東日本大震災後の
「気仙沼市」

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2011/10/24(13:37)
東日本大震災の7ヵ月後に見る「第18共徳丸」。
テレビなどで幾度となく放映されたためご存知の方は多いと思うが、船のある場所は港ではなく、
津波に流されて市街地まで運ばれたもので、船で隠れている辺りに「鹿折唐桑駅」があった。
2014/5/25(12:55)
東日本大震災の3年2ヵ月後に見る「第18共徳丸」があった場所。
背景にある山の形を震災7ヵ月後の写真と比較して頂ければ、「第18共徳丸」がどこにあったかは、
容易に想像して頂けるであろう。
気仙沼市では、「第18共徳丸」を震災の遺産として保存を検討したが、約7割の市民が「震災を思い出す」と
保存に反対したため解体を決定。平成25年(2013)10月には、この解体工事も完了している。
2011/10/24(13:39)
東日本大震災の7ヵ月後に見る「気仙沼市街地」の様子。
「鹿折唐桑駅」から東に約200m地点で「気仙沼港(南)」の方向を撮影。
「鹿折唐桑駅」は、写真を撮る右肩の方向にある。
この場所から、海までは、600m程の距離である。
また、写真左(東)の方向に400m弱のところに「鹿折川」がある。
2014/5/25(12:51)
東日本大震災の3年2ヵ月後に見る「気仙沼市街地」復興の様子。
写真は、「鹿折唐桑駅」から東に100m程の県道34号「気仙沼陸前高田線」から東の方向を撮影。
写真の看板には「平成25年7月11日~平成27年3月31日 宅地のかさ上げ等震災復旧工事を
行っています」とある。
震災7ヵ月後の写真とは撮影している方向が異なるため、並べての比較はできないが、震災7ヵ月後の写真で、
左に大きく写る建物は、3年2ヵ月後の写真では、中央に写るゲートを入り100m程先、右側付近に
建っていたと記憶する。
また、震災7ヵ月後の写真では、中央付近に写る山が、3年2ヵ月後の写真では、右端に写る。
なお、パノラマ写真をクリックすると、撮影場所は多少異なるが工事用フェンスの合間から
「気仙沼港(南)」の方向を撮影した写真(600x450)が表示されます(表示される写真は、
震災7ヵ月後の写真と撮影方向が同じなため、山の形から、当時からの変化をイメージしやすいかと思います)。
2014/5/25(12:08,12:09,12:36)
東日本大震災の3年2ヵ月後に見る「復興屋台村 気仙沼横丁」。
「復興屋台村 気仙沼横丁」は、気仙沼全体で7割、南町はほぼ100%の飲食店が津波で流された気仙沼に「飲食店の賑わい」を
取り戻そうと、震災の約8ヵ月後となる平成23年(2011)11月にオープン。
平成26年(2014)12月の時点で「復興屋台村 気仙沼横丁」事務局のHPを確認すると、屋台16店舗(内1店舗は準備中)と
物販6店舗が営業しているという。

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