本別海一本松
&伊能忠敬測量隊記念柱

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2011/9/10(15:29,15:29)
「伊能忠敬測量隊記念柱」と案内板。
長いため省略するが、記念柱には「第一次伊能忠敬測量隊最東端到達記念柱」と書かれている。
場所は、西別川河口付近にあり、道道475号(風蓮湖公園線)を「本別海一本松」の標識に従って
脇道に入ると「本別海一本松」の手前にある。
寛政12年(1800)55歳の「伊能忠敬」は、若者5人と共に江戸を出発。107日をかけ、
1,612kmを歩測し、この地に到着。最終目的地は「根室」であったが、「徳川将軍家」に
献上する「鮭漁」のため船の手配ができずに断念。ここで最後の測量を行い引き返したという。
帰りを含めると、180日間、3,224kmの旅であったという。
案内板の写真をクリックすると、拡大写真(800x500)が、表示されます。

2011/9/10(15:29)
「伊能忠敬測量隊記念柱」。
クリックすると「記念柱」裏側の写真が、
拡大表示(450x600)されます。

2011/9/10(15:36,15:36)
「本別海一本松」。
「伊能忠敬測量隊記念柱」からは、200m程であろう。
道道475号沿い入口の案内板によると、「樹種:グイ松、樹齢:約120年。明治7年、
東北各地から漁夫百数十名を募集し、西別川において本柳田の番屋の祠の横に植生していたもので、
当時は2、3本あったが、現存する唯一の一本」とある。
右の写真は、クリックすると拡大写真(600x450)が、表示されます。
2011/9/10(15:38)
道道475号(風蓮湖公園線)沿いにある
「本別海一本松」入口の案内板。
クリックすると、「本別海一本松」の案内板が、
拡大表示(600x450)されます。

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