、「洞窟」を「倉庫」として再利用 しているものと思われる。 |
2010/7/4(13:26) 「青銅門扉」。 ここを抜け、もう一つの特別公開の「陽徳院 御霊屋(寶華殿)」に向かう。 |
2010/7/4(13:32) この石段を登ったところに「陽徳院御霊屋 (寶華殿)」があるが、撮影禁止であった。 「陽徳院御霊屋(寶華殿)」は、伊達政宗公の 正室陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の 墓堂であり、万治3年(1660)孫の綱宗に よって造営され、平成18年から3年をかけ 復元されている。 |
2010/7/4(13:33) 帰りに見る「青銅門扉」。 13時26分の写真を反対側から撮影。 |
2010/7/4(13:39) 瑞巌寺宝物館(青龍殿)。 中は、「フィルム・レプリカ」「常設」「木像」 「出土品」「特別展示」の5つのコーナーに 分かれ、「本堂障壁画211面」、「歴代藩主 画像」等が展示されている。 |
2010/7/4(13:50) 「法身窟」。 鎌倉時代の半ば、ここで法身禅師が修行し、諸国 行脚中の「北条時頼」と出会った場所と伝えられ ている。左右の石碑には「観音像」が刻まれ、 左は寛政12年(1800)建立の「鎮海観音」 、右が文政6年(1823)建立の「楊柳観音」 である。洞窟の中には、「北条時頼の供養碑」、 「三陸大海嘯犠牲者の供養碑」等、「玉石混淆」 で、いろいろな人が祀られている。 |
2010/7/4(13:53) 「瑞巌寺参道」。 明治維新前には参道の両側に、片側6軒ずつの 「塔頭(子院)」が並んでいたという。 |