藩境塚

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2017/10/18(15:49,15:50)
南部藩(野辺地)側駐車場脇に建つ「馬門御番所」と「高札」。
「藩境塚」は、JR大湊線と青い森鉄道青い森鉄道線の「野辺地駅」から北西に約4.7km、
旧奥州街道沿いの東津軽郡平内町と上北郡野辺地の境、江戸時代の南部藩と津軽藩の
境界に築かれた土盛りの塚である。
当時は、「番所」が設けられ、通行する人や物資の取り締まりを行ったという。
左の写真、門には、「馬門御番所」と書かれ、奥に建つ番所風の建物は「公衆トイレ」。
左の写真をクリックすると「藩境塚」の案内板(800x450)が表示されます。
右の写真、「高札」には、手形なしに南部領内から外に持ち出すことを禁じた品々が、
箇条書きされている。
右の写真をクリックすると掲示板を撮る写真から「高札」を切抜く画像が表示されます。
この画像は、1,200x650ピクセルあります。
「高札」の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2017/10/18(15:52)
駐車場脇の坂を下りる。
2017/10/18(15:54)
南部藩(野辺地)側で見る「藩境塚」と「陸奥(野辺地)湾」。
個々の塚の大きさは、直径約10m、高さ3.5m。南部藩側と津軽藩側に各々2基ずつ、
計4基あることから、通称「四ツ森」とも呼ばれ、県の史跡にも指定されている。
2017/10/18(15:53)
南部藩(野辺地)側で見る「藩境塚」。
塚の築造時期については、正確には分からないが、
正保年代(1644-1648)以前といわれる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/18(15:55)
藩を分ける「二本又川(境の川)」。
写真右が、南部藩領地。
標柱には、「従是東南盛岡領」。
左が、津軽藩領地。
標柱には、「従是西北津軽本次郎領分」とある。
写真奥に写るのは、下北半島の西部(恐山山地)。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/18(16:00)
津軽藩(平内町)側の塚。
写真右の道を上ったところにも駐車場があり、
駐車スペースは、南部藩(野辺地)側よりも
広いのだが、「藩境塚」を示す標識のようなものは
何も無かったようである。
2017/10/18(15:58)
海(陸奥湾)側から見る「藩境塚」。
右が、津軽藩領地。左が、南部藩領地。
海側の2基は、海蝕により、崩壊の恐れがあったが、修覆され、波除けも設けられている。
2017/10/18(16:00)
津軽藩(平内町)側で見る「藩境塚」。
2017/10/18(16:02)
写真左上に、南部藩(野辺地)側の駐車場。
2017/10/18(16:04)
南部藩(野辺地)側の駐車場に戻る。
写真右に写る「電柱」の影に立つのは、
今では珍しくなった、「公衆電話ボックス」。

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