喜多院
(川越大師)

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2014/4/16(13:19,13:20)
「喜多院(川越大師)」北側の参道と「多宝塔」。
「喜多院(川越大師)」は、天長7年(830)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられる。
天台宗に属し、山号は「星野山(せいやさん)」。正式名は「天台宗星野山無量寿寺喜多院」である。
「良源(慈恵大師、元三大師)」を祀り、別名「川越大師」と呼ばれている。
客殿、書院、庫裏は、元江戸城の紅葉山御殿から移築される等、建物のほとんどは重要文化財に
指定されている。
また、境内の「五百羅漢」は、天明2年(1782)から50年をかけ、538体が建立されたもので、
日本三大羅漢の一つに数えられている。
左の写真をクリックすると「境内案内図」が表示されます。
この境内図は、960x800ピクセルあります。
境内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
右の写真をクリックすると近寄って撮る「多宝塔」が表示(450x600)されます。
2014/4/16(13:22)
「慈恵堂(潮音殿)」。
「喜多院」の本堂である。
「喜多院」の境内には国指定の重要文化財が多い中で、
この本堂は、県指定の有形文化財であるが、堂内には、
国の重要文化財に指定される「銅鐘」があり、年に一度
大晦日の「除夜の鐘」として撞かれるという。
2014/4/16(13:22)
「大黒天」。
「蔵づくりの町並み」を囲むように巡る全行程約6kmの
「小江戸川越七福神めぐり」の第三番目札所である。
2014/4/16(13:26)
喜多院の「庫裏、客殿、書院」。
寛永15年(1638)、川越大火で山門と経蔵以外の
伽藍を焼失するが、その翌年、徳川家光の命により、
江戸城紅葉山御殿の一部を「庫裏、客殿、書院」として
移築したという。現在、何れも国の重要文化財に指定
され、「庫裏(写真右の建物)」が拝観入口。
客殿は、「徳川家光公誕生の間」。書院は、「春日局
化粧の間」と呼ばれ建物の中を拝観(有料)することが
できる。
ただし、建物内部は撮影禁止で紹介できないため、
順路図のみ紹介する。
写真をクリックすると「客殿・書院」の順路図(600x500)が
表示されます。
2014/4/16(13:42)
「慈眼堂」。
「天海(慈眼大師)」を祀る。
写真をクリックすると「慈眼堂」の案内板(800x600)が
表示されます。
2014/4/16(13:45)
「仙波東照宮」。
元和2年(1616)に亡くなった「徳川家康」を「久能山」から
「日光山」に改葬の途中、「喜多院」において、大法要が
営われたことから、この地に「東照宮」が建てられたと
いう。
2014/4/16(13:46)
「葵庭園」。
池の中央には「弁財天厳島神社」が建つ。
池は、ホタルの自生地となるよう運動がすすめられ、
毎年6月にはホタル観賞会「ホタル祭り」が実施される
という。
2014/4/16(13:47)
「鐘楼門」。
「喜多院」のHPには、建立年代ははっきりとしないが、
「星野山御建立記」の記録には、寛永10年(1633)に
東照宮の門として鐘楼門が建立されたと書かれており、
当時の東照宮は今の慈眼堂の場所にあったという。
写真をクリックすると「鐘楼門」の案内板(800x600)が
表示されます。
2014/4/16(13:47)
「鐘楼門」の上層部。
花頭窓の両脇には「花鳥」の彫物が飾られる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2014/4/16(13:49)
「太子堂」。
弘化4年(1847)、末寺混合院境内地に創建され、
その後、日枝神社境内、現在の多宝塔建立地と移築
されるが、昭和47年(1972)、多宝塔の大修繕に伴い、
この場所に再興されたという。
2014/4/16(13:50)
「山門」。
寛永9年(1632)に「天海僧正」により建立され、
寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れたことから、
現在、喜多院に現存する最古の建物となっている。
2014/4/16(13:50)
山門横の「番所」。
喜多院は、江戸幕府の御朱印地(幕府の土地扱い)で
あったため、入山する人々の警備や見張りのために、
この「番所」が設置されたのではないかという。
2014/4/16(14:14)
「五百羅漢」入口。
拝観券が必要で、喜多院の「庫裏、客殿、書院」と
共通券になっている。
2014/4/16(13:52)
入口付近から見る「五百羅漢」。
写真中央奥に「中央高座」があり、想像していたより
狭い場所に538体の石像が整然と並ぶ。
2014/4/16(14:11)
西側に並ぶ石像。
2014/4/16(14:11)
中央高座周辺の石像。
中央高座に「釈迦如来」。中央高座前には、写真奥に「十大弟子」、手前に「十六羅漢」が並ぶ。
2014/4/16(14:13)
北から南に向けて撮る。
壁の外左に写る建物は、「山門(番所)」。
2014/4/16(13:53)
「釈迦と脇侍」。
中央高座には「釈迦如来」、向かって左に「文殊菩薩」、
右に「普腎菩薩」が並ぶ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2014/4/16(13:54,13:57)
「内緒話」と「お酌」。
「羅漢像」の表情やしぐさが豊富なことは勿論だが、他の五百羅漢に比べると、喜多院の「羅漢像」は、
通常の日常生活の中で見る姿が、そのまま刻まれているというのが特徴であろう。
「五百羅漢」とは、「仏陀に常に付き添った500人の弟子」というが、その弟子たちが「この様な姿を人に見せて
いいのだろうか?」と思えるような微笑ましい姿がある。
以降、その一部を紹介する。
2014/4/16(13:59)
「孫の子守」。
2014/4/16(14:05)
「マッサージ」。
2014/4/16(13:58)
「眠る」。
2014/4/16(14:04)
「お遍路」。
2014/4/16(13:56,13:57)
「申(さる)」と「子(ねずみ)」。
じっくりと探せば「十二支」全てが揃う。
2014/4/16(14:02)
「丑(うし)」。
2014/4/16(14:04)
「巳(へび)」。
2014/4/16(13:55)
「鳥」。
「十二支」以外にも多くの生き物が刻まれる。
左の老人が手に持つのは、鳥でも「インコ」の様である。
2014/4/16(14:03)
「獅子」。
2014/4/16(14:06)
「魚」。
2014/4/16(13:58)
「達磨」。

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