昭和新山

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2013/6/21(17:38,17:39,17:39)
「昭和新山」。
「昭和新山」は、「有珠山」の東側(有珠郡壮瞥町)にあり、昭和18年(1943)の有珠山噴火により、それまで「東九万坪」という広大な畑作地帯であったところが
隆起してできた標高398mの活火山である。
形成された当時の標高は407mであったというが、その後の温度低下と浸食等により標高が低くなったという。
中央の写真は2.25倍、右の写真は3.75倍ズームにて撮影。
左と右の写真はクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2013/6/21(17:41,17:42)
「三松正夫像」。
昭和18年(1943)当時の日本は、戦争末期の混乱下にあり、噴火の記録を残す専門家等はいなかったという。
そんな中で、壮瞥町で郵便局長をしていた「三松正夫」は、「この火山活動を歴史の空白にしてはならない」と、
火山成長の観察記録を作製。この資料は、後に「ミマツダイヤグラム」と呼ばれ多くの専門家に絶賛されたという。
また、この貴重な「昭和新山」の保護と、噴火により家や農場を失った住民を支援するため、私財を投げうち、
この土地(昭和新山)を買い取ったという。
左の写真をクリックすると別の角度から撮る「三松正夫像」が表示(450x600)されます。
右の写真をクリックすると「碑文」が拡大表示(960x450)されます。
2013/6/21(17:43)
「はまなす国体炬火採火記念塔」。
平成元年(1989)北海道で行われた「はまなす国体」の
「炬火リレー」では、「昭和新山」の標高約350mにある
「亀岩」の地熱で採火された「炬火」が使われたという。
記念塔は、この「炬火」を末永く保続するために
建立されたという。
写真をクリックすると「炬火」の部分を切り抜いた
画像(450x600)が表示されます。

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