東日本大震災後の
「陸前高田市」

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東日本大震災から7ヶ月後の「陸前高田市」
2011/10/24(15:48)
道の駅「高田松原」。
道の駅「高田松原」の建物とその周辺については、東日本大震災の爪痕を
後世に語り継ぐための、「震災遺構」として保存することが決まったという。
2011/10/24(15:55)
平成23年(2011)12月に蘇生断念が発表された「奇跡の一本松」。
写真をクリックすると、11倍ズームで撮影した写真(450x600)が
表示されます。
2011/10/24(15:54)
「気仙川」対岸から「陸前高田」市内の方向を見る。
左の建物は、「気仙中学校」。中央付近の水門は、「川原川水門」。
「陸前高田」市街地は、写真ほぼ中央にある山の手前の平地に広がる。
その市街地は、コンクリートの建物と木造の建物の基礎部分を残すのみで、壊滅状態であった。
全ての被災地を回ったわけではないが、他は町や村が全滅したのに対し、「陸前高田」は市が全滅という印象を受けた。
東日本大震災から3年2ヶ月後の「陸前高田市」
2014/5/25(13:16)
震災3年2ヵ月後に「気仙川」対岸から「陸前高田」市内の方向を見る。
直前の写真(2011/10/24(15:54))と同じ場所に立ち、同じ方向を撮影。
写真中央に写る「奇跡の一本松」は、平成24年(2012)9月に伐採され、平成25年(2013)6月末にモニュメントとしての保存整備が完了。
元あった場所には、根の部分をコンクリート、主構造体(心棒)を炭素繊維強化樹脂複合材料(CFRP)で造られたレプリカが立つ。
復興事業も本格化し、写真左から中央にかけては、高台造成地から排出される土砂を低地の商業施設や公園用地の盛土・かさ上げに
使用するための運搬用大型ベルトコンベアが伸びる。
手前のブルーシートの場所では、気仙川河口に津波対策の水門を造るための土木工事が行われている。
なお、7万本の松がほぼ全て消失した国の名勝「高田松原」とその周囲を、「高田松原津波復興祈念公園(防災メモリアル公園)」とする
計画が進められており、写真左に写る「市立気仙中学校校舎」の他、震災で被害を受けた「陸前高田ユースホステル」、
道の駅「高田松原」とその周辺、「下宿定住促進住宅一号棟」については、東日本大震災の爪痕を後世に語り継ぐための、
「震災遺構」として保存することが決まっているという。
2014/5/25(13:15)
震災3年2ヵ月後に見る
「奇跡の一本松(レプリカ)」。
この写真は5.25倍ズームにて撮影。
「奇跡の一本松」の左にあるベルトコンベアの
下には、保存の決まった、道の駅「高田松原」の
特徴的な屋根、写真右には
「陸前高田ユースホステル」が写る。
写真をクリックすると9.5倍ズームで撮る
「奇跡の一本松(レプリカ)」が
表示(600x450)されます。
2014/5/25(13:17,13:18)
震災3年2ヵ月後に見る「市立気仙中学校」と「土砂運搬用ベルトコンベア」。
左の写真、「市立気仙中学校」の背後に写る「吊り橋」は「希望のかけ橋」と呼ばれ、高台造成地から
排出される土砂を、「気仙川」を渡り低地の商業施設や公園用地に運ぶためのベルトコンベヤー専用の
仮設吊り橋である。
この吊り橋の長さは220m。鮭も遡上する「気仙川」の環境に配慮し、川の中に支柱を立てない
吊り橋にしたという。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2014/5/25(13:35,13:36,13:37)
「土砂運搬用ベルトコンベア」。
この巨大ともいえる「ベルトコンベア」は、平成26年(2014)3月に、距離1kmで稼働を開始。
枝分かれしながら張り巡らされるベルトコンベアは延伸の途中にあり、平成26年(2014)7月には総延長3kmに達するという。
今泉地区では、高さ約120mの山を、約45mの高さまで削り、宅地を造成。これにより排出される土砂の総量(他地区を含む)は、860万m³。
この土砂のほとんどを、幅1.8m、時速15kmで動くベルトコンベヤーで運び、その量は、一日で、約2万m³(10㌧トラックで約4千台分)にも及ぶ。
これにより、トラックで運搬すると9年かかる搬出期間を3年に短縮できるとともに、工事車両の数が激減することにより市内の交通渋滞も緩和できる。
そして、このベルトコンベアにより運ばれた土砂は、平地部にある商業施設や公園用地を最大で約11mの盛土・かさ上げに利用されるという。
東日本大震災から8年7ヶ月後の「陸前高田市」
大震災から8年7ヶ月を経過した「陸前高田市」は、「土砂運搬用ベルトコンベア」も
撤去され、国営追悼・祈念施設「高田松原津波復興祈念公園」の整備が進められている。
令和元年(2019)9月には、公園の一部利用が開始され、新しい道の駅「高田松原」や
東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」等の利用が可能となっていた。
2019/10/17(11:41)
「高田松原津波復興祈念公園」に立つ建物。
写真奥に、東日本大震災津波伝承館
「いわてTSUNAMIメモリアル」。
手前が、道の駅「高田松原」。
2つの建物は、屋根で繋がる。
2019/10/17(12:23)
東日本大震災津波伝承館
「いわてTSUNAMIメモリアル」。
伝承館では、東日本大震災で発生した
津波の事実と教訓を世界中の人々と共有し、
災害に強い社会の実現を目指すという。
写真をクリックすると東日本大震災津波伝承館
いわてTSUNAMIメモリアル」のページが
表示されます。
2019/10/17(12:40)
「高田松原津波復興祈念公園」。
伝承館と道の駅の建物の間を抜けると、
東日本大震災で被災した3県に一ヶ所ずつ造られた
国営追悼・祈念施設で、祈りの場や献花の場の他、
復興のシンボル「奇跡の一本松」等の震災遺構を
整備・保存する公園である。
写真をクリックすると
高田松原津波復興祈念公園」のページが
表示されます。

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