猿田彦神社
&銀山平公園

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2012/6/24(8:19)
「猿田彦神社」入口。
「猿田彦神社」は、国道122号「銅山街道」
から、県道293号「庚申山公園線」に入り、
北北西方向に4.7km程、走った所にある。

2012/6/24(8:19)
「猿田彦神社」の標識に導かれ「庚申川」の
支流に架かる橋を渡る。

2012/6/24(8:21)
「手水舎」。

2012/6/24(8:21)
「鳥居」。
2012/6/24(8:22)
「社殿」。
2012/6/24(8:24)
神社入口に立つ「案内板」。
明治23年(1890)に「小滝坑」の山神社として
建立されたとある。
写真をクリックすると案内板が拡大表示(600x450)
されます。
2012/6/24(8:28)
「銀山平公園」入口。
「銀山平公園」は、「猿田彦神社」のすぐ先に
ある。
2012/6/24(8:28)
公園内にある「生産展示直売所」。
2012/6/24(8:29)
「銀山平」の案内板。
明治24年(1891)に、この地で銀が採掘された
のが、名前の由来。
また、東洋一の大製材所を開設。足尾銅山の
用材基地として最盛期には200人程が従事し、
140戸の社宅を有したとある。
写真をクリックすると案内板が拡大表示(800x500)
されます。
2012/6/24(8:30)
「銀山平公園」のキャンプ場。
広い芝生の上に、バンガローやロッジが点在する。
2012/6/24(8:29)
「銀山公園ご案内」。
「庚申川」で釣りを楽しみ、バーベキュー施設、
プール、温泉などを近くに有するキャンプ場と
いった感じである。
写真をクリックすると案内板が拡大表示(800x450)
されます。
2012/6/24(8:36,8:37)
「中国人殉難烈士慰霊碑(左)」と「慰霊塔(右)」。
近くの案内板には、「太平洋戦争の末期、中国から強制連行されて来た257名が、
足尾銅山の労働に従事し、109名が殉難された」とある。
注:「慰霊塔」は、丘の上にあるが、丘には登らずに「慰霊碑」の近くから撮影したため、
「慰霊塔」は、一部しか写っていない。

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