野木町煉瓦窯

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2016/10/29(15:30,15:32)
駐車場から見る「野木町煉瓦窯」と野木ホフマン館の展示室2。
野木町の煉瓦窯は、栃木県下都賀郡野木町野木にあり、正式名を「旧下野煉化製造会社煉瓦窯」。
通称「野木町煉瓦窯」と呼ばれ、明治23年(1890)から昭和46年(1971)までの間、多くの赤煉瓦を
生産した「ホフマン式」の煉瓦窯である。
焼き上がった煉瓦が冷めるのを待たずに、次の煉瓦が製造できるように、窯を環状に配置した
正16角形の建物や、高さ約35mの煙突などがほぼ完全な形で残る日本で唯一の煉瓦窯である。
展示室は、「野木町煉瓦窯」の見学受付や事務室などの入る「野木ホフマン館」の中にあり、
展示室2では、「野木町煉瓦窯と歴史」に関する展示を行っている。
左の写真をクリックすると「野木町(旧下野煉化製造会社)煉瓦窯」の案内版が表示されます。
この案内板は、1,200x900ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2016/10/29(15:33)
「野木町煉瓦窯」の1/60スケール模型。
模型を利用し、粉炭の投入から煉瓦の焼成、
煙の流れなど、「煉瓦焼成システム」について
紹介している。
2016/10/29(15:33)
展示室2に展示されるパネルなど。
「野木町煉瓦窯」が日本の近代化に果たした
役割や、煉瓦造りの技と工夫などが、パネルなどで
紹介されている。
2016/10/29(15:33)
「刻印煉瓦」と「異形煉瓦」。
刻印により、煉瓦を製造した「窯」が特定できる。
「異形煉瓦」とは、アーチ部分の「くさび形」や
窯や煙突の角(隅)に合せた「五角形」等の
煉瓦である。
2016/10/29(15:34)
「展示室1」。
展示室1では、渡良瀬遊水地と自然等に関する
展示を行っている。
写真に写る女性は、「ミニ水族館」に泳ぐ魚を
覗いている。
2016/10/29(15:35)
「ミニ水族館」。
2016/10/29(15:35)
遊水池に生息する動植物を紹介するパネル。
なお、近くの「野木神社」では、毎年春になると
「フクロウ」が子育てのためにやってきて営巣。
町の鳥にも指定されており、展示室の中には、
「フクロウ」のコーナーも設けられている。
写真をクリックすると「野木神社のフクロウ」を
紹介するコーナーの写真(600x450)が
表示されます。
2016/10/29(15:35)
「渡良瀬遊水地の自然保全と自然を生かした
グランドデザイン」を紹介するパネル。
2016/10/29(15:40)
「旧煙突断片」。
ここには、明治23年(1890)に築造され、
大正12年(1923)の「関東大震災」で落下したと
いわれる、煙突の一部が展示されている。
写真をクリックすると「旧煙突の断片」を撮る
写真(600x450)が表示されます。
2016/10/29(15:41)
「野木町煉瓦窯」。
窯の直径32.6m、外周約100m。
正16角形の建物は、16区画の「窯」に分かれ、
粉炭を搬入する階段が2ヶ所にある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/10/29(15:42)
「粉炭」を搬入する階段。
燃料の粉炭は、天秤棒の前後にぶら下げた
「パイスケ」と呼ばれる皿状の籠に入れられ、
人力でこの階段を歩いて窯上部に運ばれた。
写真をクリックすると「ふたつの階段-粉炭の
搬入-」の案内版(800x600)が表示されます。
2016/10/29(15:46)
「野木町煉瓦窯」の煙突。
高さ約35m。
煙突の上下で、煉瓦や目地の仕様が異なっており、
「関東大震災」後に全長のほぼ上半分が、
積み直されたという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/10/29(15:47)
「野木ホフマン館」の出入口に置かれるヘルメット。
「煉瓦釜」の見学には、ヘルメットを
着用しなければならない。
ボランティアガイドによる解説付きの
見学ツアーは、1日に7回。
この日最後の見学ツアーは、この後
16時からである。
2016/10/29(15:48)
「野木ホフマン館」。
ここで、窯の中に展示されていた図により「ホフマン窯」の仕組みを説明する。
下のハイパーリンクをクリックし、表示される図を見ながら以下の説明をお読み下さい。
  ここをクリックすると「ホフマン窯の仕組み」を紹介する図(800x600)が表示されます
・正16角形の建物の中には、16の「窯」が環状(円形)で連なる。
・図では、16号と1~3号窯の4つの出入口のみが開いていて、他の窯の出入口は、煉瓦と泥で塞がれている。
 一方、煙突へと繋がる「煙道」は、12号窯のみが開けられており、他は閉じられている。
 また、12~16号の各窯の間には、濡らした新聞紙を貼り合わせて作られた壁で仕切られており、
 この壁が、12号窯から先に行こうとする空気の流れを煙突へと導くと共に、火が12号窯に近づくと、
 12と13号窯の間に作られた紙の壁は、自然に燃えて、窯が一つずつずれていくという仕組みである。
・熱せられて軽くなった空気は、12号窯の煙道を通り煙突へと抜ける。
 そして、不足した空気は、16号と1~3号窯に開けられた出入口から供給される。
 供給された空気は、右回りに12号窯へと流れる。
・16~3号窯から入った空気は、焼成の終わった4~7号窯の煉瓦を冷やし、8と9号窯で燃える「粉炭」に
 酸素を供給。10~12号窯では、次に焼く「煉瓦素地」を乾燥させると共に、窯を予熱し、煙突へと抜ける。
 この間に、人は焼成中の8と9号窯の2階から燃料となる「粉炭」を落とすと共に、3号窯で、冷却された煉瓦を搬出。
 16号窯では、「煉瓦素地」を搬入しながら、1号窯との間に紙の壁を作るというわけである。
・1つの窯の焼成時間は、約30時間。焼成が終わると、窯を1つずつ右にずらし、次の窯へと移る。
 これを繰り返すことにより、煉瓦を搬入・搬出している間でも焼成を止めることなく続けることができ、
 16個の窯を約20日間で1周したという。
2016/10/29(16:11)
「野木町煉瓦窯」の1階に向かう。
16時に見学ツアーが始まると、
「旧煙突断片」の前で、「野木町煉瓦窯」の
説明を受ける。
その後、「煉瓦窯」へと向かった。
2016/10/29(16:11)
「野木町煉瓦窯」の壁。
下の黒い煉瓦は、強度を高めるため焼成温度を
高くした「焼過煉瓦」である。
写真をクリックすると「煉瓦の種類・積み方
-色や形、積み方の違い-」の案内版(800x600)が
表示されます。
2016/10/29(16:12)
「野木町煉瓦窯」の壁。
壁の上方は、同じ段に煉瓦の小口面と長手面を
交互に繰り返す「フランス積」。
下は、小口面だけの段と、長手面だけの段が
交互に繰り返す「イギリス積」。
写真をクリックすると「階段の煉瓦の積み方
-二種類の使い分け-」の案内版(800x600)が
表示されます。
注:写真の壁では、フランス積とイギリス積が
案内版の説明とは、上下が逆になっています。
2016/10/29(16:14)
「第11号窯」の中に入る。
階段下の通路や窯の出入口は、「ヴォールト」と
呼ばれる曲面天井になっている。
写真をクリックすると「ヴォールト-アーチを
元にした曲面天井-」の案内版(800x600)が
表示されます。
2016/10/29(16:15)
「第11号窯と12号窯」の中。
第11~15号窯については、落下防止ネット等、
補強はされているが、煉瓦等は当時の状態で、
保存されている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/10/29(16:24)
「投炭孔」。
天井に開いた四角い穴は、焼成中の窯に、
燃料となる「粉炭」を落とすための「投炭孔」。
2016/10/29(16:24)
「煙道」。
各窯の足元には、空気を「煙突」へと導く
「煙道」がある。
写真をクリックすると「煙道」の中を撮影した
写真(600x450)が表示されます。
この写真で、「煙道」の奥に写るのは、
「煙突」の中を明るく照らす照明。
2016/10/29(16:25)
窯の天井に設けられた「落下防止ネット」。
2016/10/29(16:29)
窯の中に積まれた「煉瓦」。
「煉瓦」は、天井まで積み上げられ、その数は、
1つの窯に、14,000~17,000個。
熱が均等に伝わるように、隙間を空けて
積まれたという。
2016/10/29(16:32)
一旦窯の外に出て、別の窯に入る。
確か、第16号窯だったと記憶するのだが、
この記憶は曖昧である。
2016/10/29(16:33)
火を止めるための「仕切壁」。
昭和46年(1971)、「窯」の火を止めるために
設けられたもので、操業時には無かった壁である。
2016/10/29(16:33)
保存のため鉄骨を施した「窯」の中。
第1~10と16号窯は、保存を重点に、
鉄骨が施されている。
2016/10/29(16:40)
再現された「点火窯(第4号窯)」の焚口。
痕跡・史料や聞き取り調査により再現したもので、
点火され操業が始まると、「焚口」は壊され、
この窯でも「煉瓦」の焼成が行われた。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/10/29(16:41)
2階に上がる。
「粉炭」を搬入した階段は、2ヶ所に設けられ、
「野木ホフマン館」の反対側にある階段には、
見学者用のフェンス(手摺り)が設けられている。
2016/10/29(16:41)
「野木町煉瓦窯」の2階。
床には、焼成中の窯に、燃料となる「粉炭」を
落とすための「投炭孔」が並び、その各々には
鉄製の丸い蓋が乗る。
その数は、1つの窯に25個。計400個。
焼成中の「窯」では、約15分毎に「粉炭」が
投入され、焼き上がりは「煉瓦」の収縮具合
により確認。焼き上がると、粉炭の投入を、
次の「投炭孔」に移し、焼成帯を前進させた。
写真の左右には、粉炭を運ぶトロッコの
レールも写る。
写真をクリックすると、上の写真の反対(背中)
方向を撮る写真(600x450)が表示されます。
2016/10/29(16:43)
「煙突」。
2016/10/29(16:45)
「屋根の骨組み」。
正16角形の「煉瓦窯」は、木造上屋で覆われる。
写真をクリックすると、上の写真の右方向を撮る
写真(600x450)が表示されます。
2016/10/29(16:48)
階段を降り、「煙突」に近づく。
2016/10/29(16:49)
「煙突」。
「煙突」と「集煙道」には、中に溜まった煤を
出したり点検補修を行うための開口がある。
2016/10/29(16:50)
焼成窯の修理に使うという「型枠」。
2016/10/29(16:51)
「ダンパー」。
「集煙道」を開け閉めする装置で、焼成中の
「窯」から、3つ先にあるダンパーを開けて、
煙道から煙突への「空気の道」を作る。
2016/10/29(16:56)
「煉瓦窯保存修理事業概要」。
案内版によると、「野木町煉瓦窯」の保存修理は、
平成23年(2011)から平成26年(2014)の間、
総事業費5億円近くをかけて行われている。
写真をクリックすると「煉瓦窯保存修理事業概要」の
案内版を切抜く画像が表示されます。
この画像は、600x800ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2016/10/29(16:57)
「煙突旧補強材の基礎」。
以前は、煙突の鉄骨とワイヤーをこの基礎で
支えていたという(現在は未使用)。
2016/10/29(17:03)
「こびとカフェ@陽だまりレンガ広場」。
「野木ホフマン館」の中には、地産地消を
テーマにしたカフェレストランがあり、
本格窯で焼き上げる「窯焼きピッツァ」や
野菜たっぷりの「煉瓦サンド」などが人気で、
午前はモーニング、昼にはランチ、夕方の
バー&ディナーでは、アルコールも提供され、
夏にはビアガーデンも開催されるという。

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