宗谷岬

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2010/6/30(12:29)
「宗谷岬平和公園」から見る「日本最北端の地」。
北緯45度31分22秒。
これより北にも、日本の領域として「弁天島」という岩礁はあるが、一般人が自身の足で踏むことのできる日本最北の地である。
2010/6/30(11:57)
「日本最北端の地」の碑。
この石碑を目指してやってくる観光客は多い。
周りは閑散としていても、この石碑の前だけは、
記念写真を撮る人たちが絶えることはない。
2010/6/30(12:26)
「大岬旧海軍望楼」。
国道238号線の南側の、通称「宗谷丘陵」と
呼ばれる丘の上は「宗谷岬平和公園」になってお
り、公園に登るとすぐに目に入るのが、この古び
た建物である。
明治35年、高まる日露の緊張した情勢の中で、
日本海軍が建設した「望楼(監視所)」である。
2010/6/30(12:26)
「平和の碑」。
昭和18年(1943)宗谷海峡で、5時間に
わたる日本海軍とアメリカ海軍との交戦により、
日米双方に多数の犠牲者を出した。
この時の犠牲者の慰霊と平和を祈念するため、
日米双方の家族により設立されたとある。
2010/6/30(12:33)
「宗谷岬平和公園」の駐車場で見る「宗谷丘陵」。
閑散としているように見えるが、これでも観光バスは来ているし、「日本最北端の地」の碑の前などは、記念写真を撮る人たちが順番待ちなのである。
注:写真は、横が1,503ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。
2010/6/30(12:27)
「大岬旧海軍望楼」を海側から見る。
海側から見ると、今でも中には日本海軍の兵士が
いるような気になり、「宗谷海峡」を監視する
様子が目に浮かんでくる。
2010/6/30(12:30)
「あけぼの像」。
昭和46年、北海道の牛乳生産量100万トン
突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して建て
られる。
力強く立つブロンズ像は、「天北酪農の夜明け」
を象徴しているとのこと。
2010/6/30(12:31)
「ラペルーズ碑」。
「ラペルーズ伯爵」は、ルイ16世の命令で
「世界海洋科学調査航海」を行い、1787年
「宗谷海峡」を発見。この航路を通過した最初の
欧州人である。
この功績を讃え、世界海洋界は、この海峡を、
「ラペルーズ海峡」と命名したとある。
2010/6/30(12:31)
「宗谷岬灯台」。
明治18年点灯。海抜約40mにあり、その光は
約32km先まで届く。
2010/6/30(12:35)
「祈りの塔」。
昭和58年(1983)9月に発生した「大韓
航空機撃墜事件」の慰霊塔。塔の先端は事件の
起きた樺太沖の「海馬島」を指している。
2010/6/30(12:36)
「世界平和の鐘」と「子育て平和の鐘」。
右にある「世界平和の鐘」は、世界81ヶ国の
人々から寄せられたコインやメダルなどで鋳造
され、1号鐘が「国連本部」。2号鐘が「宗谷
岬」。3号鐘は「沖縄県石垣市」に設置されて
いるという。
2010/6/30(12:39)
「子育て平和の鐘」。
この鐘は、市民の総意の10円玉募金と、世界
98ヶ国から寄せられたコイン、メダルで造られ
たという。
右奥の風車の建物は、「宗谷丘陵展望休憩施設
(ゲストハウス・アルメリア)」。
「アルメリア」は、「宗谷岬平和公園」に多く
咲く花で、鐘の前に写る花の名前でもある。
2010/6/30(12:47)
「間宮林蔵」の銅像。
「日本最北端の地」の碑の近くにある。
間宮林蔵は、江戸時代後期の探検家、測量家で
あり、樺太が島であることを確認した人物として
認められる。シーボルトは後に作成した日本地図
で樺太・大陸間の海峡最狭部を「マミアノセト
(間宮海峡)」と命名。間宮の名前は、今でも
世界地図に載る。
2010/6/30(12:50)
「宗谷岬神社」。
「日本最北端の地」の碑から道路を渡った「バス
専用駐車場」に隣接する。
場所からして、日本最北端の「神社」である。

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