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2010/7/1(7:59) 「網走刑務所正門(再現構築)」。 通称「赤煉瓦門」。 使用されている煉瓦は、窯の中に塩を入れ、 1,160度以上の高温で焼き上げるため独特の 黒褐色の色をしており、形も普通の煉瓦より 20~30%小さいのが特徴という。 現在はこのような焼き方はできないため、 ここに復元された門は煉瓦建築の歴史を知る うえで大変重要なものだという。 |
2010/7/1(8:00) 「五寸釘の寅吉(明治の脱獄王)」。 明治の脱獄王「西川寅吉」は、6回の脱獄歴を 持ち、逃亡途中に五寸釘のついた板を踏み抜き、 そのまま12km走ったことから、「五寸釘の 寅吉」という異名をとるようになる。 明治34年「網走監獄」に送られてきたが、 過去を反省。模範囚として過ごし、大正13年 老齢による刑の執行停止により釈放される。 |
2010/7/1(8:02) 「庁舎(移築復元)」。 刑務所管理部門の主軸となる建物で、中は典獄 (現在の刑務所長)室をはじめ、総務/戒護/ 用度/教育などの各課に区切られ、この建物は、 昭和62年まで使用されていた。 |
2010/7/1(8:07) 「網走刑務所裏門(移築復元)」。 赤煉瓦門塀製作開始の大正8年に一番最初に着工 した門であり、その後5年間かけ、大正13年に 延長1,080mの赤煉瓦塀を完成させたと いう。 以来、平成5年までの70年間にわたり網走刑務 所裏門として、受刑者が塀の外の作業場(農業、 養豚場)に出かける時に通った門である。 |
2010/7/1(8:07) 「網走刑務所水門(再現構築)」。 網走刑務所では、前を流れる「網走川」を利用 して、生活物資を運び入れたり、農場へ肥料を 運ぶ等、貴重な水路として利用していたという。 |
2010/7/1(8:09) 「釧路地方裁判所網走支部(移築復元)」。 建物の外観は、明治33年から昭和27年まで 使われた旧網走区裁判所の外観を再現。内部の 「単独法廷」「合議法廷」及び「勾留質問室」等 は、昭和27年から平成3年まで使用されていた ものを移築復元。照明器具、カーテン等も実際に 使用されていたものを展示しているとのこと。 |
2010/7/1(8:15) 「休泊所(再現構築)」。 受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業を する場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊ま りした。 別名「動く監獄」と呼ばれ、札幌と網走を結ぶ 中央道路の開削では、明治24年4月から11月 までの8ヶ月間に、延べ1,000人以上の受刑 者を投入。工事の進行に伴い、次々と休泊所を 建てては移動していったという。(あまりに過酷 な労働により、この開削では200名前後の収容 者が死亡したといわれる) |
2010/7/1(8:15) 「休泊所(再現構築)」の中。 部屋の中央は土間で、突きあたりがトイレ。それ には、囲いはなく四六時中監視されていたと いう。また、寝床は板張りで、枕の代用として 丸太棒が床に釘づけになっており、夜具は薄い 柏布団1枚であった。 |
2010/7/1(8:17) 「看守長屋(再現構築)」。 この建物は、明治45年に刑務所敷地内に建てら れ、幾度もの補修を経て、昭和58年まで刑務官 の住宅として使用されてきた。 この再現建物は、来館者の休憩所、各種イベント 会場として使用されている。 |
2010/7/1(8:19) 「監獄歴史館」。 2010年2月にリニューアルオープンしたばか りの施設(旧行刑資料館)。 中には「体感シアター」、「本物の網走刑務所 舎房を再現」、「囚人体験アイテム」等があり、 網走監獄の歴史を体験できる。 |
2010/7/1(8:21) 「現在の網走刑務所 共同室(再現)」。 広さ約16畳半の部屋に原則として6名が収容 される。被収容者が使用する机、布団が置かれ、 洗面道具などの私物は、個々人毎に収容棚が与え られる。 2010年現在、網走刑務所には、83の共同室 がある。 |
2010/7/1(8:22) 「現在の網走刑務所 単独室(再現)」。 広さ約4畳半の単独室には、原則1名が収容され る。机、布団が置かれ、身の回りの品の他、室内 装飾品として写真や花瓶を置くことが許される。 現在の刑務所では、単独室の数を増やし、被収容 者の居住空間の向上に努めていることから、 2010年現在、網走刑務所には、938の単独 室がある。 |
2010/7/1(8:22) 「現在の網走刑務所の食事」。 左から「朝食」、「昼食(焼き魚)」、 「夕食(酢豚)」。 博物館網走監獄では、「旧二見ケ岡農場食堂棟」 と「番外地食堂」で、監獄食を体験することが でき、食べた人からは「意外に美味しい」と評判 とのこと。 |
2010/7/1(8:31) 「登り窯(再現構築)」。 日本の監獄では、明治時代、近代的な獄舎建築の ため、受刑者による煉瓦製造を積極的に行った。 網走監獄においても、正門、懲罰房、サイロ、 倉庫など、網走監獄三眺山の「三連登り窯」で、 焼いた煉瓦が使用されている。 |
2010/7/1(8:32) 「高見張り(再現構築)」。 受刑者の逃走、暴行事件などの発生に備えた 「やぐら監視所」。網走刑務所は、昭和43年 までは、長期受刑者を収容する施設(現在は、 刑期8年未満の受刑者を収容)であったため、 所内と裏山の4ヶ所のやぐらの廊下(12.95 ㎡)と高さ8mの高見張りに、職員が2時間交代 で監視を行っていたという。 |
2010/7/1(8:32) 「二見ヶ岡農場作業」。 網走刑務所は、農園作業の先導的施設として明治 29年「屈斜路外役所」を設置。独自の農園訓練 規定を設け寒冷地農業に取り組んだという。 奥の建物は、移築復元された「旧網走刑務所二見 ヶ岡農場」。春から秋のシーズン中は、この建物 が「監獄食」の会場となる。 |
2010/7/1(8:36) 「五翼放射状舎房(移築復元)」。 明治45年から昭和59年まで実際に網走刑務所 で使用されていた獄舎を移築復元。 「五翼放射状舎房」は、中央見張りを中心に、 舎房が5本の指を放射状に広げたような形をして おり、写真は5方向に広がる舎房の中の1つを 写したもので、左右には雑居房、独居房が並ぶ。 補足:本ページ最上段にある「館内ご案内」の 図にある「5本の指を広げたような形をして いる」のが、この建物である。 |
2010/7/1(8:38) 「五翼放射状舎房」内の「居房扉」。 扉の上には、部屋の中を監視するための 「視察孔」。下には、食事を出し入れするための 「食器口」がある。 「五翼放射状舎房」の中は、収容人員3~5人の 雑居房と独居房合わせて226房があったと いう。 |
2010/7/1(8:39) 「五翼放射状舎房」の「中央見張」。 中央見張りを中心に、舎房が5方向に広がる ため、この一ヶ所で5棟の舎房全てを監視する ことができた。 |
2010/7/1(8:42) 「浴場(再現構築)」。 1度に15人ずつが、脱衣に3分、第1槽入浴 3分、洗身3分、上がり湯の第2槽入浴3分、 着衣に3分。合計15分間で効率よく入浴した が、それでも1日に入浴できる人数は200人 程度であった。 このため、6月から9月までは月5回、他の月は 1回しか入浴できなかったという。(現在は1日 おきに入浴できる) |
2010/7/1(8:45) 「煉瓦造り独居房(移築復元)」。 この独居房には、窓がなく、扉は二重、しかも 煉瓦の壁の厚さは、40cm以上。 明治時代の監獄の規則には、規則違反者を窓の 無い真っ暗な部屋に閉じこめ、食事を減らし、 反省させるという厳しい罰則があり、この規則に 合わせて建てられたものと考えられている。 |
2010/7/1(8:45) 「独立型独居房(再現構築)」。 この独居房の内部は土間と居室に分かれ居室は 畳2枚分の板張りで、明かりは入口と欄間から 入るだけであった。 1囚1房を理想とする監獄法に基づいて、明治 45年当時には34棟あったが、社会復帰が行刑 の目的となるにつれて雑居が重視され、次第に 使われなくなったという。 |
2010/7/1(8:46) 炭焼小屋(再現構築)。 冬になると受刑者は、材木を集め馬橇で網走川岸 まで運び、雪がとけると、発動汽船が曳航する だるま船に木材を満載し、刑務所まで運ぶ。 明治45年にボイラーが設置されるまでは、この ようにして1年間に必要な約152トンの薪や炭 を生産したという。 |
2010/7/1(8:48) 「教誨堂(移設復元)」の中。 教誨とは教えを諭すということ。ここでは、受刑 者に対して精神的、倫理的、宗教的な教化指導を 行うとともに、冬は体育館のような使い方もされ ていたという。 また、戦後は、正面の仏壇を撤去。名前も講堂と 改め、免業日(作業のない日)には映画を見せた り、慰問公演が行われたという。 |
2010/7/1(8:50) 「釧路集治監網走囚徒外役所正門」。 明治23年~明治29年の網走刑務所の塀。 明治5年監獄則で、塀の造りは「石造り」か 「煉瓦造り」にすることが決められたが、実際は 資材調達の関係等、地域の事情で作られ、網走の 場合も創設当時の塀は木造であった。 |
2010/7/1(8:53) 「教誨堂(移設復元)」の建物。 明治45年建設。総瓦葺き入母屋造り重厚な屋根 を持ち、内装は、漆喰を用いて天井に装飾を 施し、シャンデリアを釣り下げた「和洋折衷」の 建築様式で、受刑者は、「神の宿るところ だから」と、刑務所内どの建物よりも精魂込めて 作ったという。 |
2010/7/1(8:54) 「哨舎(移築復元)」。 全国各地の刑務所では、出入り口や作業場などに 「哨舎」という見張所を設けて、外部からの進入 や受刑者達の行動を監視していた。 この哨舎は所内に8か所に設置され、昭和60年 頃まで実際に使用されていたもの。 |