東日本大震災遺構・伝承館
「気仙沼向洋高校」

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2019/10/17(9:39,9:40)
気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」。
気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」は、JR大船渡線「気仙沼駅」から、南南東に約9.3km。
「潮吹岩」や「龍の松」で知られる三陸復興国立公園「岩井崎」の海岸から500m程の
波路上地区にあり、校舎の4階まで津波が押し寄せた「気仙沼向洋高校」の旧校舎を
震災遺構として保全し、この年(2019)3月「震災伝承館」として一般に公開された。
なお、「気仙沼向洋高校」では、建物の被害は甚大であったが、校内に残っていた約200名の
生徒と教員、工事関係者達は、奇跡的に一人の死者・行方不明者を出すことなく難を逃れている。
左の写真、震災遺構「旧気仙沼向洋高校の南校舎(写真左)と北校舎(写真奥)」の間に
挟まれるように「震災伝承館」が建つ。
左の写真をクリックすると気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」の
全体図(800x500)が表示されます。
右の写真、特に被害が大きかった「南校舎」は、津波が4階にまで達し、
建物の窓やベランダのフェンス等の被害は、3階にまで及ぶが、震災の当日は、
入試関連の会議や作業のため、午後から生徒立入禁止となっていた。
右の写真をクリックすると、津波で破壊された南校舎の「フェンス」や「窓」が
表示(600x450)されます。
2019/10/17(9:42)
「震災伝承館」入口。
2019/10/17(9:43)
「東日本大震災遺構・伝承館」の施設案内。
施設内は、以下の順に巡る。
・「映像シアター」で、13分の記録映像を鑑賞。
・「展示室」を通り、南校舎へ
・南校舎の被害状況を見学しながら屋上へ
・1階に戻り、屋外に出て壊れた壁や
 折り重なった車を見学した後、北校舎へ
・北校舎1階を通り、「震災伝承館」に戻る
見学時間は、約60分~90分である。
写真をクリックすると「震災伝承館」の
案内図(800x600)が表示されます。
2019/10/17(9:55)
「展示室A」。
「映像シアター」で、記録映像を鑑賞後、
「展示室A」を通り、南校舎へ向かう。
「映像シアター」の300インチ大型スクリーンで
観る津波の速さは、川の急流のようであった。
「展示室A」では、周辺地域の被災状況を
紹介する写真等が展示されている。
写真をクリックすると、
震災直後の「気仙沼向洋高校」周辺の様子が
表示(600x450)されます。
2019/10/17(9:59)
南校舎1階「廊下」。
写真左に被災した教室。右には「中庭」がある。
写真をクリックすると「震災遺構(旧校舎)」の
案内が表示されます。
この画像は、720x960ピクセルあります。
画像の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/10/17(9:59)
南校舎1階「CAD室」。
南校舎1階では、破壊され瓦礫の散乱する
教室の様子などを見学する。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/17(10:00)
南校舎1階「保健室」。
ベッドや布団などは、被災当時のまま
保存されている。
2019/10/17(10:01)
南校舎1階「会議室」。
2019/10/17(10:02)
南校舎1階「校長室」。
2019/10/17(10:02)
「南校舎3階」に上がる。
見学は、階段を歩くが、車椅子の見学者等は、
エレベーターを利用することができる。
2019/10/17(10:02)
「南校舎2階」。
南校舎2階は立入禁止。ドアは閉鎖されている。
2019/10/17(10:03)
「南校舎3階」。
東日本大震災での津波は、高さ12mに達し、
南校舎3階には、津波により運ばれてきた
「車」や「松の木」が、部屋の中に残る。
写真をクリックすると「津波により運ばれてきた
車」の案内(800x600)が表示されます。
2019/10/17(10:03)
南校舎3階「電気磁気室」。
津波で流されてきた車が残り、周りには瓦礫が散乱。
写真をクリックすると別角度から撮る
「津波で流された車」が表示(600x450)されます。
2019/10/17(10:05)
南校舎3階「電気磁気室」の天井。
東日本大震災の津波は、3階天井の高さを超え、
4階の床上25cmまで達した。
2019/10/17(10:06,10:06)
南校舎3階「準備室」。
パソコンディスプレイや教科書、靴なども被災当時のまま残る。
2019/10/17(10:08)
南校舎3階「送信練習室」。
津波で流されてきた「防風林の松」が残る。
写真をクリックすると、津波で流されてきた
「松の木」が表示(600x450)されます。
2019/10/17(10:09)
「南校舎4階」に上がる。
2019/10/17(10:09)
「南校舎4階」。
「南校舎4階」では、床上25cmまで津波に
浸かったことを示す「レターケース」や、
津波に流された「冷凍工場」が壁に激突した跡を
間近に観ることができる。
2019/10/17(10:10)
南校舎4階「通信実習室」。
写真の「レターケース」は、津波に浸かった
下の部分が茶色に錆びている
写真をクリックすると「レターケース」を
切抜く画像(600x450)が表示されます。
2019/10/17(10:10,10:11)
南校舎4階「通信実習室」。
「通信実習室」では、津波に流された「冷凍工場」の激突跡を間近に観ることができ、
部屋の中には、「冷凍工場」の壁材に使われていたスポンジ状のものが散乱する。
左の写真をクリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。
2019/10/17(10:11)
「南校舎屋上」に上がる。
2019/10/17(10:13)
南校舎「屋上出入口」。
屋上に非難した教職員と工事関係者は、
写真に写る「屋上出入口」の庇に机を乗せ、
屋根の上によじ登った。
このことを紹介する案内板には、「屋上出入口」の
屋根の上に立つ人達の姿が、「赤い線」で囲まれる。
写真をクリックすると「屋上に非難した教職員と
工事関係者」の案内(960x480)が表示されます。
2019/10/17(10:14)
屋根が流失した「屋内運動場跡」。
「蒲鉾」の形をしていた「屋内運動場」は、
建物全体が津波に飲み込まれ、屋根の部分は
全て流された。
写真をクリックすると「屋根が流失した
屋内運動場」の案内(800x450)が表示されます。
2019/10/17(10:16)
津波が襲ってきた「旭崎(南)」の方向。
パネルには、屋上に非難した人が撮る写真が
掲載されている。
写真をクリックすると「屋上から撮る津波」の
写真(600x450)が表示されます。
2019/10/17(10:19)
「南校舎屋上」から撮る南方向の景色。
写真左の「岩井崎」に立つ「秀の山像」は、東日本大震災の大津波にも耐え、また、被害を受けた「松の木」は、
残った姿が「龍」に見えることから「龍の松」と名付けられ、いずれも気仙沼市民の復興のシンボルとなっている。
写真中央の「旭崎」では、東日本大震災の津波で流れてきた「梯子」を使い、「ケヤキの木」に登る等、
10名の命が救われている。
「岩井崎」の周辺(矢印の先)をクリックすると「大津波に耐えた秀の山像と龍の松」の案内(800x600)が表示されます。
「旭崎」の周辺(矢印の先)をクリックすると「10名もの命を救ったケヤキの木」の案内(800x600)が表示されます。
2019/10/17(10:18)
「南校舎屋上」。
写真中央右に、教職員と工事関係者が
よじ登った「屋上出入口(奥)」と車椅子が
利用できる「エレベータ棟(手前)」。
2019/10/17(10:20)
「南校舎屋上」から撮る中庭。
中庭左奥に立つ「ヒバの木」は、
津波に呑み込まれたが、耐え抜き、
今でも成長を続ける。
写真をクリックすると「避難者が撮影した
津波襲来時の中庭」の案内(800x500)が
表示されます。
2019/10/17(10:21)
「南校舎屋上」から撮る北校舎。
海側に建つ「南校舎」に比べ、「北校舎」の
被害は少ないものの、一部壁は壊れている。
写真をクリックすると、
北校舎の「壊れたフェンス」を撮る
写真(600x450)が表示されます。
2019/10/17(10:25)
南校舎1階「事務室」。
この後、屋外に出て、屋根が流された
「屋内運動場」や「引き波」の通り道となり、
校舎と校舎の間に引っかかった瓦礫や、
車などを観る。
2019/10/17(10:26)
「屋内運動場」。
「蒲鉾」の形をしていた「屋内運動場」の屋根は、
流されて跡形もない。
写真右の建物は、「生徒会館」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/17(10:27)
「北校舎」と「総合実習棟」の間に引っかかった
「瓦礫」と車。
この「瓦礫」と車は、津波が襲った後の
「引き波」に流され、この場所で引っかかり、
折り重なったという。
また、「北校舎」と「生徒会館」の間には、家屋が
宙に浮いた状態で挟まり、浮いた家の中には、
2人の女性が取り残されたが、翌朝、学校職員の
手で救出されている。
写真をクリックすると「折り重なった車」の
案内(600x600)が表示されます。
2019/10/17(10:28)
「総合実習棟」。
「総合実習棟」にも、地域の住民3人が
非難したが、翌朝、学校職員達と合流し、
全員が難を逃れた。
写真をクリックすると近づいて撮る「瓦礫と車」の
写真(600x450)が表示されます。
2019/10/17(10:30)
「冷凍工場」の激突跡。
4階の壁面は、深く抉り取られている。
写真をクリックすると「冷凍工場の激突跡」の
案内(600x600)が表示されます。
2019/10/17(10:33)
「北校舎」の西側玄関。
「北校舎」には、生徒達が学ぶ教室があったが、
震災当時は、大規模改修工事中で、多くの生徒は、
校庭に建てられたプレハブの仮校舎と
「屋内運動場」にいた。
このため、地震発生直後、すぐに校庭に飛び出し、
約1km離れた「避難所(地福寺)」に非難。
その後、「地福寺」も津波に襲われるが、
更に高い所にと、最終的には「階上中学校」まで
非難したため、一人の犠牲者も出さずに済んだ。
2019/10/17(10:33)
「北校舎」の廊下を「伝承館」に向かう。
2019/10/17(10:33,10:35)
北側校舎1階「教室」。
震災当時、「北側校舎」は、大規模改修工事中で、
教室内には、物が何も置いてなかったため、被害は最小限で済んだ。
右の写真。教室と廊下を区切るフェンスには、震災前の様子がパネル掲示されている。
2019/10/17(10:35)
北側校舎1階「教室」。
パネルには、震災直後の「教室の中」の様子を
撮る写真が貼られる。
写真をクリックすると、震災直後の「教室の中」を
撮る写真(600x450)が表示されます。
2019/10/17(10:36)
「気仙沼向洋高校」旧校舎の中庭。
写真左が、被害の大きかった「南校舎」。
右が「北校舎」。
2019/10/17(10:49)
「震災伝承館」に戻る。
「震災伝承館」では、以下の順に見学。
・展示室B:地震・津波の脅威と痕跡、行方不明者の
 捜索等をテーマに震災後の町の様子を紹介
・談話室:15分間の映像「被災者の想い」を上映
・展示コーナー:「大震災の記録と復旧・復興の
 歩み」を資料で紹介
写真は、全ての見学を終え、館を出る前に撮る
「体験交流ホールB」。

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