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2017/10/18(14:46,14:54)
「二ツ森貝塚史跡公園」の駐車場と現地案内所。 「二ツ森貝塚史跡公園」は、小川原湖の南西岸から西に約4.5kmの上北郡七戸町にある、
「貝塚を伴う集落遺跡」であり、国の史跡に指定される。
この集落は、縄文時代前期中葉(約5,500年前)から中期後葉(約4,000年前)の
1,500年間に渡り営まれた縄文人の住まい跡で、およそ148軒の竪穴住居跡や 貯蔵穴、土器等が確認されている。
また、「貝塚」からは魚の骨や、貝類など、当時の食生活が分かるものが発見され、 当時は、この辺りまで海岸線が迫っていたことを示すという。
「二ツ森貝塚史跡」から出土した品の一部は、県重宝(考古資料)に指定され、 「七戸中央公民館(入館無料)」に展示されている。
左の写真、駐車場には、2枚の案内版が立つ。 左の写真をクリックすると「史跡 二ツ森貝塚」の案内板(960x650)が表示されます。
右の写真、「現地案内所」は、普段は無人だが、イベント開催時や事前に「七戸教育委員会」に 電話で連絡すれば、案内人が来てくれるという。 右の写真をクリックすると「縄文時代の海岸線と現在の海岸線」の案内板が表示されます。 この案内板は、1,200x600ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2017/10/18(14:54)
「現地案内所」付近から撮る史跡公園。 写真には、史跡公園の標識と、復元竪穴住居の 2棟が写る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2017/10/18(14:56)
「二ツ森貝塚史跡公園」の全体。 写真、ほぼ中央に「復元竪穴住居」。右端に「現地案内所」。 遺跡全体の広さは約30ha(内国史跡11.8ha)であるが、遺跡のほとんどは埋め戻されている。
このため、「復元竪穴住居」がなければ、ただの広い「芝生公園」にしか見えないのだが、 主な遺跡跡には、解説付きの旗が立つ。 |
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2017/10/18(14:57)
「復元竪穴住居」。 「復元竪穴住居」の右に写る「甕(かめ)」は、 「縄文人の住まい」について書かれた 案内板である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2017/10/18(14:58)
「復元竪穴住居」の中。 写真をクリックすると「縄文人の住まい」の 案内板が表示されます。
この案内板は、960x720ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2017/10/18(14:59)
「復元竪穴住居」。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2017/10/18(14:59)
「復元竪穴住居」。 「復元竪穴住居」の脇には、「土器片囲炉」の 案内旗が立ち、この旗には、「二ツ森貝塚から
検出された土器片囲炉は、10cm~20cmの 土器片を3~4重に並べていた」とある。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2017/10/18(15:03)
「東Ⅱ号貝塚」の案内旗。 旗には、「縄文時代前期中葉~中期後葉の貝塚で、 厚さは約1.5m。貝の種類は、ヤマトシジミが
主体を占めていた」とある。 |
2017/10/18(15:04)
「竪穴建物跡」の案内旗。 旗には、「縄文時代前期後葉のもので、 床面は、約30畳分の大きさで、柱穴などが 検出された」とある。 |
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2017/10/18(15:03) 「二ツ森貝塚史跡公園」の全体。 「東Ⅱ号貝塚」の案内旗付近から撮影。
写真左に、パラソル風の休憩所。中央右に、「復元竪穴住居」。更に右に、「現地案内所」があるが、この写真では不鮮明。 |
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2017/10/18(15:08)
「埋葬されたイヌ」の案内旗。 旗には、「縄文時代中期後葉の幼い犬の骨で、 骨の上には、土と貝殻が被せられ、
丁寧に埋葬されていた」とある。 |
2017/10/18(15:08)
「駐車場」に向け歩く。 「現地案内所」には、案内人が到着。 この後、新幹線で訪れるという見学者のために、
案内所を開け、準備しているところであった。 |
2017/10/18(15:09)
「駐車場」に戻る。 |