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2019/10/18(13:37,13:37) 「すわ緑地」の入口と「ケルン・鎮魂の鐘と光」。
「ケルン・鎮魂の鐘と光」は、久慈港に隣接する公園「すわ緑地」にあり、
東日本大震災の経験と教訓を後世に伝えようと、久慈市民により一口500円の
ワンコイン寄付を集め、震災の瓦礫を土台にして、市民が持ち寄った石を積み上げ、
久慈市を襲った津波と同じ高さ14.5mのケルンを築いたもので、 市民が力を合せて建立した復興の標である。
平成28年(2016)には、「希望郷いわて国体」に出席するため岩手県を訪れた 「秋篠宮ご夫妻」が「ケルン・鎮魂の鐘と光」を訪問。
被災者や地域住民らと共に、「鎮魂と希望の鐘」を鳴らし、海に向かって黙礼された。
参考:東日本大震災で襲った久慈市の津波高14.5mは、「久慈南海岸」での
津波水位標高であり、ケルンが立つ「諏訪下地区」での津波水位標高は、9.5mである。 左の写真、「すわ緑地(ケルン・鎮魂の鐘と光)」の入口は、防潮堤の切れ目にあり、目立たない。 左の写真をクリックすると「ケルン・鎮魂の鐘と光」の案内が表示されます。 この画像は、1,200x650ピクセルあります。
案内に書かれる文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
右の写真には写らないが、「ケルン」の脇には「鎮魂と希望の鐘」が設置されている。
右の写真をクリックすると別角度から撮る「ケルン・鎮魂の鐘と光」が表示(600x450)されます。 |
2019/10/18(13:39) 「すわ緑地」西側の広場と遊具。 写真奥には、滑り台やブランコが見えている。
「すわ緑地」は、大きく2つのエリアに分かれ、 西側は、広場や遊具。 東側には、記念碑等が立ち、その2つのエリアの 境界付近に「ケルン・鎮魂の鐘と光」が立つ。
なお、本ページでは、「ケルン・鎮魂の鐘と光」の 立つ場所を、入口の標識に書かれた「すわ緑地」と
記述しているが、「JC公園」と記述する HPもあり、「すわ緑地」にある公園の名前が 「JC公園」と解釈するが、もしかすると
「すわ緑地」全体が「JC公園」なのかも?。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2019/10/18(13:40) 「鎮魂と希望の鐘」。 「ケルン」には、斜めに貫かれた穴 (直径30cmのステンレス管)がある。 東日本大震災が発生した日時、3月11日の 午後2時46分になると、この穴を通り抜ける 太陽光が「鎮魂と希望の鐘」の鐘に当たる
設計になっていて、毎年3月11日には、 この場所に市民が集い、祈りをささげる。 写真をクリックすると鐘の周りを切抜く 画像(600x450)が表示されます。 |
2019/10/18(13:42)
「久慈湾開発起源の碑」。 碑には、東日本大震災の傷跡が残る。 |
2019/10/18(13:42)
「山内堯文先生寿像」。 「山内堯文(ぎょうぶん)」は、 昭和29年(1954)に久慈市が発足した時の 初代市長で、昭和53年(1978)まで、 6期に渡り久慈市長を務めた。 |
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2019/10/18(13:43) 「東北お遍路巡礼地」。 遊歩道脇の木標には、「東北お遍路巡礼地」とあり、
「ケルン・鎮魂の鐘と光」は、東日本大震災で 被災した福島県から青森県までの沿岸地域を結ぶ 1,700kmの道のりを「慰霊と鎮魂の道」として、 この道(お遍路)から「千年先までも語り継ぎたい 津波の被災地」の一つ(東北お遍路巡礼地)に 指定されている。 |
2019/10/18(13:44) 「開港記念之塔」。 塔は、「すわ緑地」の最東端に立つ。
銘板には、昭和43年8月4日とあり、 この日は、「久慈新港」が開港。 市内では、旗行列や記念塔の除幕式等、
多くの記念行事が行われたという。
写真をクリックすると近づいて撮る 「開港記念之塔」が表示(450x600)されます。 |
2019/10/18(13:45)
「開港記念之塔」から見る公園。 「四阿」の奥に駐車場。駐車場の奥に、 「ケルン」が見えている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2019/10/18(13:46)
「すわ緑地」から見る「久慈港」。
久慈港は、久慈湾の最奥部に位置し、「すわ緑地」は、港の中心となる延長約1kmの「掘込式港」の
入口付近「諏訪下地区」にあり、港の北側には、石油備蓄基地や造船工場が立地する「半崎地区」がある。
久慈湾に入り左右への行き場を失った東日本大震災の津波は、防潮堤を越えて久慈市街地へと向かい、
全半壊の被災家屋は、278棟に及んだが、久慈市での死者・行方不明者は、6人で済んでいる。 写真をクリックすると「東日本大震災」の被災状況(800x400)が表示されます。 |