大内宿

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2014/9/30(13:24,13:27)
「大内宿」の駐車場と南から北の方向に見る街並み。
「大内宿」は、福島県南会津郡下郷町大内にある旧宿場で、江戸時代の初期には、会津と日光(今市)を結ぶ
「会津西街道」の宿場町として栄え、会津藩主参勤では、総勢600人に及ぶ行列で大変な賑わいであったという。
全長約450mの旧街道沿いには、茅葺き民家の街割りが整然と並び、現在でも、当時の雰囲気をよく残している。
この日は平日であったが、駐車場を利用する車の台数は多い。この駐車場は有料なのだが、「町並み展示館」と
宿泊、食事、土産物等を除けば、他に料金を取られるような所はない。
右の写真をクリックすると「下郷町大内宿伝統的建造物群保存地区」の案内板(960x400)が表示されます。
2014/9/30(13:28)
「大内宿」の街並み。
写真左に、土産物「糸屋」。
南北に延びる旧街道沿いには、50軒近くの店が並び、
そのほとんどは、土産物屋を営むが、その中に4軒の
民宿と15軒の食事処が混在する。
注:軒数については、当時の「大内宿観光協会」の
ホームページからダウンロードした、案内地図による。
2014/9/30(13:29)
土産物「扇屋(分家)」。
親族と思われるが、当時の案内地図には、
「扇屋(分家)」という名前の店が数軒ある。
2014/9/30(13:29)
右の白い蔵造り建物が、民宿、土産物「扇屋(本家)」。
2014/9/30(13:30)
写真奥に「高倉神社」。
南北の中間付近を西(左)に歩くと「高倉神社」が
ある。
治承4年(1180)、第77代後白河天皇の第3皇子
「高倉似仁王(もちひとおう)」が平家追討に失敗して、
この地に落ち延び、「大内宿」に逗留したと言い伝え
られており、「高倉神社」は、この「高倉似仁王」を祀り、
毎年7月には、家内安全や五穀豊穣を祈願する
「半夏(はんげ)祭り」が開催されている。
2014/9/30(13:30)
「火の見やぐら」。
「高倉神社」入口にある鳥居の反対(東)側にある。
奥に写る土産物屋「えびす屋(分家)」では、屋根の
葺き替えが行われていた。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2014/9/30(13:33)
「大内宿町並み展示館(大内宿本陣跡)」。
茅葺きで殿様専用の玄関等が復元された本陣の
建物内では、当時の風習を伝える写真や生活用具が
展示されている(有料)。
なお、「本陣」とは、大名や旗本、幕府役人等の
宿泊所として指定された家のことで、原則、一般の人を
泊めることは許されず、「宿屋」とは異なる。
写真をクリックすると「大内宿街並み展示館
(大内宿本陣跡)」の案内板(800x600)が表示されます。
2014/9/30(13:34)
街道沿いに造られた「石の祠」。
2014/9/30(13:35)
奥の突き当たりに「浅沼食堂(扇屋分家)」。
「浅沼食堂(扇屋分家)」は、「大内宿」の街並みの
北端に位置し、建物裏の山にある「見晴台」からは、
「大内宿」の全体を見渡すことができる。
2014/9/30(13:42)
「浅沼食堂(扇屋分家)」。
会津の殿さまが「これは美味じゃ」と唸ったという
「高遠そば」は、蕎麦に鰹節をかけ、大根おろしを入れた
だし汁につけ、一本の長ネギを箸の代わりにして食する
もので、「ネギそば」とも呼ばれ「大内宿」の名物と
なっている。
この「高遠そば」の名前は、信濃高遠で育ち蕎麦好きで
あった陸奥会津藩23万石の初代藩主「保科正之」が、
会津転封の際に、高遠から一緒に連れて来た蕎麦打ち
職人が広めたことに由来するという。
また、囲炉裏端で焼く「岩魚の串焼き」にも人気がある。
2014/9/30(13:42)
「浅沼食堂(扇屋分家)」左側の石段。
「浅沼食堂(扇屋分家)」の両側には石段があり、
左側の石段上には「子安観音」、右側の石段の上には
「弁天様」がある。
そして「子安観音」と「弁天様」の間に「見晴台」がある。
2014/9/30(13:42)
「浅沼食堂(扇屋分家)」左側の石段。
石段を登った所には「子安観音」がある。
なお、この石段を登らずに写真左の方向に進むと
「正法寺」を経由して「子安観音」に至る「迂回路」もある。
写真をクリックすると石段横に立つ「迂回路」の
案内板(450x600)が表示されます。
2014/9/30(13:44)
「子安観音」。
女性や子供の守り神で、5月には年に一度の御開帳が
あり、この時には地元婦人会によりお神酒や、お赤飯が
振る舞われるという。
写真をクリックすると向拝下から撮る「社号額」が
表示(600x450)されます。
2014/9/30(13:45)
「見晴台」からの景色。
「子安観音」のすぐ東側にある「見晴台」からは、
「大内宿」の全体を見渡すことができ、「大内宿」で、
一番の撮影ポイントである。
写真一番手前に写る「茅葺き屋根」は、「浅沼食堂
(扇屋分家)」である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2014/9/30(13:45,13:46)
「見晴台」からズームで撮る写真。
左の写真は、2倍ズーム、右の写真は3.75倍ズームで撮影。
両方の写真共、クリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2014/9/30(13:53)
「子安観音」付近から見る「見晴台」。
一人だけ少し後ろにさがって、一段高い場所から景色を
見ている人にお気づきだろうか。
この場所からの写真も撮影してみたが、後ろにさがる分、
左右の木が写真に入り込んでしまう。
写真をクリックすると見晴台の後方(一段高い場所)から
撮る写真(600x450)が表示されます。
2014/9/30(13:54)
「正法寺」。
帰りは、石段を利用せず迂回路を下りる。
2014/9/30(13:55)
石段下の「案内板」。
13時27分の写真で紹介する「下郷町大内宿伝統的
建造物群保存地区」の案内板は、この案内板を撮影
したものである。
2014/9/30(13:56)
「大内宿」の北側から南の方向を撮る。
2014/9/30(13:57)
土産物「美濃屋(阿部家)」。
玄関入り口には「名主 阿部家」の看板が掛かる。
写真をクリックすると「阿部家 美濃屋」の
案内板(800x600)が表示されます。
2014/9/30(14:00)
「郵便ポスト」。
明治4年郵便創業時に東京市内に設置されていた
ポストを移設したとあり、箱には「書状集箱」と書かれる。
また、「赤いポストと同様にご利用下さい」とも書かれ、
現役のポストである。
写真をクリックすると「郵便ポスト」の案内板(450x600)が
表示されます。
2014/9/30(14:01)
土産物、食堂「本家玉屋(佐藤家)」。
案内板には「後白河天皇の第2皇子似仁王が
草鞋を脱がれたという由緒ある家」とある。
写真をクリックすると「佐藤家(玉屋)」の
由来(800x600)が表示されます。
注:「以仁王」は、後白河天皇の第3皇子なのだが、
「平家物語」では兄の「守覚法親王」が仏門に入った
ため、第2皇子とされている。
2014/9/30(14:04)
民宿、土産物、食堂「山形屋」。
2014/9/30(14:06)
民宿、土産物、食堂「大黒屋」。
2014/9/30(14:07)
土産物「松川屋」。
2014/9/30(14:08)
民宿、土産物「扇屋(本家)」。
民宿は他にもあるが、「蔵」に泊まれるのは「大内宿」の
中でも、ここ「扇屋(本家)」只一軒だけだという。
2014/9/30(14:12)
「大内宿」の中央付近から南の方向を撮る。
2014/9/30(14:14)
街道沿いに咲く「コルチカム」。
2014/9/30(14:12)
「大内宿」の中央付近から北の方向を撮る。
左に、土産物、食堂「山本屋」、右に、土産物、食堂「みなと屋」。
2014/9/30(14:15)
土産物「松美屋」。
「山野草 花の松美屋」と書かれ、店頭には
花器に載せられた「コルチカム」等も並ぶ。
また、おかみさんの手書きだというエッセイには
「来てくれてありがとう」「ゆっくりゆっくり楽しんで下さい」
「夏にはほたるが楽しめます」等の言葉が並ぶ。
写真をクリックすると「松美屋」の店頭に並ぶ
商品(600x450)が表示されます。
2014/9/30(14:20)
土産物、食堂「三澤屋」。
2014/9/30(14:21)
土産物「吉美屋」。
街道の西側に並ぶ店の中では、一番駐車場に近い。
特に食事や買物をするわけでもなく、写真を撮りながら
のんびりと街道を一往復。一時間程の散策であった。

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