女川駅周辺

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2019/10/16(15:31,15:32)
「旧女川交番」と「きぼうの鐘」。
仙台市の中心部から東北東に約55km。牡鹿半島の付け根に位置する「牡鹿群女川町」。
平成23年(2011)の東日本大震災では、JR石巻線「女川駅」の駅舎は流失。
「サンマ」の水揚げ基地として知られる女川町の、当時の人口は約10,000人。
人口に占める人的被害率は他市町村よりも高く、死者・行方不明者の数は、800人を超えた。
また、町の南東部に立地する「女川原発」は、高台にあるため、津波の直撃は免れたものの、
発電所を管理する施設などは、2階建ての屋上までが冠水。放射線監視システム等は、
壊滅的な被害を被った。
左の写真、東日本大震災の津波の引き波で、横倒しになった「旧女川交番」は、
横倒しの状態で保存。周囲を約5mかさ上げしてスロープを設置。震災の記憶と教訓、
復興の歩みを後世へ伝える震災遺構として保存されることが決定され、この日は、
翌年(2020)3月の工事完工に向け工事の最中であった。
左の写真をクリックすると別角度から撮る「旧女川交番」が表示(600x450)されます。
右の写真、「きぼうの鐘」は、旧女川駅前広場の一画に立てられ、震災前は、4つの鐘を
組み合わせて旋律を奏で、列車の到着を告げる「カリヨン」であったが、震災で流失。
現在の鐘は、奇跡的に無傷で発見された1つの鐘が装着され、平成27年(2015)に
英国の「ウィリアム王子」が訪れた際には、慰霊の鐘を鳴らしたという。
右の写真をクリックすると「きぼうの鐘」の説明が表示(800x600)されます。
2019/10/16(15:33)
海と駅を結ぶ「レンガ道」。
「レンガ道」は、幅15m、長さ170m。
海と「新女川駅」を結ぶ緩い坂道になっており、
地震(津波)発生時の避難路に指定されている。
写真手前、左に「まちなか交流館」、
右は「ハマテラス」。その奥(駅手前)には、
左右に「シーパルピア女川」と「レンガ道」の
周囲には、飲食やお土産物などの商店が並ぶ。
最奥に見える白い屋根は、「新女川駅」。
写真をクリックすると「ハマテラス」の案内図が
表示されます。
この案内図は、720x960ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/10/16(15:34)
「メモリアルウォール」。
レンガ道とハマテラスの間に立つ「メモリアル
ウォール」を飾る「スペインタイル」には、
「片岡鶴太郎」の「女川讃歌」等が描かれる。
写真をクリックすると「片岡鶴太郎」が描いた
「女川讃歌」が表示(600x450)されます。
2019/10/16(15:36)
メモリアルウォールを飾る「スペインタイル」。
震災で、「色を失くした女川の町にスペイン
タイルで彩りを添えたい」と、新しい「女川」の
町に工房をオープン。
「シーパルピア女川」の中にある「みなとまち
セラミカ工房」では、好みの表札や看板などを
スペインタイルで製作してくれる。
また、旅の思い出にスペインタイルの
製作(絵付け)体験もできる。
2019/10/16(15:41)
「ハマテラス」。
「ハマテラス」前の飲食スペースに敷かれる
「レンガ」には、「千年に一度の震災をのり越え、
千年先も息づく記念のレンガを」と開催された
「記念レンガプロジェクト」に協力した人達の
名前が刻まれる。
写真をクリックすると「ハマテラス」の前に
敷かれた「レンガ」が表示(450x600)されます。
2019/10/16(15:42)
「まちなか交流館」。
「居心地のよい、まちの居間となる、賑わい
交流拠点」をコンセプトに、町民や来町者が
気軽に立ち寄ることのできる施設。
ロビーへの入場は、自由(無料)だが、
160人を収容するホールや会議室、調理室、
音楽スタジオなど、有料の施設も備える。
2019/10/16(15:42)
「まちなか交流館」のロビー。
天井が高く開放感のあるロビーには、
震災の被害状況や復興状況等を説明する
パネルや女川町のジオラマが展示されている。
2019/10/16(15:42)
「復興まちづくり事業」等を紹介するパネル。
海に近く標高の低い場所は、「メモリアル公園」や
「漁港施設」とし、「居住地」は、東日本大震災と
同等の津波でも浸水しない高台に造成するとある。
写真をクリックすると該当箇所を切り抜いて
整形した「まちの断面イメージ」が表示されます。
この画像は、800x750ピクセルあります。
画像の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/10/16(15:43)
平成31年(2019)3月時点の女川町(航空写真)。
写真は、手前が「女川港」、奥に、「万石浦」。
右下には、「旧女川交番」。その右上には、
「新女川駅」の屋根が半分程写っている。
写真をクリックすると該当箇所を切り抜いて
整形した女川町の航空写真(800x600)が
表示されます。
2019/10/16(15:43)
震災から復旧までを時系列に説明する「パネル」。
大震災の翌年(2012)までは、復旧に向けた
準備の時期。
平成25年と26年(2013,2014)は、町の基盤整備。
平成27年(2015)以降は、本格復旧の時期と分けて、
各々の状況を説明するパネルが並ぶ。
2019/10/16(15:47)
「ハマテラス」西側の店舗。
建物左側の店は、「三陸石鹸工房 KURIYA」、
右の店は、「蒲鉾本舗高政」。
店の前(交流広場)には、「港町女川」を象徴する
大きな「スクリュー」が展示されている。
写真をクリックすると交流広場に展示される
「スクリュー」が表示(600x450)されます。
2019/10/16(15:49)
「シーパルピア女川」南側に並ぶ店舗。
写真の店は、「ふらわ~しょっぷ花友」。
奥に写る白い建物は、「新女川駅」。
写真をクリックすると「シーパルピア女川」の
案内図が表示されます。
この案内図は、720x960ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/10/16(15:49)
「シーパルピア女川」北側に並ぶ店舗
写真手前の店は、「ガル屋(ビール)」、
その奥に、地元船主直営の「まぐろ屋 明神丸」。
2019/10/16(15:50)
「シーパルピア女川」から海の方向を見る。
写真奥には、海も見えている。
写真をクリックすると中央部分を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2019/10/16(15:51)
「新女川駅」。
「新女川駅」は、津波により流失した旧駅舎から
約200m内陸に移設。屋根の形は「ウミネコ」が
羽ばたく様子をイメージしたという。
駅舎2階には、町営の「女川温泉ゆぽっぽ」があり、
3階の展望デッキからは、女川の町が見渡せる。
写真をクリックすると近づいて撮る「女川駅」が
表示(600x450)されます。
2019/10/16(15:52)
「新女川駅」の駅前に移設された「女川交番」。
「旧女川交番」とは様変わり、移設された新交番は、
一見民家風の建物となっている。
2019/10/16(15:53)
「女川町新庁舎(写真右の建物)」。
写真奥では、翌年(2020)秋開校予定で、
女川小・中学校の建設が進められていた。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。

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