角館
(桧木内川堤&武家屋敷群)

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2011/5/7(9:33)
国道46号線に近い駐車場にあった案内板。
案内板の地図は、武家屋敷などがある「伝統的
建造物群保存地区」が書かれ、「桧木内川堤」は、
この地図の左(西)にある。
写真をクリックすると案内板の地図部分を
拡大して表示されます。
なお、この地図は、886x894ピクセルあります。
地図上の文字を読みたいときには、ウインドの
サイズを大きくし、スクロールバーを
ご利用下さい。

2011/5/7(9:41)
「桧木内川」にかかる「古城橋」。
「角館」は、仙北平野の北部に位置し、
「桜並木」と「武家屋敷」の美しい城下町として
知られ、「みちのくの小京都」とも呼ばれる。
本ページでは、この「桜並木」と「武家屋敷」の
両方について紹介する。

2011/5/7(9:44)
「桧木内川堤」の桜。
桜並木は、「古城橋」の上流にもあるが、
長く続くのは下流の方向で、その桜並木が
「桧木内川」の両岸に長く続く様は見事である。

2011/5/7(9:43)
「桧木内川堤(ひのきないがわつつみ)」の桜並木。
「古城橋」付近からでは、桜並木の終点が見えない。桜並木は、2kmに渡り続くという。
この写真では分かりづらいが、「桧木内川」の右側(右岸)も桜並木である。
2011/5/7(9:44,9:45,9:47)
「桧木内川堤」の桜。
一番右の写真のように、「桧木内川」に向かって枝を伸ばしている木が多い。また、この枝は地を這うように伸びているため、
咲く花を思いのまま接近して撮影することができる。
一番右の写真は、クリックすると拡大写真が表示されます。
2011/5/7(9:50,9:52)
「桧木内川堤」の桜。
「川堤(土手)」の上では、左右に桜が咲く。
2011/5/7(9:57)
武家屋敷に向かい道路(岩瀬北野線)を渡った
ところで振り返って見る桜並木。
2011/5/7(9:59)
「岩瀬北野線」と「小人町」の間にあった
「神社」。
2011/5/7(10:02)
「松本家」。
「松本家」は、「今宮家」組下の家柄で、
「佐竹氏」国替えとともに秋田へやってきた
という。
映画「たそがれ清兵衛」の撮影場所で、春から
秋にかけては、この中で「イタヤ細工」の実演が
行われている。
2011/5/7(10:10)
「武家屋敷資料館」。
「河原田家」の米蔵を改造した資料館。
当時の武具・甲冑の他、生活用具、古文書などを
展示する。
2011/5/7(10:13)
「河原田家」の主屋。
現在の建物は明治中期に建てられたものだが、江戸時代の武家屋敷建築様式をそのまま受け継いでいるという。
注:パノラマ合成部分が、かなりあやしい感じだが、イメージとしては合っていると思う。
2011/5/7(10:10)
「河原田家」の門構え。
「河原田家」は、戦国時代に「芦名氏」の譜代と
して会津から角館へ移って本家100石、分家
50石を拝領。後に「佐竹北家」に仕えたという。
2011/5/7(10:15)
「小田野家」の門構え。
「小田野家」は、「今宮氏」の配下から「佐竹
北家」の家臣となった家柄だという。
2011/5/7(10:15)
「重要伝統的建造物群保存地区」の案内板。
写真をクリックすると案内板を拡大して
表示されます。
なお、この案内板は、800x491ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、ウインドの
サイズを大きくし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2011/5/7(10:16,10:18)
「小田野家」の主屋。
現在の家屋は、明治33年の火災で類焼した後に建てられ、玄関を一般の通用口と正式のものとを
一緒にするなど簡略化。玄関土間の上がりカマチで身分を区分するという中級武士の屋敷の造りに
なっているという。
2011/5/7(10:27)
「岩橋家」の門構え。
「岩橋家」は、「芦名氏」の重臣で、「芦名氏」
が絶えた後は、「佐竹北家」に仕えた家柄だと
いう。
2011/5/7(10:27)
「岩橋家」の主屋。
屋敷は、江戸時代末期に改造、この時に屋根を
茅葺きから木羽葺きに変えたために、明治33年
の大火での焼失を免れたという。
「松本家」同様、映画「たそがれ清兵衛」の
撮影場所になった。
2011/5/7(10:27)
「岩橋家」の案内板。
写真をクリックすると案内板を拡大して
表示されます。
2011/5/7(10:28)
「岩橋家」の「カシワ」。
屋敷内には「栗」、「赤松」、「山モミジ」など
の樹木が多く、この「柏」の巨木は、樹齢300
年以上といわれる。
2011/5/7(10:30)
裏庭から見る「岩橋家」の主屋。
間取りなどは、角館の中級武士の屋敷として、
典型的な形を残しているという。
2011/5/7(10:33)
「角館小学校跡」の碑。
2011/5/7(10:35)
「樺細工伝承館」。
館内では、樺細工を始めとして工芸、文化、
歴史資料等が展示される他、「樺細工作り」や
「イタヤ馬作り」を体験することができる。
2011/5/7(10:36)
「武家屋敷通り」。
「角館武家屋敷群」のメイン通りであり、通りに
面して黒板塀・生垣に囲まれた「武家屋敷」が
並び、道には観光客を乗せた人力車も走る。
なお、この場所は、9時33分撮影の案内板で、
「表町下丁」と書かれている通りである。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/5/7(10:42)
「花上庵(安藤家)」。
「安藤家」は、嘉永の昔から味噌を醸造し、
合わせて醤油も造るようになったという。
現在でも「味噌」「醤油」「漬物」を造り、
建物は、それら「安藤家」で造られた、
土産物を売る店舗となっている。
2011/5/7(10:48)
「青柳家」の門構え。
「青柳家」は、「芦名氏」譜代の侍だったが、
断絶後、「佐竹北家」の組下となった家柄だと
いう。3,000坪の敷地には、約600種類の
花や木が植えられ、主屋は寄棟萱葺き屋根の鍵屋
で、座敷は、現存する角館の武家屋敷のなかで、
最も豪華だという。
映画「隠し剣鬼の爪」撮影場所になった。
2011/5/7(10:50)
「石黒家」の門構え。
「石黒家」は、「佐竹北家」に仕え、財政関係の
役職についており、現存する角館の武家屋敷の中
では、一番格式の高い家柄の屋敷だという。
2011/5/7(10:50)
「石黒家」の主屋。
角館の武家屋敷のなかで、現存する最も古い建物
(築200年程)だという。屋敷の周りには、
「のぞき窓」のついた黒板塀を巡らし、正玄関と
脇玄関の二つの玄関を持つ身分の高い武士の家で
ある。
2011/5/7(10:52)
「石黒家」の庭。
2011/5/7(10:55)
「旧石黒(恵)家」の門構え。
「石黒家」の分家として、江戸時代から続いて
きた家柄だという。
2011/5/7(10:56)
「旧石黒(恵)家」の庭。
2011/5/7(10:58)
「旧石黒(恵)家」の「竃(かまど)」。
2011/5/7(11:03)
「旧石黒(恵)家」の主屋。
建物自体は、昭和10年に建てられた昭和の建物で、中は和洋折衷と純和風の部屋が入り組んだ造りになっている。
2009年から5ヶ月をかけ建物を改築。「角館武家屋敷群」の中で、新たに公開された(2010年4月公開)建物である。
注:パノラマ写真の合成上、左側の建物がゆがんでいます。
2011/5/7(11:04)
「角館のシダレザクラ」。
見事な「枝垂れ桜」である。
案内板(右の写真)によると、周辺には、樹齢
約300年の古木から若木まで、約200本を
数え、内162本が天然記念物に指定されている
という。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/5/7(11:05)
「角館のシダレザクラ」の案内板。
写真をクリックすると案内板を拡大して
表示されます。
なお、この案内板は、800x512ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、ウインドの
サイズを大きくし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2011/5/7(11:08)
「小野崎家(角館公民館)」。
「小野崎家」の子孫が所有する屋敷間取り図を
元に平成12年に復元され、屋敷の形態からも
当時の上級武士であったことは明らかだという。
現在は公民館、武道館として活用されている。

 旅の記録(秋田県)に戻る

 旅の記録に戻る    Donichi’s HomePageに戻る