青函連絡船メモリアルシップ
「八甲田丸」

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2017/10/18(10:28,9:32)
「八甲田丸」が繋留される岸壁の駐車場と「八甲田丸」。
明治41年(1908)に、青森港と函館港を結ぶ鉄道連絡船として就航した「青函連絡船」は、
大正14年(1925)に、大型車載客船「翔鳳丸」型4隻による鉄道車両の航送を開始。
昭和29年(1954)の台風15号「洞爺丸台風」では、「洞爺丸」他4隻(計5隻)が沈没。
1,430名に及ぶ死者・行方不明者を出すが、最盛期の昭和47年(1972)には、
1日に30往復が運行される等、80年間に及ぶ航海距離は、地球2,019周分に相当する。
しかし、昭和50年代に入ると、旅客の数、貨物の量、共に減少。
昭和63年(1988)、青函トンネルにその役割を譲り終航する。
本ページで紹介する「八甲田丸」は、青函連絡船終航日の青森側最終便として運行された船で、
現在、青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」として、就航当時の状態に保存され、
青森駅の北側、かつての青森第2岸壁に繋留されている。
「八甲田丸」の主要データ、全長:132m、全幅:17.9m、総トン数:5,383㌧、
旅客定員:1,286名、積載車両:48両、エンジン:1,600馬力X8基、速力:18.2kt。
左の写真、「八甲田丸」が繋留される岸壁の駐車場は、駐車台数は少ないものの無料で利用できる。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2017/10/18(9:33)
「八甲田丸」の乗船口。
乗船口は、2階「船楼甲板」にある。
2017/10/18(9:34)
「乗船口」を入ったところ。
乗船口を入ると、右に「チケットカウンター」。
正面に「りんご市場」のジオラマがあり、
左側奥には、記念撮影用の乗組員制服が置かれ、
毛布を独自の技法で折った「飾り毛布」等が
展示されている。
2017/10/18(9:35)
3階「遊歩甲板」に上がる。
ここから先が、有料エリアとなる。
写真をクリックすると船内案内図が表示されます。
この案内図は、700x960ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、
表示された画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2017/10/18(9:37)
「大衆魚菜市場」。
3階「遊歩甲板」の船尾側は、昭和30年代の
青森駅前と連絡船待合室等の様子をジオラマで
表現した「青函ワールド」。
なお、展示される作品は、平成23年(2011)まで、
東京の「船の科学館」で公開されていた「羊蹄丸」
に展示されていたものを移設したという。
2017/10/18(9:37)
「行商の人たち」。
2017/10/18(9:45)
「船内食堂」。
2017/10/18(9:46)
「赤帽」。
2017/10/18(9:47)
「青函鉄道連絡船記念館」。
3階「遊歩甲板」の船首側では、歴代青函連絡船の
模型や当時の資料などを展示すると共に、
船長室など当時の船内の様子が再現されている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/18(9:49)
「グリーン船室」。
奥の、ディスプレイでは、ビデオシアター
「青函連絡船─栄光の軌跡─」を上映している。
2017/10/18(9:50)
「桟橋助役」。
2017/10/18(9:52)
「船長室」。
2017/10/18(9:53)
「サロン会議室」。
2017/10/18(9:54)
4階「航海甲板」に上がる。
2017/10/18(9:56)
「操舵室」。
写真左手前は、「ジャイロコンパス」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/18(9:56)
「号鐘」。
元は、相手の船に船位を知らせたり、船員の
勤務交代を知らせるために使用されたが、
レーダーや霧笛等の設備により、近代船では、
「船のシンボル」として付けられていたとある。
2017/10/18(9:58)
「無線通信室」。
2017/10/18(9:58)
「操舵室」から甲板に出る。
使われなくなった煙突は、「展望台」に
なっており、煙突の上からの景色を
楽しむことができる。
2017/10/18(10:00)
「煙突」の中。
壁際に立つパイプは、地下(B1)にある
1,600馬力X8基のディーゼルエンジンに
繋がる。
2017/10/18(10:01)
「煙突展望台」から見る船首の方向。
船は、北ではなく北東の方向を向いて停泊する
ため、正面の景色は、「下北半島」ではなく、
「浅虫温泉」の辺りになるであろう。
2017/10/18(10:01)
「煙突展望台」から見る船尾の方向。
青森の頭文字「A」の文字を模った主塔の「斜張橋」は、青森港の貨物運搬の渋滞緩和を目的として造られた
「青森ベイブリッジ」。夜間はライトアップされるなど、青森のデートスポットであり、観光の名所にもなっている。
「青森ベイブリッジ」の手前、青森港内にかかる橋は、「八甲田丸」と、「青い海公園」とを結ぶ、歩行者専用の遊歩道「青森ラブリッジ」。
写真右に写るのは、かつては、青森駅と青函連絡船を結んだ連絡橋だが、今も利用することができ、現在名「青い海公園連絡橋」。
青函連絡船が運んだ車両は、基本的に「貨車」で、「列車」の乗客は、一旦青森駅で降りて、連絡橋を歩いて連絡船に向かっていた。
2017/10/18(10:03)
「煙突展望台」を下り、「操舵室」の
屋上に向かう。
2017/10/18(10:04)
「操舵室」の屋上から見る船首。
左前方の建物は、「旅客船ターミナル」。
「旅客船ターミナル」は、青森と下北半島を結ぶ
「高速旅客船」が発着する。
2017/10/18(10:05)
「操舵室」の屋上から見る船尾の方向。
2017/10/18(10:08)
4階「航海甲板」からエレベータで、
1階「車両甲板」に下りる。
「車両甲板」では、貨物を載せた鉄道車両を
そのまま運ぶため、甲板上には線路が敷かれ、
「ワム型貨車(15㌧積み)」で48両が、
この甲板に搭載できたという。
2017/10/18(10:09)
順路の両側には、「青函連絡船」に関する
備品類等が展示されている。
中には、船の傾きで鉄道車両が脱線しないよう、
車両を固定するための「自動連結器付車止め
(油圧緩衝器付)」も展示される。
写真をクリックすると「自動連結器付車止め
(油圧緩衝器付)」の写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/18(10:10)
「車両甲板」に展示される、「スユニ50」。
「スユニ50」は、鉄道荷物・鉄道郵便が
廃止される、昭和61年(1986)まで
使われた「郵便車」。
2017/10/18(10:13)
「車両甲板」に展示される、「キハ82」。
「キハ82」は、全国の非電化区間で運行された
特急用ディーゼル気動車。
2017/10/18(10:14)
「船尾扉」。
車両の積み込みの際には、「船尾扉」が開かれ、
船外に設けられた「可動橋」を介して、
線路が陸と繋がる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/18(10:16)
「車両甲板」に展示される、「DD16」と
「キハ82」。
「DD16」は、線路状態の良くない簡易線区
(低規格線)用のディーゼル機関車。
2017/10/18(10:17)
「車両甲板」に展示される、「ヒ600」。
「ヒ600」は、鉄道車両を出し入れするときに、
可動橋にかかる重量を少なくするため、
「機関車」と「車両」の間に連結された貨車で、
「控(ひかえ)車」と呼ばれていた。
2017/10/18(10:17)
地下1階「第2甲板」に移動。
「第2甲板」は、水面下の海底にあり、
「エンジンルーム(機関室)」の他、
「総括制御室」と「発電機室」がある。
2017/10/18(10:18)
「エンジンルーム(機関室)」。
約5,400㌧の「八甲田丸」を動かしたのは、
1,600馬力のディーゼル機関4基を
1組にして動かすプロペラ(スクリュー)で、
このプロベラが左右2本に配置されている。
写真に写るのは、プロペラ1本分となる
1,600馬力X4基のディーゼル機関で、
左右の太いパイプは、煙突へと伸びる排気管。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/10/18(10:20)
「統括制御室」。
「総括制御室」は、ディーゼル機関の他、電気や
冷暖房等、航行に必要な補助機械までも制御する
と共に、機器の監視や計測・記録のための装置や
機器が並ぶ。
2017/10/18(10:21)
「水密扉」。
水面下にある「第2甲板」は、浸水しても
安全が保たれるよう、12個の「水密隔壁」により、
13区画に分けられている。
人が通る場所に設けられた「水密扉」は、
非常時に、油圧で開閉し、密閉するという。
2017/10/18(10:22)
「主発電機」。
「八甲田丸」の航行に必要な電源は、
主発電機3台の他、主軸駆動発電機や
補助発電機により供給されていたが、
この他にも、予備の非常電源装置が
備えられていた。
2017/10/18(10:24)
1階「車両甲板」に戻り、2階の出口へと歩く。
2017/10/18(10:27)
船外に出る。
写真のケーブルは、今や動かすことのない
船内の発電機に変わり、電気を供給するための
ケーブルであろうが、これは未確認。
2017/10/18(10:28)
青森駅西口とを結ぶ「青い海公園連絡橋」。
貼られた「お知らせ」によると、夜間から早朝と、
冬期は閉鎖。また、青森駅のホームとは、
直接繋がっては、いないようである。

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