落石岬

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2011/9/11(10:45)
「落石岬」は、根室半島の付け根の部分から
南に、太平洋に向かって突き出した岬である。
岬の中は、環境保全地域になっており、
車両の乗り入れは禁止されている。
写真に写るのは、岬内へ車の乗り入れを禁止する
「ゲート」である。

2011/9/11(10:48)
ゲートを抜け先に進むと、前方に偉容な雰囲気の
建物が見えてきた。
標識には「落石岬灯台 サカイツツジ」という
文字と直進を示す矢印が書かれている。

2011/9/11(10:49)
左の記念塔には「落石無線電信局之跡」。
右の記念柱には「落石無線送信所跡」とある。
落石無線送信所は、1960年代まで、北太平洋
の広い範囲の航空機や船舶との交信をモールス
信号により行っていたという。

2011/9/11(10:50)
建物は、旧「落石無線送信所」であった。
現在は、根室市出身の銅版画家・池田良二が
個人スタジオとして使用しているという。
2011/9/11(10:53)
更に進むと、「木道」の始まりである。
この「木道」は、ほぼ一直線に「落石岬灯台」の
手前まで続く。
右に見える旗の色は、労働組合を思わせるが、
「火の用心」を喚起するための旗であった。
2011/9/11(10:54)
「落石岬道自然環境保全地域」の案内板。
「木道」入口にある「案内板」では、主に国の
天然記念物「サカイツツジ」について書かれて
いる。
写真をクリックすると「案内板」が、拡大表示
(600x450)されます。
2011/9/11(10:55,10:55)
左右は、「アカエゾマツ」の純林がある高層湿原である。
「アカエゾマツ」は、通常「エゾマツ」や「トドマツ」と混成するが、「落石岬」は
「アカエゾマツ」だけの純林だという。
「高層湿原」とは、水源が河川や地下水ではない湿原をいい、通称「ミズゴケ湿原」とも呼ばれる。
右の写真、大きな葉は「ミズバショウ」であろう。5月上旬頃には「ミズバショウ」が咲くという。
木の根周辺には緑色の「コケ」が見えるが、北緯50度が南限とされ、国内では「落石岬」だけに
生育するという、国の天然記念物「サカイツツジ」は、ミズゴケの塊の上に自生するといわれ、
5月下旬から6月初旬頃にかけ紅紫色の花を咲かせる。
2011/9/11(10:57)
「アカエゾマツ」の林。
「アカエゾマツ」は、岩礫地・湿地・砂丘・火山
灰地など、他の植物が育ちにくい悪条件の環境に
分布するが、「落石岬」の「アカエゾマツ」は、
更に矮生(小)化したうえ、奇形までしていると
いわれ、独特の雰囲気を醸し出している。
2011/9/11(10:58)
1つ目の「アカエゾマツ」の林を抜けると、
次の林までの間には草原が広がる。
この草原を本ページでは「中間草原」と呼ぶ。
2011/9/11(11:03,11:07)
「中間草原」の先にある2つ目の「アカエゾマツ」の林(左)と林の中で見かけた花(右)。
花は、散る寸前の「ヒオウギアヤメ」であろう。
2011/9/11(10:59)
「木道」南西側の「中間草原」。
岬の先端は、この方向にあり、草原の中央付近にまで「アカエゾマツ」が生育している。
2011/9/11(10:59)
「木道」北東側の「中間草原」。
草原の左右は、「アカエゾマツ」の林があるのに、なぜこの草原には「アカエゾマツ」すら生育しないのか不思議である。
2011/9/11(11:08)
2つ目の「アカエゾマツ」の林を抜けると
「落石岬灯台」が見えてくる。
写真をクリックすると、HP等でよく見かける
構図の写真(600x450)が表示されます。
2011/9/11(11:16)
「落石岬灯台」。
明治23年(1890)初点灯。当時は「落石埼灯台」
と呼ばれる。
昭和27年(1952)現在の建物に改築。
昭和41年(1966)「落石岬灯台」に改称。
2011/9/11(11:30)
来た道を戻りながら見る「アカエゾマツ」。
写真をクリックすると、別の角度で撮った
「アカエゾマツ(450x600)」が表示されます。
2011/9/11(11:19)
「落石岬灯台」周辺の大草原。
「落石岬灯台」は、「落石岬」の東側にあり、「岬」の先端部分は、写真左奥の方向にある。
11時08分の写真をクリックして表示される拡大写真に写るハイカーは、この大草原の中を「岬」先端の方向から歩いてきた人達である。

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