瑞楽園

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2017/10/17(9:12,9:12)
「瑞楽園」入口脇の看板と入口から見る「旧對馬家母屋」。
国指定名称「瑞楽園」は、JR東日本と弘南鉄道の「弘前駅」から北西に約8.5kmの
弘前市大字宮舘にあり、津軽藩政時代に高杉組の大庄屋を代々努めていた宮舘地区の
豪農「對馬家」の書院庭園として造られた「大石武学流枯山水式庭園」である。
当時の武学流造園庭師の第一人者「高橋亭山」が、明治23年(1890)から15年をかけ造庭。
その後、昭和に入り「亭山」の門弟2人が増改庭し、昭和11年(1936)に完成したという。
右の写真、江戸時代後期に建てられたという「旧對馬家」の母屋は、
木造茅葺平屋建450.7㎡(約152坪)。
2017/10/17(9:14)
母屋から見る「大石武学流枯山水式庭園」。
この庭園は、「鑑賞式の庭園であることから、
奥坐敷あるいは縁先から鑑賞するのが好ましい」
ということで、観光客が庭を散策することは
許されていない。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/17(9:18)
母屋から見る「大石武学流枯山水式庭園」。
庭園の面積は、約400坪。使われている庭石の数約460個、植えられる樹木は、約270本という。
2017/10/17(9:16)
「飛び石」は、V字型に間隔を広く並ぶ。
V字型に並べられた「飛び石」は、人が渡るには、
飛び跳ねなければならない程に間隔が広く、
人が歩くためよりも、鑑賞式の庭園として、
視線を奥の主景に誘い込み、奥深さを
感じさせるための、美観的な役割を持つという。
左側に並ぶ「飛び石」の先には「拝石」。
右側の「飛び石」の先には「手水鉢」が置かれる。
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2017/10/17(9:25)
母屋から左(東)方向に見る庭園。
庭の中央部から左(東)側の部分は、
「亭山」の門人「池田亭月」と、
その弟子「外崎亭陽」により増改庭され、
東屋や雪見燈籠、春日燈籠等が配される。
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2017/10/17(9:25)
母屋から前(南)方向に見る「主景」。
「排石」の延長上に、「頭位松」と名付けられた
斜幹仕立てのクロマツを「主木」とし、
奥には、枯滝や枯池を設けて石橋を架け、
これが、庭の「主景(主軸線)」となっている。
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2017/10/17(9:25)
母屋から右(西)方向に見る庭園。
庭の中央部から右(西)側の部分は、
「高橋亭山」の作庭で、鳥居と稲荷神社、
野火燈等が配される。
また、鳥居の前には、庭園由来を記した石碑や、
増改庭する際に描いた庭図が残されている。
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2017/10/17(9:30)
「旧對馬家母屋」の「土蔵」。
庭園を見た後は、「旧對馬家母屋」の中を見学。
2017/10/17(9:31)
「土蔵」の中。
2017/10/17(9:32)
「土蔵」の床に設けられた「隠し金庫」。
写真に写る人は、現地常駐の案内人で、
家の中を一緒に回り、案内(説明)をしてくれた。
2017/10/17(9:33)
「土蔵の扉」。
「土蔵」の内扉は、何重にもなっており、
その内一枚は厚い鉄板である。
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2017/10/17(9:34)
当時使われていた、道具等を展示する部屋。
2017/10/17(9:35)
床の間の「掛軸」。
「掛軸」に表装されているのは、増改庭の際に
描かれたという「庭図」である。
写真をクリックすると「庭図」の部分を
切抜く画像(450x600)が表示されます。
2017/10/17(9:36)
当時の様子を再現した部屋。
2017/10/17(9:37)
「旧對馬家母屋」を出る。
この日は、詳細が分からず寄れなかったのだが、
ここから北東約600m程には、重要美術品を含む
47基の「板碑」が並ぶ、「中別所板碑群」がある。
この「板碑群」は、「合浦山水観に描かれた
幕末期の姿を止め、薬研彫(やげんぼり)の
梵字も津軽の板碑中傑出したものばかり」
というので、是非寄られることをお勧めする。

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