旧余市福原漁場

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2013/6/19(6:17,6:18)
「旧余市福原漁場」。
「旧余市福原漁場」は、JR函館本線「余市駅」から国道229号線を西に2.2km程走った所にあり、
江戸時代から明治36年(1903)まで「福原家」が経営(その後経営は、小黒家、川内家へと引き継がれた)した
「鰊漁場」の遺跡で、江戸から明治にかけての鰊漁を知る上で重要な建物群が修理・復元されている。
入館料を払えば、建物の中も見学できるが、この日は訪れた時間が早かったため、本ページで紹介する写真は、
全て敷地の外から撮影(遠い建物は、望遠にて撮影)したものである。
右の写真をクリックすると案内板が拡大表示されます。
この案内板は、960x720ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2013/6/19(6:17)
「主屋(番屋)」。
網本と出稼ぎの漁夫達が生活した場所である。
建物に入ると、右が畳敷の親方家族の部屋。
左は、板敷の「漁夫溜まり」で、これは2階建てに
なっていて、漁夫を立体的に収容したという。
また、鰊漁の最盛期には、一日に数回食事をとるため、
土足のまま食事ができるように床板を外して、
食卓にしたという。
写真をクリックすると別の角度から撮る「主屋」が
表示(600x450)されます。
2013/6/19(6:18)
「土倉(文書庫)」。
地上3階、地下1階の土蔵で、重要書類、家具什器等を
保管し、入口の戸締り(錠)には、複雑な仕組みの
「からくり錠」が使われたという。
また、外壁は「漆喰」なのだが、これを保護するため、
上から取外し式の板を当てているという。
2013/6/19(6:18)
「米・味噌倉(奥)」と「納屋場(手前)」。
「米・味噌倉」は、漁夫達の食料等を保存し、ネズミ等の
侵入に備え、外壁と内壁の間には、石が詰められている
という。
写真をクリックすると拡大写真が
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2013/6/19(6:25)
「納屋場」。
「身欠き鰊」を作るために、内臓を取り除いた「鰊」を
干した場所である。
写真をクリックすると拡大写真が
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2013/6/19(6:20)
「土倉」と「トロッコ」。
「土倉」の右に写るのは「石蔵」。その右奥には「網倉」が
見えている。
写真をクリックすると拡大写真が
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2013/6/19(6:19,6:20)
「トロッコ」と軌道。
大正時代、この漁場で捕れた鰊の運搬に使ったとある。
右の写真をクリックすると「トロッコ」の部分を切り抜いた画像が
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2013/6/19(6:20)
「網倉」。
漁で使う網などを収めていたという。
2013/6/19(6:22,6:24)
「石蔵」。
「鰊粕」や「身欠き鰊」などの製品を保管していたが、現在は漁の道具などが展示されているという。
右の写真をクリックすると拡大写真が表示(600x450)されます。

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