秩父神社&秩父まつり会館

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2010/4/13(17:11)
秩父神社南門(一の鳥居)。
知知夫国の総鎮守「秩父神社」は、三峯神社、
宝登山神社と並んで秩父三社の一つとされる。
また、学業成就の神社として、多くの受験生が
訪れる。

2010/4/14(6:44)
神門。
南門(一の鳥居)と本殿(拝殿)の間にある。
毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」
として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都
の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の
一つに数えられている。

2010/4/14(6:44)
秩父神社本殿(拝殿)。

2010/4/14(6:48)
本殿(拝殿)の随所には、多くの彫刻が施されて
いる。
2010/4/14(6:50)
お元気三猿。
「日光東照宮」の三猿は、「見ざる、言わざる、
聞かざる」として有名であるが、秩父神社は、
「よく見て、よく聞いて、よく話す」のお元気
三猿である。
2010/4/13(17:20)
豊受大神宮。
御祭神は、伊勢の外宮に祀られる豊受大御神で、
日の神に仕える五穀豊穣の神さま。
2010/4/13(17:21)
天神地祇社。
全国の一ノ宮や、それに準ずる神社の計75座の
神々を祀る。
2010/4/14(6:53)
北辰の梟。
この梟、体は南側の「ご本殿」を向き、頭は北を
向いて、昼夜を問わず、ご祭神をお守りしている
という。
2010/4/13(17:24)
皇大神宮。
御祭神は、伊勢の内宮に祀られる天照大御神、
皇室の祖神で、日の神・日本の総氏神さま。
2010/4/14(6:55)
つなぎの龍。
秩父観音霊場「少林寺」近くの「天ヶ池」の龍が
暴れると、この彫刻の下に水溜りができたことか
ら、彫刻の龍を鎖で繋ぎとめたところ、その後、
龍は現れなくなったという伝説の龍。
名工左甚五郎が彫ったと伝えられる。
2010/4/14(6:57)
子育ての虎。
永禄12年(1569年)戦禍により消失した
「秩父神社」は、「徳川家康公」の力により再建
される。この「家康公」が、寅歳・寅の日・寅の
刻生まれであったことから、名工左甚五郎が、
「家康公」の威厳とご祭神を守護する神使として
彫ったと伝えられる。
2010/4/13(17:26)
左から、災禍を直す神さま「禍津日社(まがつひ
のかみ)」。
学業成就の神さま「天満天神宮」。
子孫繁栄の神さま「東照宮」。
2010/11/7(14:56)
「秩父まつり会館」前の案内板。
この行からは、2010年11月に再訪したときの
「秩父まつり会館」の写真です。
「案内板」には、「秩父まつり会館」は、
「昭和59年に開館。「笠鉾・屋台」各一基を
音と光により演出した展示コーナーを中心と
して、映写コーナー、資料展示コーナーが
設けられ、いつでも、秩父夜祭の雰囲気を
味わえる」とある。
2010/11/7(15:05,15:23)
「笠鉾」の展示物。
「秩父まつり会館」の1階は、「笠鉾・屋台コーナー」、「映写室」と「売店」等がある。
写真の「笠鉾」は、寛政7年に再建された「下郷笠鉾」を復元したもので、土台の中央から
長い「真柱」を立て、3層の「花笠」に水引幕を吊り、造花を放射状に垂らした「笠鉾」本来の
姿である。
実際の「秩父夜祭」では、中近(なかちか)と下郷(したごう)の2基の「笠鉾」が曳行されるが、
大正3年、順路に電線が架設されたため、「笠鉾」本来の姿での曳行はできなくなり、
現在では、3層の「花笠」を外した「屋形姿」で曳行されている。
2010/11/7(15:03,15:07,15:22)
「屋台」の展示物。
写真の「屋台」は、表柱間2.42m。妻3.94m。襖の部分が回転する回り舞台になっている。
「秩父夜祭」では、宮地(みやぢ)、上町(かみまち)、中町(なかまち)、本町(もとまち)の四基が曳行され、
当番形式で「屋台歌舞伎」が上演される。この時は、「屋台」の左右に張出舞台をつけて芸座を組み立てる。
また、「屋台歌舞伎」の当番町は、演目の決定から、配役の選出、せりふの稽古等、準備には1年以上かかるといわれる。
2010/11/7(15:17,15:18)
「笠鉾・屋台関連資料」。
「秩父まつり会館」の2階は、「資料展示コーナー」となっており、「秩父夜祭」の歴史、構成、
関係資料などが展示されている。
写真の説明には「屋台」の組み立ては、100人近い人員により進められ、「組立式木構造」では、
最高の技術として評価されているとある。
なお、「秩父夜祭」は、江戸時代に三千~四千両の絹取引が行われたという、
絹織物の市「絹大市」の最終を飾る一大行事から発展したもので、
・秩父神社の女の神様と武甲山の男の神様が年に一度の逢い引きをするお祭り
・豊作をもたらしたお水をお山(武甲山)にお返しをするお祭り
ともいわれている。
2010/11/7(15:21)
「秩父神社神輿(県指定文化財)」。
毎年12月3日(大祭)の夕方、秩父神社から、
御神幸の行列が、祭主を先頭に、約1km離れた
「武甲山」を間近に望む「御旅所」へと向かう。
この「御神幸行列」で使われ、約450年前に
作られたという県内最古の「神輿」。
2010/11/7(15:24)
「芸座・花火・のぼり旗飾り」等の展示物。
豪華絢爛な「笠鉾・屋台」は、動く「陽明門」
ともいわれている。
2010/11/7(15:24)
「団子坂曳上げ」の様子。
「御神幸行列」に続き、6基の「屋台・笠鉾」も
「御旅所」に向かう。これは、「船(屋台)で
不老不死の実がなる樹があると伝わる蓬莱
(お旅所)に向かって航行すること」だという。
この行列進行の途中にある坂が「団子坂」。
「屋台」の重量は12~15トン。
坂の下で綱を張り直し、人力のみで一気に坂を
曳き上げる。
この時に合わせ「花火」も打ち上げられ、
祭りはクライマックスを迎える。
また、通過経路の秩父鉄道秩父本線では、
架線を一時的に取外し運休。
道路標識や信号機も、折りたたむという。
2010/11/7(15:26)
「斎場祭」の説明。
6基の屋台・笠鉾が、「御旅所」に到着し、
「神輿」が安置されると、「斎場祭」が
執行される。
「斎場祭」では、北辰妙見の神獣「玄武」を
模した「亀の子石(姿は亀、顔は人間のような
形をしている)」の背中に大幣束が立てられ、
6基の「笠鉾・屋台」は「亀の子石」を中心に
扇形に曳き据えられ、「祭主」の祝詞が奏上。
次いで「二人舞」という四方堅めの舞いの代参宮
神楽が奉納される。
なお、この「斎場祭」は、「御旅所」内で
行われるため、一般の人が見ることはできない。

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