神居古潭

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2010/7/3(6:39)
「神居大橋」。
1898年、「石狩川」の北側に「函館本線」が
開通。1901年にできた「神居古潭駅」と対岸
の集落との間に「巻橋」が架けられたのが初代の
橋といわれ、現在の「神居大橋」は、1938年
に建造されたもの。

2010/7/3(6:43)
北側から見る「神居大橋」。
「神居古潭」とは、地区の名称であり、アイヌ語
の「カムイコタン(魔神の住む場所)」の音訳で
ある。
両側から山が迫り、川幅が狭まるこの地では、
川は渦を巻く激流となり、最深部の水深は70m
以上という。水上交通に依存していたアイヌに
とっては最大の難所であり、しばしば犠牲者が
出たことから、魔人が住むと恐れられていたと
いう。

2010/7/3(6:44)
「九条武子」の歌碑。
「九条武子」は、大正期を代表する女流歌人で、
「九条良致男爵夫人」として貧しい人々の順回
施療などに尽くす。
碑に刻まれた歌は「旭川」を訪れた際に「神居
古潭」で詠まれたもので「たきつ波 ましろう白う
 岩にちる 神居古潭の くもれる真昼」とある。

2010/7/3(6:45)
「旧神居古潭駅」。
1969年、電化・複線化に伴う線形改良に
よって、函館本線は、この北側に掘られた
「神居トンネル」を抜けることになり、「神居
古潭駅」は廃止となる。
この駅舎は、1989年に復元されたもので、
1991年、旭川市の文化財(有形文化財/
建造物)に指定される。
2010/7/3(6:46)
「旧神居古潭駅」下り線ホーム。
「線路」、「枕木」等は外されているが、
「駅名標」、「名所案内」などは、当時のもの
が、そのまま残されているようだ。
2010/7/3(6:46)
「旧神居古潭駅」線路跡。
線路跡地は、「旭川市」から「神居古潭」を結ぶ
総延長19.37kmの「旭川サイクリング
ロード」として整備されている。
2010/7/3(6:46)
駅構内には蒸気機関車3両 (29638、
C57201、D516) が静態保存されて
いる。
2010/7/3(6:49)
蒸気機関車「29638」。
「キュウロク」の愛称で親しまれ、1913年
からの13年間に784輌が製造され、貨物用
標準機関車として活躍するが、その内270輌
は、中国や樺太などに送られたという。
2010/7/3(6:50)
蒸気機関車「D516」。
「デゴイチ」の愛称で親しまれ、1936~
1945年にかけて、1,115輌と日本で最も
多く製造された機関車。
2010/7/3(6:52)
蒸気機関車「C57201」。
1937~1947年の間に201輌が製造さ
れ、主に急行旅客列車用機関車として活躍する。
ここにあるのは、201番目に製造された最後の
「C57」である。
2010/7/3(6:54)
復元された駅舎は、現在「旭川サイクリング
ロード」の休憩所として利用されている。
2010/7/3(6:58)
少し離れて見る「旧神居古潭駅」。
2010/7/3(6:59)
「神居大橋」から見る下流側の景色。
「神居古潭」の周辺は、石狩川両岸が美しい
景勝地であるとともに、稀な景観でもあること
から、「旭川八景」の一つに選ばれている。
1.5km程下った左側(左岸)には、「竪穴
住居遺跡」があり、約3.5haの面積の中に、
奈良時代末期から平安時代に使われていたと
思われる、竪穴二百数十基とチャシコツ(砦跡)
1ヶ所が残されている。
2010/7/3(7:00)
「神居大橋」から見る上流側の景色。
写真右(左岸)の川岸には、神居古潭変成岩層が
石狩川に浸食されてできた、「神居古潭おう穴
群」が、全長1,200mの間に大きく分けて
7つの群をなして分布。大きいものは直径5m
あり、規模からみても地学上貴重な存在といわ
れ、旭川市指定天然記念物となっている。
また、左(右岸)には、「やつめうなぎとり岩」
があり、開拓初期に、ここで多くの「やつめ
うなぎ」を捕ったといわれる。
2010/7/3(7:03)
「神居岩」。
アイヌ語で「クッ・ネ・シリ(岩崖になっている
山)」。アイヌの守護神「サマイクル」が、獣皮
を乾かしたところといわれている。
ハイキングコースもあり、この撮影場所から
30分程度で、崖の上まで登れるそうである。

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