旧島松駅逓所

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2013/6/18(7:29,7:30,7:30)
「旧島松駅逓所」。
「旧島松駅逓所」は、JR千歳線「島松駅」から西に直線で約3.2km。北広島市島松地区にあり、明治初期に函館と札幌を結ぶ
馬車用道路「札幌本道」の開通に伴いに設けられた「駅逓」で、札幌農学校(北海道大学の前身)の初代教頭ウイリアム・スミス・クラークが、
帰国する際に「青年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」という言葉を残した場所としても知られる。
左の写真をクリックすると「旧島松駅逓所」の案内板が表示(960x600)されます。
2013/6/18(7:30)
「旧島松駅逓所」の入口。
「旧島松駅逓所」は、国の史跡に指定され、建物の中を
見学することができる(4月末~11月初、有料)。
2013/6/18(7:31)
「御膳水の井戸」。
明治天皇の御膳水に使用された井戸で、
現在も使用されているという。
写真をクリックすると「御膳水の井戸」の案内板が
表示(600x450)されます。
2013/6/18(7:33)
「寒地稲作と暖水路跡」。
「旧島松駅逓所」の駅逓取扱人を勤めた「中山久蔵」は、
川から引いた水を温めてから水田に流す等、
寒地稲作に挑み、北海道の米作り(赤毛種)を
成功させた先駆者であり、「北海道稲作の父」とか、
「寒地稲作の父」等と呼ばれている。
写真をクリックすると「寒地稲作と暖水路跡」の
案内板が表示(600x450)されます。
2013/6/18(7:35)
「水田址と赤毛種見本田」。
赤毛種見本田では、毎年春、「赤毛種の田植え」が
行われるという。
写真をクリックすると「水田址と赤毛種見本田」の
案内板が表示(600x450)されます。
2013/6/18(7:35)
「ハス池」。
「中山久蔵」は、米づくりの他にも果樹栽培、牧場の
経営、養鯉などを試み、ハスの栽培も行っていたという。
写真をクリックすると「ハス池」の案内板が
表示(600x450)されます。
2013/6/18(7:36)
「中山久蔵爺頌徳記念碑」。
大正6年(1917)、農学博士「南鷹次郎」が発起人となり、
建立されたという。
写真をクリックすると「中山久蔵爺頌徳記念碑」の
案内板が表示(600x450)されます。
2013/6/18(7:38)
「寒地稲作発祥の地碑」。
「寒地稲作 この地に 始まる」と刻まれている。
2013/6/18(7:38)
「クラーク記念碑」。
札幌農学校(北海道大学の前身)の初代教頭であった
ウイリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)は、
「島松駅逓所」で、学生や職員たちに別れを告げ、
「青年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」の言葉を
残し、アメリカに帰国したという。
写真をクリックすると「クラーク記念碑」の説明が
表示(800x600)されます。
2013/6/18(7:39)
「寒地稲作発祥の地碑」と「クラーク記念碑」。

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