思惟大橋コミュニティ公園

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2019/10/18(11:33,11:33)
道の駅「たのはた」の仮設店舗と「三陸沿岸道路」工事の様子。
「思惟(しいの)大橋」は、下閉伊郡田野畑村にあり、田野畑村一の高さ120mに架かる
全長315mの「アーチ橋(逆ローゼ橋)」で、その昔、田野畑村に赴任した役人達が、
あまりに深い谷と道の険しさに、職を投げ出して帰ってしまったという「辞職坂」に架かる。
「思惟大橋コミュニティ公園」は、「思惟大橋」の北側に位置する都市(地区)公園で、
広い敷地に子供たちが遊べる芝生広場や遊具広場の他、道の駅「たのはた」が隣接。
駐車場や食事処、産直販売プラザが併設する等、観光客の休憩場所としての施設も充実している。
左の写真、道の駅「たのはた」は、三陸沿岸道路工事に伴い、仮設店舗での営業中であった。
右の写真、三陸沿岸道路は、宮城県仙台市から青森県八戸市に至る全長359kmの高速道路で、
東日本大震災後「復興道路」と位置付けられ、令和3年(2021)内には、全線が開通予定だという。
なお、写る橋は「思惟大橋」の北側に架かる橋で、この写真に「思惟大橋」は写らない。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2019/10/18(11:55)
「交流の橋」。
「交流の橋」は、公園と駐車場を跨ぐ木造の
斜張橋(歩道橋)で、人が渡ると鳥の鳴き声が
聞こえる仕掛けであったが、三陸沿岸道路工事に
伴い取り壊されたようで、橋脚だけが残る。
2019/10/18(11:56)
「思惟大橋コミュニティ公園」。
道路を渡り公園に入ると、奥に「芝生広場」。
右には「遊具広場」やトイレがある。
2019/10/18(11:59)
「遊具広場」。
大型の遊具はなく、よちよち歩きの幼児でも
楽しめそうな比較的小型の遊具が並ぶ。
2019/10/18(12:00)
「西塔幸子歌碑」。
「西塔幸子」は、歌人で、この地の小学校の先生でも
あったが、昭和8年(1933)の三陸大津波では、
村の惨状を新聞社に投稿。被災状況を広く世に
知らせたことで、被災の救済・復興に寄与した。
歌碑には、「憂きことも 束の間忘れすなほなる
 心になりて山にものいふ 西塔幸子」と刻まれる。
写真をクリックすると中央に立つ歌碑(450x600)が
表示されます。
2019/10/18(12:02)
「芝生広場」。
2019/10/18(12:03)
「地球のネジ」。
「大村一彦作」とあり、確認は出来なかったが、
島腰駅前に建つ「宮沢賢治詩碑」を製作したという
東京都三鷹市の建築設計士「大村一彦」であろう。
このネジが切れると地球の自転が止まってしまう
とのことで、ネジを回すと「カタカタ」と音がする。
写真をクリックすると「地球のネジ」を
切抜く画像(600x450)が表示されます。
2019/10/18(12:03)
「日時計」。
写真をクリックすると近づいて撮る「日時計」が
表示(600x450)されます。
2019/10/18(12:04)
「無医村に花は微笑む」と刻まれる碑。
無医村であった「田野畑村」に赴任し国民健康保険
直営診療所の医師として地域医療に尽力した
「将基面(しょうぎめん)誠」医師と「春代」夫人の
功績を称える顕彰碑である。
平成18年(2006)には、「無医村に花は微笑む」の
タイトルで、テレビドラマ化され、フジテレビ系列で
放送された。
2019/10/18(12:07)
「野外ステージ」。
2019/10/18(12:09)
「ロープジャングルジム」。
遊具広場にある一番大きな遊具である。
下には砂が敷かれ、砂場も兼ねているのであろう。
周りには、複数の「スイング遊具」が並ぶ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/18(12:09)
「ベンチ(休憩所)」の左奥に、
地球儀のモニュメント。
2019/10/18(12:10)
地球儀の「モニュメント」。
今にも回り出しそうであるが、残念ながら
その仕掛けは、なさそうである。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/18(12:11)
「交流の橋(公園側)」。
Googleマップなどを見ると、「三陸沿岸道路」は、
「思惟大橋コミュニティ公園」の敷地内を通る。
「三陸沿岸道路」が完成した後に「交流の橋」が
再建されるのかどうか不明である。
また、本ページで紹介している施設や景観も
大きく変わる可能性があり、行かれる際には
最新情報の確認をお願いします。

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