三内丸山遺跡

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2011/10/27(10:44)
「三内丸山遺跡」前広場。
この場所は、人の乗り降りだけで、車の駐車場は
別の場所にある。
国特別史跡「三内丸山遺跡(さんないまるやま
いせき)」は、縄文時代前期~中期(約5,500~
4,000年前)の大規模集落跡で、平成15年には
出土品1,958点が重要文化財に指定され、
青森県が保存・整備を進めている。

2011/10/27(10:46)
「縄文時遊館」入口。
「縄文時遊館」は、「三内丸山遺跡」の中心と
なる建物で、中には「総合案内」「ミュージア
ム」「体験工房」「レストラン/売店」等が
あり、入館は無料である。

2011/10/27(10:48)
「三内丸山遺跡」案内板。
地図の左下に「縄文時遊館」が書かれ、その右に
「ピクニック広場」、上に丸く囲まれているのが
「三内丸山遺跡」である。
写真をクリックすると案内板の地図が
表示されます。
この地図は、960x1,280ピクセルあります。
地図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。

2011/10/27(10:48)
「縄文時遊館」エントランスホール。
エントランスホールでは、シンボルの「土器」が
迎えてくれる。
写真をクリックすると拡大画像(450x600)が
表示されます。
2011/10/27(10:49)
「三内児童館ねぶた」。
「縄文時遊館」エントランスホールに飾られて
いた。
2011/10/27(10:52)
「縄文時遊館」の中から「時遊トンネル」を抜け
「三内丸山遺跡」に向かう。
写真は、「時遊トンネル」を出たところで
振り返って撮影。
2011/10/27(10:53)
「環状配石墓と道路跡」。
「縄文時遊館」を出て「遺跡」の方向に向かう
道の左側にあり、「付近の斜面からは、直径4m
くらいのストーンサークルが確認された」と
ある。
写真をクリックすると拡大画像(800x600)が
表示されます。
2011/10/27(10:54)
「三内丸山遺跡」調査の経緯と遺跡の概要。
「野球場建設予定地であったが、日本考古学史上
例を見ない巨大な縄文時代集落が発見されたこと
から野球場の建設を中止した」とある。
写真をクリックすると拡大画像(800x600)が
表示されます。
2011/10/27(10:55)
「竪穴住居跡」に向かう。
「竪穴住居跡」では、550棟以上の住居跡が
見つかり、15棟を復元しているという。
2011/10/27(10:55)
「竪穴住居跡」への道で見る景色。
左に「大型掘立柱建物跡」。中央付近左の白い建物内に「南盛土」。中央右が「竪穴住居跡」。
2011/10/27(10:57)
「茅葺住居」。
縄文時代中期中頃(約4,500年前)のもの。
楕円形で、長軸方向の長さ約4m。
住居の中には柱を立てた穴がないため、柱は
住居の外側に作られていたと考えられるという。
2011/10/27(10:58)
「竪穴住居の復元」の説明板。
「住居の復元は、建築学、考古学、民俗学の
専門家からなる集落復元検討部会の検討を経て
復元した」とある。
写真をクリックすると案内板が
拡大表示されます。
この案内板は、1,280x960ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2011/10/27(10:59)
「樹皮葺住居」。
竪穴住居の建築材が出土することは極めて
まれで、屋根の構造や材料を具体的に推定する
のは難しいが、民族例を参考にすると、樹皮葺の
住居があった可能性があるという。
2011/10/27(10:59)
「土葺住居」。
岩手県御所野遺跡では、焼け落ちた材を覆うよう
に葺土が確認されており、縄文時代に土葺屋根の
住居があったことが分かっているという。
2011/10/27(11:00)
「茅葺住居」。
縄文時代中期中頃(約4,500年前)のもの。
ほぼ円形で直径約4m。
柱を立てた穴が4ヶ所確認され、出入口は
利用しやすいように柱の間隔が広くなっていた
という。
2011/10/27(11:02)
「茅葺住居」。
縄文時代中期中頃(約4,500年前)のもの。
楕円形で、長軸方向の長さ約6m。
柱を立てた穴が6ヶ所確認され、住居の隅に土を
盛り上げ、そこに小さな穴を掘っていたり、
屋根裏も利用されていた可能性があるが、
何に使われたかは分かっていないという。
011/10/27(11:05)
「竪穴住居跡」から見る「三内丸山遺跡」。
左が「竪穴住居跡」。右に「掘立柱建物」が3戸並ぶ。なお、一番奥の「掘立柱建物」には、「大型竪穴住居」が重なっている。
2011/10/27(11:06)
「大型竪穴住居跡」。
縄文時代前期のもので、長さ15m。集会所、
共同作業所、冬期間の共同家屋などの説がある
という。
奥に建つ左端の建物が、復元された「大型竪穴
住居」。
2011/10/27(11:08)
「掘立柱建物」。
縄文時代中期中頃(約4,500年前)の高床建物で、
長さ9.1m、幅4.9m、高さ約7m。
用途は、倉庫か住居であったと考えられると
いう。
2011/10/27(11:09)
「大人の墓(土坑墓)」。
ガラスに光が反射し、中は肉眼でも、ほとんど
見えなかった。
曇りの日の方がよく見えるかもしれない。
次の写真に「説明板」があります。
2011/10/27(11:11)
「大人の墓(土坑墓)」の説明板。
大人の遺体は、地面に楕円形の穴を掘り
埋葬した。「三内丸山遺跡」では、二列に並んで
向かい合うように墓が配置されていたとある。
写真をクリックすると拡大画像(800x600)が
表示されます。
2011/10/27(11:13)
「掘立柱建物」。
縄文時代中期中頃(約4,500年前)の高床建物で、
長さ8.4m、幅4.2m、高さ約6m。
用途は、倉庫か住居であったと考えられると
いう。
2011/10/27(11:13)
「掘立柱建物」。
縄文時代中期中頃(約4,500年前)の高床建物で、
長さ6.3m、幅3.5m、高さ約6m。
用途は、倉庫か住居であったと考えられると
いう。
2011/10/27(11:14)
「泥炭層」の説明板。
縄文時代前期~中期の「ゴミ捨て場」。
通常なら腐って残らないようなものも「泥炭層」
のため残り、貴重な遺物が出土したという。
写真をクリックすると拡大画像(600x450)が
表示されます。
2011/10/27(11:15)
「大型竪穴住居」。
縄文時代中期後半(約4,300年前)の竪穴住居で、
長さ約32m、幅約9.8m、床面積は
252.4㎡。
日本では最大規模で、共同作業所や集会所として
使われたとの説があるという。
2011/10/27(11:16)
「大型竪穴住居」の中。
建物は、19本の太い柱で支えられ、柱の間隔
は、全て70㎝の倍数であることから、当時から
長さの単位(縄文尺)があったと考えられると
いう。
写真をクリックすると拡大画像(600x450)が
表示されます。
2011/10/27(11:17,11:19,11:22)
「大型掘立柱建物」。
縄文時代中期後半(約4,500年~4,000年前)のもので、専門家の中でも、建物説と非建物説に分かれているという。
柱穴は、直径・深さとも約2mで、他の建物跡と比べても規模が大きく、この穴が3個ずつ2列に配置され、間隔は4.2mと規則的であった。
上部構造は、現存するクリの巨木の幹高を参考に15mとし、柱の間隔と同じ4.2m間隔に3層の床を設けた。
また、屋根については、その構造や材料について、今後の専門的な検討に委ねることとし復元しなかったという。
左と中央の写真は、クリックすると拡大画像が表示されます。
2011/10/27(11:22)
下から仰ぎ見る「大型掘立柱建物」。
2011/10/27(11:23)
「北盛土」。
竪穴住居などを掘ったときの土や、土器、石器等
の生活廃棄物を、約1,000年にわたり捨てた場所。
写真をクリックすると拡大画像(600x450)が
表示されます。
2011/10/27(11:25)
「子供のお墓(埋設土器)」。
子供は土器に入れて埋葬したという。
周辺で約550個(パンフレットでは、800基以上)の
埋設土器が見つかっているという。
写真をクリックすると拡大画像(600x450)が
表示されます。
2011/10/27(11:26)
「大型掘立柱建物」周辺の景色。
左手前に「北盛土」に捨てられた土器などが見学できる建物。その奥に3戸の「掘立柱建物」。中央付近に「大型竪穴住居」。
その右に「大型掘立柱建物」。一番右のドーム型建物の中には「大型掘立柱建物跡」がある。
2011/10/27(11:28)
「大型掘立柱建物」と「大型竪穴住居」。
写真をクリックすると拡大画像(600x450)が
表示されます。
2011/10/27(11:29)
「特別史跡 三内丸山遺跡」の石碑。
後ろの建物は、当時模様替え中(10時48分の案内板
では「休憩所」となっている)であったが、
本ページ作成時点(2012年2月)で、「三内丸山
遺跡」の公式HPに掲載されているパンフレット
では、「展示室」となっており、「土器、石器を
はじめ、ヒスイ製品、土偶など、出土品を多数
見学することができる」とある。
2011/10/27(11:36)
「さんまるミュージアム」。
「縄文時遊館」の中にあり、「三内丸山遺跡」で
出土した重要文化財の他、縄文人の生活を
再現した展示等を行っている。
この中も無料で見学することができる。
2011/10/27(11:31)
模様替え中の建物(2012年2月現在:展示室)前で見る「三内丸山遺跡」。
左から、「大型掘立柱建物跡(ドーム型建物)」、「大型掘立柱建物」と、その奥に「子供のお墓(ドーム型建物)」。
「大型竪穴住居」、「掘立柱建物(3戸が重なって写る)」、「竪穴住居跡(小さく写る)」、そして「南盛土(白い建物)」。
2011/10/27(11:38)
「縄文人のこころコーナー」。
「さんまるミュージアム」の中にある。
2011/10/27(11:38)
「さんまるミュージアム」の中の様子。
2011/10/27(11:39)
「土器展示ステージ」。
「さんまるミュージアム」の中にある。
2011/10/27(11:41)
「縄文人の家族の風景」。
「さんまるミュージアム」の中にある。
2011/10/27(11:41)
企画展「縄文の人のかたち」の様子。
「さんまるミュージアム」では、2,000点を超える
出土品の中から、人が描かれた土器片と土偶を
中心にした展示(企画展)が行われていた。
2011/10/27(11:44)
「縄文時遊館」を出る。
「体験工房」では、材料費が必要であるが、
この日は駐車場を含め、かかった費用は0円。
見るものも多く、ちょっと得した気分であった。
なお、「特別史跡 三内丸山遺跡」の公式ホーム
ページは、内容が充実していますので興味のある
方は、一度ご覧になって下さい。

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