JR仙石線「野蒜駅」&
東日本大震災「復興記念公園」

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2019/10/16(12:50,12:51)
高台に移転した「新野蒜駅」と野蒜駅連絡通路。
東日本大震災により1,100名を超える死者と行方不明者を出した「東松島市」の西部に位置する
「野蒜(のびる)地区」には、小高い山が連なるが、東日本大震災の津波はその山裾まで襲いかかり、
かつては、野蒜海岸・奥松島観光の玄関口であったJR仙石線「野蒜駅」は、高さ3.7mの津波で
1階部分が浸水。周辺は、流失した家屋や瓦礫で埋め尽くされ、震災前には、約4,800名が
居住していたという「野蒜地区」だけでも516名が犠牲となった。
JR仙石線は、内陸に移設、「野蒜駅」は海抜22mの新駅舎に移転し、平成27年(2015)に営業を再開。
旧駅舎は改修され、平成28年(2016)に「東松島市震災復興伝承館」として開館。
旧駅舎の北側には、慰霊碑や津波到達高と同じ高さのモニュメントの立つ
「震災復興メモリアルパーク(東日本大震災復興祈念公園)」が整備された。
左の写真は、「野蒜駅」の新駅舎。新駅の周囲は、被災した住宅の移転先として区画整理され、
町名も新たに「野蒜ケ丘」と命名されている。
左の写真をクリックすると「野蒜ケ丘」周辺の地図(960x650)が表示されます。
右の写真、「野蒜駅連絡通路」は、新駅舎のある線路北側と旧駅舎のある南側を繋ぐ連絡通路で、
高低差9.1m、61段の階段があるが、エレベータも設置されている。
災害復旧工事中、この連絡通路には、区画整理により発生する土砂を搬出するための
ベルトコンベアが設置されていた。
右の写真をクリックすると「野蒜駅連絡通路」の案内板(960x650)が表示されます。
2019/10/16(12:58)
「新野蒜駅」南側のロータリーから
海(南南東)の方向を撮る。
階段下の低い土地は、震災の津波で浸水。
写真左手前には、震災後再建された住宅が建つが、
更地では、この日もバックホーなどの工事車両が
動いている。
「旧野蒜駅」は、ここから歩いて400m程。
白い円の中には、三角屋根の「旧野蒜駅」と
プラットホームの屋根が見えている。
写真をクリックすると5.75倍ズームで撮る
「旧野蒜駅」が表示(600x450)されます。
2019/10/16(13:02)
「野蒜駅連絡通路」の南側。
この後、車で「旧野蒜駅」へと向かう。
2019/10/16(13:16)
「旧野蒜駅」の駅舎。
周囲は、「震災復興メモリアルパーク」として
再開発され、旧駅舎は、「東松島市震災復興
伝承館」として開館。
プラットホームは、震災遺構として保存されている。
写真をクリックすると「震災復興メモリアル
パーク」の案内板(960x650)が表示されます。
2019/10/16(13:17)
「東松島市震災復興伝承館」。
建物の壁には、「JR野蒜駅」の名板が残る。
実は、この日(第3水曜)、伝承館は休館日で
あったが、そのことを知らずに入ると、
「記録映像の上映はできないが、よろしければ
どうぞ」と言われ、2階に展示されるパネル等を
見ることができた。
2019/10/16(13:18)
「旧野蒜駅」で利用されていた「券売機」。
写真の「券売機」は、2階「展示場」入口に置かれ、
「券売機」の脇には、「運賃表」もある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2019/10/16(13:18)
2階「展示場」。
写真左は、「東松島市の歴史」。
東松島市の成り立ちや、震災前の様子などが
紹介されている。
奥には、津波到達時刻で止まった「時計」。
2019/10/16(13:18)
「東松島市の被害状況」。
被害の状況が写真を主体に紹介され、
市内の全建物用地の内、約65%が浸水したとある。
なお、「記念ひろば」に設けられた案内板では、
東松島市の被害状況について、以下のように
書かれている。
死者数 : 1,109人
行方不明者数 : 24人
住家等被害(全壊) : 5,519棟
  〃  (大規模半壊) : 3,057棟
  〃  (半壊) : 2,501棟
  〃  (一部損壊) : 3,504棟
写真をクリックすると「東松島市の被害状況」等が
書かれる案内板(960x650)が表示されます。
2019/10/16(13:19)
「大型スクリーン」。
震災当時の「記録映像(震災アーカイブ映像)」が
上映される。
2019/10/16(13:19)
友好都市などからの「応援メッセージ」。
災害支援に協力した友好都市から寄せられた
「応援メッセージ」等が展示されている。
2019/10/16(13:19)
「復興の歩み」。
震災直後と、その年(2011)12月時点の復旧状況の
2枚の写真を並べ、比較展示されていた。
2019/10/16(13:21)
1階に戻り、ホーム側に出る。
写真右は、インフォメーションコーナー。
旧駅舎の1階は、震災後コンビニが開店していたが、
契約期間満了により閉店。現在は、周辺エリアの
観光案内と復興、交流の場「多目的ホール」として
使われている。
2019/10/16(13:22)
「旧野蒜駅」のプラットホーム。
この写真では、津波の被害状況は分からないが、
ホーム右側の線路は、ぐにゃりと曲がり、
ホーム奥に立つ柱は倒れ、駅名標も傾いている。
写真をクリックすると津波で倒れた「柱」と
傾いた「駅名標」が表示(600x450)されます。
2019/10/16(13:24)
「東松島市震災復興慰霊碑(モニュメント)」。
「旧野蒜駅」の北側は、記念ひろばとして整備され、
この地を襲った津波と同じ高さの慰霊碑が立つ。
慰霊碑中央には「鎮魂・復興・感謝 東松島一心」と
刻まれ、左右には犠牲者の名前を刻む「芳名板」が
設けられている。
写真をクリックすると「東松島震災復興慰霊碑
(モニュメント)」を切抜く画像(600x450)が
表示されます。
2019/10/16(13:27)
「皇后陛下御歌碑」。
平成29年(2017)、当時の皇后陛下(現上皇后)が
詠まれた御歌が刻まれる。
  野蒜とふ 愛しき地名あるを知る
   被災地なるを深く覚えむ
写真をクリックすると「皇后陛下御歌碑」の碑文が
表示されます。
この画像は、960x960ピクセルあります。
碑文を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/10/16(13:27)
記念ひろばから見る「旧野蒜駅」。
旧駅舎の左に「震災復興慰霊碑(モニュメント)」。
右に「皇后陛下御歌碑」が立つ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/16(13:29)
記念ひろばから望む「新野蒜駅」。
白い円の中に「野蒜駅連絡通路」階段の
傾斜屋根が写る。
写真をクリックすると丸く囲った周辺を
切抜く画像(600x450)が表示されます。

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