箱根旧街道&関所跡
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2010/4/6(11:46)
「畑宿」バス停を「一里塚」の方向に入った所に
ある「箱根路 東海道」の碑。
「畑宿」は、箱根旧街道を歩くフルコース「箱根
湯元-元箱根」間9.5kmのほぼ中間点であ
り、「畑宿」をハイキングの発着点に選ぶ人も多
い。このハーフコースでは、主な見所は全て見れ
るのに、歩く距離はフルコースの約半分ですむ。
また、山登りが目的でなければ、「元箱根」から
「畑宿」までの下りを歩き、「畑宿」から「箱根
湯元」の間は、バスを利用すれば、楽である。
2010/4/6(11:48)
畑宿一里塚。
「一里塚」は、街道の一里(約4km)毎に作ら
れた旅人の目印。
「畑宿一里塚」は、「江戸日本橋」から23里の
距離にあり、東海道の中で唯一その形態を留める
ものとある。
2010/4/6(11:54)
守源寺。11時46分「箱根路 東海道」の碑の
右(大黒天の幟が立っている)にある。
日蓮宗の寺。箱根七福神のひとつで、大黒様が
祀られている。
2010/4/6(12:12)
甘酒茶屋。
江戸初期創業。約400年の歴史を待ち、
現在12代目を数える老舗。
砂糖を使わない麹の甘さだけにこだわった甘酒が
名物。
2010/4/6(12:14)
甘酒茶屋の隣りにある、「箱根旧街道休憩所」。
元の「箱根旧街道資料館」で、今は誰でも無料で
利用できる休憩所になっている。
中には、江戸時代のものと思われる、「
駕籠
」と
「荷車」が展示してあった。
2010/4/6(12:31)
お玉ヶ池。
元禄15年「お玉」は、故郷が恋しくなったの
か、江戸の奉公先を脱け出し、南伊豆に帰る
途中、手形がないため裏山を通り抜けようとし、
関所破りの罪で処刑される。その「お玉」の首を
「薺ヶ池」で洗ったといわれ、その後、この池を
「お玉ヶ池」と呼ぶようになったとのこと。
2010/4/6(12:30)
「お玉ヶ池」から見る「二子山」。
二子山は、上二子山(標高:1,091m)と下二子山(標高:1,065m)からなり、頂上付近には「ハコネコメツツジ」と呼ばれる富士火山帯
特有のツツジ類を始め「サンショウバラ」や「コイワザクラ」、「ヒメイワカガミ」などが生育する特別保護地区に指定されていることから、
一般者の立入は禁止され、登山することはできない。
2010/4/6(13:17)
箱根杉並木。
「元箱根」に車を止め、旧街道の石畳を歩いて
みることにした。
写真は、「元箱根」から「権現坂」に向かう途中
で撮影。この「杉並木」は、江戸時代、徳川幕府
が整備のために植えたもので、樹齢約370年と
いわれる。
2010/4/6(13:19)
ケンペル氏バーニー氏碑。
ケンペル氏は、オランダ通商使節の一員として
2度箱根を越え、箱根の美しさを世界に紹介。
バーニー氏は、箱根に別荘を持っていた英国の
貿易商で、ケンペル氏の著「日本誌」の序文を
引用した「箱根の自然を称える碑」を建てたと
ある。
2010/4/6(13:21)
杉並木歩道橋。
「ケンペル氏バーニー氏碑」に隣接する、この
「杉並木歩道橋」を渡れば、「旧街道石畳」の
道である。
2010/4/6(13:22)
「杉並木歩道橋」を渡ると、
「史跡 箱根旧街道」と書かれた碑があった。
なお、旧街道が石畳になる前は、雨が降るとスネ
までつかる泥道となり、参勤交代の大名から不満
の声が絶えず、竹道に変えられる。しかし、竹道
では、毎年枯れるため、その調達と労力、費用が
かさむため江戸幕府は延宝八年(1680年)に
石畳を敷いたとのこと。
2010/4/6(13:23)
箱根旧街道 石畳の道。
この辺り、綺麗に整備されてはいるが、石畳の
表面の凸凹は大きい。
スニーカーよりは、底が硬く、足首も保護して
くれる軽登山靴の方が歩きやすいし、安全で
あろう。
2010/4/6(13:25)
権現坂の石碑、説明板と鳥居。
説明版には「小田原から箱根路をのぼる旅人が、
いくつかの急所難所をあえいでたどりつき一息
つくのがこの場所」と書かれている。
2010/4/6(13:27)
石畳の道は、「権現坂」の鳥居を左に見て進むの
だが、ちょっと寄道をして、鳥居を左に階段を
登ってみた。
すると、苔むした趣のある木。木の前には、賽銭
箱と小さな鳥居が置かれている。そこは、野趣あ
ふれる雰囲気の場所であった。
場所的に「箱根権現」に関するものなのだろうと
思うのだが、詳細は不明。
上の写真をクリックすると、別ウインドが開き、
拡大(450x600ピクセル)写真がご覧になれます。
2010/4/6(13:30)
「権現坂」の鳥居まで戻り、先に進むと、江戸
時代と、鎌倉時代の東海道が交わる場所を通過。
説明版には、鎌倉時代の東海道は、「湯坂道」と
呼ばれ、平安時代、富士山の噴火で利用できなく
なった「足柄道」の代わりに利用されるように
なった。
また、江戸時代の東海道は、東海道五十三次の
一部で、当時の人々はこの道を通って箱根を越え
たとある。
2010/4/6(13:34)
箱根馬子唄の石碑。
馬子唄は、馬の売買人や馬に荷を乗せて運んだ
馬子が、峠を越えるときに唄ったもので、
石碑には、唄の一部「箱根八里は馬でも越すが
こすに越されぬ大井川」と刻まれている。
2010/4/6(13:47)
展望広場から見る「駒ヶ岳」と「二子山」。
13時38分、「休憩広場」への分岐を通過。よく踏み込まれ、年代を感じさせる石畳の道を進み、13時45分、「展望広場」への分岐を曲がる。
この場所からだと、「お玉ヶ池」からは見えなかった「駒ヶ岳」と「上二子山」頂上にある電波塔の先端部分を見ることができた。
注:写真合成のため、案内板が歪んでしまったが、実際の案内板が歪んでいるわけではない。
2010/4/6(13:51)
石畳の道に戻り、先に進むと「白水坂」の下り坂
になる。
写真では、それ程には見えないが、かなりの急坂
で、湿った石の上を歩くと滑りそうである。
2010/4/6(13:55)
「石畳の構造」と書かれた説明板。
石畳は、「小石と土とを突き固めた地面の上に、
石と石とを組み合わせて並べており、さらに、
石畳の横に、縦の排水路を持っている。また、
並木が植っていた土手も、人工的に造られた
もの」とある。
2010/4/6(13:58)
県道732号線に出る。この場所は、バス停「旧
街道石畳」の近くで、12時12分の写真にある「甘
酒茶屋」まで、400mの地点である。
この日はここまで。この後、「元箱根」に戻り
「箱根関所跡」に向かう。
2010/4/6(14:54)
箱根関所資料館。
資料館の中には、当時の関所手形や、関所破りの
記録、関所破りを防ぐための武具類等が展示され
ている。
2010/4/6(14:57)
箱根関所跡(江戸口御門)。
昭和58年、江戸時代末期に行われた箱根関所の
解体修理の詳細な報告書が発見されたことによ
り、当時の箱根関所の建物や構造物などの全貌が
明らかになった。この資料の解析と跡地の発掘調
査を経て、建物だけでなく、調度品なども復元さ
れている。
2010/4/6(15:13)
芦川橋。
江戸時代、東海道に三ヶ所あったといわれる石橋
の名橋のひとつで、神奈川の名橋100選にも
指定されている。
箱根町芦川地区の旧街道にかかっていたものを
保存のために、恩賜箱根公園内白鳥の池に移築
したとある。
2010/4/6(15:02)
関所跡の前にある、土産物屋から見る「箱根関所跡」。
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