東日本大震災後の南三陸町
「さんさん商店街」

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2019/10/17(8:15,8:22)
工事中の「祈りの丘」と「南三陸さんさん商店街」の駐車場。
「南三陸さんさん商店街」は、三陸自動車道「志津川IC」から南東に約2km、
東日本大震災では、テレビで繰り返し放映された「防災対策庁舎」や
結婚式場「高野会館」が立地する本吉郡南三陸町志津川地区にある。
震災の翌年(2012)には、志津川地区の事業者が集まり仮設商店街を開設。
平成25年(2013)には、経済産業省の「がんばる商店街30選」に選定され、
平成29年(2017)、「さんさん商店街」として正式に開業。
左の写真は、翌年(2020)10月の全体開園に向け工事中の「南三陸町震災復興
祈念公園」の「祈りの丘」。
丘の上には、東日本大震災の犠牲者名簿を安置する「石碑」が設置されるという。
右の写真、「南三陸さんさん商店街」の無料駐車場は、普通車300台が収容できる。
左の写真をクリックすると「南三陸町震災復興記念公園・中橋 完成イメージ図」が
表示(900x650)されます。
表示される画像の中に「現在地」と書かれるのが、「南三陸さんさん商店街」である。
2019/10/17(8:23)
「南三陸さんさん商店街」。
南三陸杉を使用した平屋6棟に、
ご当地グルメ「南三陸キラキラ丼」を扱う飲食店や
鮮魚、お土産店などが軒を連ねる。
写真をクリックすると「さんさん商店街」の
店舗配置図(900x450)が表示されます。
2019/10/17(8:23)
佐良スタジオ「佐藤信一常設写真展示館」。
南三陸で生まれ育ち、東日本大震災の津波により
自宅と写真館を流された写真家「佐藤信一」が
震災当時から、これまでの歩みを撮った写真の数々
「南三陸の記憶」を展示する。
「佐藤信一」は、震災から半年後に出版した
写真集「南三陸から」で、第43回講談社出版
文化賞「写真賞」を受賞している。
写真をクリックすると佐良スタジオ「佐藤信一常設
写真展示館」の案内が表示(450x600)されます。
2019/10/17(8:24)
「フードコート」。
「さんさん商店街」のほぼ中央に位置する。
2019/10/17(8:25)
「鮮魚店」。
鮮魚店は、食事処を併設。店の壁には、
「キラキラ丼」「海鮮丼」「珍味」「刺身」等と
書かれる。
南三陸のグランドグルメ「キラキラ丼」は、
ウニやイクラなど、四季により盛りつけが
変わるという。
2019/10/17(8:29)
「南三陸さんさん商店街」から西の方向を撮る。
写真手前は「八幡川」。川の奥には、左に、「高野会館」。ほぼ中央に、「防災対策庁舎」と「祈りの丘」。
右には、建築家「隈研吾」がデザインしたという工事中の「中橋」が写る。
東日本大震災では、高さ約14mの津波が、防災の拠点となるべき3階建て「防災対策庁舎」屋上の
更に上2mまで達し、屋上に非難した職員や住民53名の内、助かったのは、屋上に立つアンテナの
ポールや鉄骨製階段の「手すり」にしがみついた10名のみで、43名が犠牲となった。
「震災復興記念公園」の工事が完成すると、商店街と公園の間は、「中橋」により結ばれる。
写真をクリックすると東日本大震災発生の2日後に、ほぼ同じ位置から同じ方向を撮影した
画像(800x550)が表示されます。
2019/10/17(8:28)
「南三陸さんさん商店街」から見る
「防災対策庁舎」。
被災し、鉄骨だけになった「防災対策庁舎」は、
嵩上げされた土手(防波堤)により、建物3階の
上部しか見えないが「中橋」が完成すれば、
橋を渡り「防災対策庁舎」へと歩いて行ける。
「防災対策庁舎」の後ろに「祈りの丘」がある。
写真をクリックすると2.5倍ズームで撮る
写真(600x450)が表示されます。
2019/10/17(8:30)
10.5倍ズームで撮る「高野会館」。
震災発生当時、結婚式場「高野会館」では、
町の高齢者が集まり「芸能発表大会」が
行われており、屋上に非難した全員327名と
犬2匹の命が救われたことで知られる。
震災後は、「震災伝承施設」に指定され、
「語り部バス」の運行により、全国から
多くの人達が訪れている。
2019/10/17(8:31)
「南三陸さんさん商店街」の中央通り。
写真は、商店街北側から南方向を撮影。
2019/10/17(8:31)
工事中の「中橋」。
2台のクレーンの間には、複数の鉄骨が立つ。
写真をクリックすると地上部分を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2019/10/17(8:36)
「南三陸さんさん商店街」南側から北方向を撮影。
写真右は、駐車場。
2019/10/17(8:36)
「南三陸さんさん商店街」南側から西方向を撮影。
写真右に、「南三陸さんさん商店街」。
写真奥に、「南三陸の七福神」と南米チリから
寄贈されたという「モアイ像」がある。
2019/10/17(8:37)
「南三陸の七福神」。
宝船には、「七福神」に見立てた南三陸町の
特産品や生き物が乗る。
写真をクリックすると「南三陸の七福神」の
案内が表示(600x600)されます。
2019/10/17(8:37,8:39)
南米チリから寄贈された「モアイ像」。
昭和35年(1960)年、南米チリで発生したマグニチュード9.5の大地震で発生した津波は、
太平洋を隔てた「南三陸町」でも、41名の犠牲者を出した。
その30年後、南三陸町民の防災意識を高めると共に、両国の「友好と防災のシンボル」として
海岸沿いの「松原公園」に「モアイ象」が設置された。
その後、20年間にわたり南三陸町の「防災のシンボル」として愛されてきたが、
東日本大震災の津波により倒壊。
「モアイ象」の倒壊と「志津川高校」の生徒達が「モアイ象」をイメージにしてキャンペーンを
行っていることを知った南米チリでは、チリ国民からの「応援の証、復興の希望」として、
「イースター島」の自然石を使い、現地彫刻家の手により、新しい「モアイ象」を無償で制作。
この「モアイ象」が、遙か海を超えて「南三陸町」に寄贈されたという。
左の写真をクリックすると「南三陸町とチリを結ぶモアイ象の歴史」の
案内が表示(650x650)されます。
右の写真をクリックすると正面と左側から撮るモアイ象の写真を並べる
画像(600x450)が表示されます。

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