毛越寺

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2014/5/25(15:05,15:07)
「毛越寺(もうつうじ)」の案内図と境内入口「拝観券発行所」。
「毛越寺」は、岩手県平泉にあり、JR東北本線「平泉駅」から西に700m程に位置する天台宗の寺院で、
往時には、堂塔40、僧坊500にもおよび、その規模と華麗さは、「中尊寺」をしのぐほどであったという。
境内は、国の特別史跡に指定され、「大泉ヶ池」を中心に仏の世界を地上に表現するという「浄土庭園」は、
国の特別名勝に指定されている。
また、「中尊寺」同様に「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の
一つとして世界遺産にも登録される。
左の写真をクリックすると「毛越寺 境内」の 案内図が拡大表示されます。
この案内図は、1,200x800ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2014/5/25(15:09)
境内に入り奥に「本堂」を見る。
2014/5/25(15:10)
芭蕉の「夏草」英訳の句碑。
芭蕉の句「夏草や兵どもが夢の跡」を「新渡戸稲造」が
英訳したという。
 The summer grass
 'Tis all that's left
 Of ancient warriors' dreams.
と刻まれ、近くには、芭蕉直筆の句碑もある。
2014/5/25(15:12)
「毛越寺 本堂」。
建物は、平成元年(1988)に建立。
本尊に平安時代作の「薬師如来」。
脇士に「日光・月光両菩薩」を安置する。
2014/5/25(15:15)
「築山」。
「大泉ヶ池」の南西隅にあり、海岸に迫る岩山を
表現している。
2014/5/25(15:14)
「南大門跡」から見る「大泉ヶ池」。
「南大門跡」は、現在の本堂前庭の北側にあった「毛越寺」の正門で、両脇に「仁王像」を安置し、正面には「金堂円隆寺」の
勅額が掲げられていたといわれるが、現在は、12個の礎石のみを残す。
「大泉ヶ池」の大きさは、東西約180m、南北約90m。
池のほぼ中央に「中島」があり、かつては「南大門」と「金堂円隆寺」を結ぶ2つの橋が架けられていたという。
写真をクリックすると、発掘調査結果を基に「白石隆一画伯」が描いた、「毛越寺伽藍復原図」が表示(600x450)されます。
2014/5/25(15:17)
南西側から見る「大泉ヶ池」。
2014/5/25(15:18,15:20)
「開山堂」。
「毛越寺」を開いた「慈覚大師円仁」を祀る。
右の写真中央に「大師像」。その左に、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像。
右には「両界大日如来像」が安置される。
左の写真をクリックすると「開山堂」の案内板(600x450)が表示されます。
2014/5/25(15:21)
「開山堂」の前から見る「毛越寺庭園」。
2014/5/25(15:23)
前方に「嘉祥寺跡」。
2014/5/25(15:23,15:25)
「嘉祥寺跡(左)」と「講堂跡(右)」。
「毛越寺」創建時の伽藍は、嘉禄2年(1226)の火災。および、戦国時代の天正元年(1573)の兵火により
焼失しているが、基壇、礎石、土塁が遺されるなど堂跡の保存状態はきわめて良好で、考古学的価値は高く、
昭和29年(1954)から5年に渡る発掘調査などにより、その規模や構造などの全容がほぼ解明されているという。
左の写真をクリックすると「嘉祥寺跡」の案内板(600x450)が表示されます。
右の写真をクリックすると「講堂跡」の案内板(600x450)が表示されます。
2014/5/25(15:25)
「金堂円隆寺跡」から南(南大門跡)の方向を見る。
写真では、はっきりしないが間には「大泉ヶ池」がある。
2014/5/25(15:25)
「金堂円隆寺跡」。
礎石がほぼ完全に残る等、特に保存状態が良好という。
写真をクリックすると「金堂円隆寺跡」の
案内板(600x450)が表示されます。
2014/5/25(15:28)
「遣水(やりみず)」。
「大泉ヶ池」に水を引き入れるために造られたという。
平安時代の指導書「作庭記」の様式を余すところなく
伝えるとある。
また、この日は年に一度、「遣水」に杯を浮かべ、
流れに合わせて和歌を詠む「曲水の宴」の日で
あったが、宴は13時から14時15分までということで、
到着したときには既に終了していた。
写真をクリックすると、少し奥に進んだ位置から
撮る写真(600x450)が表示されます。
2014/5/25(15:29)
「常行堂」に向かう。
2014/5/25(15:30)
「地蔵菩薩」。
「常行堂」の前に座る。
写真をクリックすると「地蔵菩薩」の案内板(600x450)が
表示されます。
2014/5/25(15:31)
「常行堂」。
享保17年(1732)に仙台藩主「伊達吉村公」の
武運長久を願って再建されたとある。
奥殿に祀られる秘仏「摩多羅神」は、33年に一度
御開帳される。
写真をクリックすると「常行堂」の案内板(600x450)が
表示されます。
2014/5/25(15:32)
「鐘楼堂」。
現在の鐘は、昭和50年(1975)に作られ、「護摩木」に
願い事を書き奉納(有料)することで、1打できるとある。
近くには、「礎石」の残る「鐘楼堂跡」もある。
写真をクリックすると「鐘楼堂」の案内板(600x450)が
表示されます。
2014/5/25(15:33,15:34)
「法華堂跡(左)」と「常行堂跡(右)」。
敷地は隣接し、両堂は渡廊で結ばれていたが、慶長2年(1597)に野火のため焼亡とある。
左の写真をクリックすると「常行堂跡・法華堂跡」の案内板(600x450)が表示されます。
2014/5/25(15:34)
「常行堂跡」から見る、現在の「常行堂」。
2014/5/25(15:36)
「東門跡」から見る「大泉ヶ池」。
「大泉ヶ池」の北東に位置する。
写真をクリックすると「東門跡」の案内板(600x450)が
表示されます。
2014/5/25(15:37)
「大泉ヶ池」東側の路。
路の右に「大泉ヶ池」がある。左には、奥州藤原氏
第2代当主「藤原基衡」の妻が建立したという
「観自在王院(阿弥陀堂)跡」があり、平安時代末期の
浄土庭園が復元されている。
2014/5/25(15:38)
「州浜(すはま)」。
「大泉ヶ池」の東南隅にあり、海岸の砂州を
表現しているという。
写真をクリックすると「州浜」の案内板(600x450)が
表示されます。
2014/5/25(15:40,15:43)
「出島石組と池中立石」。
「南大門跡」の東側にあり、荒磯の風情を表現しているという。
また、東日本大震災で約8度傾いた「立石」と出島付近を修復する際に池の水を取り除いたところ、
普段は水に沈む島の斜面にも、ていねいに玉石が敷き詰められていたという。
左の写真をクリックすると「出島石組と池中立石」の案内板(600x450)が表示されます。
右の写真をクリックすると「立石と出島周辺の修復作業」の案内板(600x450)が表示されます。

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