2013/6/21(17:41,17:42)
「三松正夫像」。 昭和18年(1943)当時の日本は、戦争末期の混乱下にあり、噴火の記録を残す専門家等はいなかったという。
そんな中で、壮瞥町で郵便局長をしていた「三松正夫」は、「この火山活動を歴史の空白にしてはならない」と、
火山成長の観察記録を作製。この資料は、後に「ミマツダイヤグラム」と呼ばれ多くの専門家に絶賛されたという。
また、この貴重な「昭和新山」の保護と、噴火により家や農場を失った住民を支援するため、私財を投げうち、 この土地(昭和新山)を買い取ったという。 左の写真をクリックすると別の角度から撮る「三松正夫像」が表示(450x600)されます。
右の写真をクリックすると「碑文」が拡大表示(960x450)されます。 |
2013/6/21(17:43)
「はまなす国体炬火採火記念塔」。 平成元年(1989)北海道で行われた「はまなす国体」の
「炬火リレー」では、「昭和新山」の標高約350mにある 「亀岩」の地熱で採火された「炬火」が使われたという。
記念塔は、この「炬火」を末永く保続するために 建立されたという。 写真をクリックすると「炬火」の部分を切り抜いた 画像(450x600)が表示されます。 |