青函トンネル
メモリアルパーク

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2013/6/20(15:58,15:59)
「青函トンネルメモリアルパーク」。
「青函トンネルメモリアルパーク」は、「青函トンネル」の北海道側にあった吉岡海底駅(平成26年(2014)3月
営業を終了)から直線で西に500m程、横綱の町として知られる「松前郡福島町」にある。
この公園は、青函トンネル完成を記念して工事跡地を整備したものだが、観光目的の記念館等とは異なり、
近所の住民や子供たちが集う「町の公園」に記念の物や碑を建てたという感じである。
(福島町中心部には、「福島町青函トンネル記念館」があるが、これは有料の博物館で、場所も離れている)
2013/6/20(15:58)
「蓄電池機関車」。
「坑内において、人車、ズリトロ、アジテーターカー等を
牽引するためのバッテリーを動力とする機関車」とある。
2013/6/20(16:01)
「玄武岩」。
青函トンネルの堀削工事が着手された際に、吉岡工区
から掘り出され、昭和46年(1971)に、北海道側で行わ
れた「本工事起工式」に用いられた記念の石だという。
2013/6/20(16:01,16:01)
「青函遂道建設記念の碑」。
青函トンネル工事企業体の事務所や職員宿舎のあった場所に建てられ、碑の中央に開けられた穴は、
青森側の竜飛岬の トンネル口と、ぴったり合うように設計されているという。
2013/6/20(16:02)
「青函遂道建設記念の碑」の碑文。
「ここに、北海道と本州は陸路で結ばれ、国土の
一体化と日本の発展に寄与することを願う」とある。
写真をクリックすると碑文が表示(960x450)されます。
2013/6/20(16:03)
「昭和天皇御製碑」。
碑には、昭和29年(1954)、青函連絡船「洞爺丸」が
函館港外で転覆、多くの人命が失われたことを
悲しまれ、昭和天皇が詠まれた御製
「その知らせ 悲しく聞きて わざはひを
 ふせぐその道 疾くとこそ祈れ」が刻まれる。
写真をクリックすると碑文が表示(800x600)されます。
2013/6/20(16:05)
「駆逐艦柳平和記念塔」。
「昭和20年(1945)、福島町(碑文には、月崎、幕舞と
ある)の沖合で、アメリカの艦載機と、日本の駆逐艦
「柳」との激しい交戦により、亡くなられた戦死者の
霊を慰めると共に、永遠の平和を願って建立」とある。
写真をクリックすると碑文が表示(800x600)されます。

  旅の記録(北海道)に戻る

  旅の記録に戻る      Donichi’s HomePageに戻る