原釜尾浜海浜公園
(伝承鎮魂祈念館等)

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2019/10/16(7:50,7:52)
「原釜尾浜海浜公園」の展望台。
「原釜尾浜海浜公園」は、風光明媚なことで知られた「松川浦」と太平洋を繋ぐ
唯一の水路に架かる「松川浦大橋」の西詰に整備された公園である。
公園には、人工磯や、展望台、東屋などがあり、遠浅で波の穏やかな海岸は、
東日本大震災の津波で被災。閉鎖されていた海水浴場も平成30年(2018)に
再開しており、夏のシーズンには、海の家や公共シャワーなどもオープンする。
右の写真をクリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。
なお、どちらの写真も、空の色が白くなっているのは、逆光線で撮影のためである。
2019/10/16(7:54)
展望台から見る西側の景色。
公園のすぐ西側に位置する「相馬港」は、
明治以降、漁港して栄えた時期もあったが、
近年では、背後に立つ発電所の燃料や
工業原材料等の物流拠点として重要な、
工業開発型の港となっている。
写真には、出力100万kwの石炭火力発電2基、
国内最大級という「相馬共同火力発電株式会社
新地発電所」の煙突が写る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/16(7:54)
展望台から見る東側の景色。
写真中央付近に「松川浦大橋」。
「松川浦大橋」の左には、「相馬双葉漁協」や
卸売市場の建物が写る。
写真をクリックすると中央左寄りを切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2019/10/16(7:58)
公園内に立つ案内板。
案内板には、「東日本大震災による被災状況」と
「粘り強い海岸堤防のしくみと役割」が
書かれている。
2019/10/16(8:00)
「相馬市伝承鎮魂祈念館」。
「東日本大震災」の津波により失われた
尾浜・原釜地区、磯部地区の震災前後の風景等を
写真で紹介。そして、震災で得た経験や教訓を
後世に伝承するために建てられたという。
記念館の前に立つ鳥居は、「五龍頭神社」。
2019/10/16(8:01)
「相馬市伝承鎮魂祈念館」。
できれば中を覗いてみたかったのだが、
この日から4日前の12日夕方伊豆半島に上陸。
13日朝にかけて、関東から東北地方を縦断した
台風19号の影響で臨時休館となっていた。
2019/10/16(8:02,8:03)
「相馬市東日本大震災慰霊碑」。
平成23年(2011)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmで発生した
地震のマグニチュードは9.0。
地震発生から約1時間後、相馬市を襲った高さ9mの大津波は、
集落を破壊、家々を呑み込みながら、海岸から約4km先まで流れ込み、
尾浜・原釜地区周辺の207名を含め、相馬市民458名の尊い命を奪った。
慰霊碑に写り込む周囲の景色は、まるで絵画のようである。
右の写真をクリックすると慰霊碑に刻まれる「碑文」が表示(950x654)されます。
2019/10/16(8:03)
「奇跡の藤」。
東日本大震災の大津波は、「笠岩公園」の
名所となっていた「藤棚」も直撃するが、
2ヶ月後の5月には一輪の「藤の花」が咲く。
この「藤」を守ろうと「奇跡の藤を守る会」が発足。
「奇跡の私・藤の花」の歌が生まれたとある。
写真をクリックすると「奇跡の藤」の
案内板(800x650)が表示されます。
2019/10/16(8:05)
「相馬港 沖防波堤 災害復旧事業」の記録碑。
東日本大震災で倒壊した防波堤は6年の歳月をかけ、
平成30年3月、堤長2,730mの防波堤を復旧。
左奥に写る灯台のような建物は、公衆トイレ。
写真をクリックすると石碑に刻まれる
「復旧事業の記録」が表示(1,000x600)されます。
2019/10/16(8:05)
「笠岩公園」。
遊具は、「ブランコ」と「滑り台」しかない
小さな公園だが、「伝承鎮魂祈念館」や
「東日本大震災慰霊碑」が建ち、震災を忘れない
ためのメモリアル公園となっている。

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