常盤神社

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2010/5/14(10:47)
「常盤神社大鳥居」。
観梅と萩まつりの期間中に開設される臨時駅
「偕楽園駅」の前にあり、ここには、
76段の石段がある。

2010/5/14(10:48)
「常磐神社」は、水戸藩第二代藩主「徳川光圀
(義公)」と
第九代藩主「徳川斉昭(烈公)」を祀る。
光圀公は、「水戸黄門」として有名で、大日本史
編纂の祖。また、
斉昭公は、最後の将軍
「徳川慶喜公」の父君で、偕楽園開園の祖として
知られる。

2010/5/14(10:51)
「能楽殿」。
戦災に焼け残った唯一の建物である「神楽殿」を
平成3年「能舞台」に改修。
毎年9月、ここで「水戸薪能」が開催される。

2010/5/14(10:52)
「溶解爐」。
徳川斉昭(烈公)が、市内神崎に大砲製造所を設け、
大砲を鋳造した際に使用したもの。
2010/5/14(10:53)
「義公鑽仰碑」。
昭和45年、明治百年記念事業として建てられる。
2010/5/14(10:53)
「火薬壷」。
非常の際に使用する火薬を保存した壷で、
昭和6年水戸城址から発掘された11個の内の
3個とある。
2010/5/14(10:54)
「知足の蹲踞」。
本物は、石庭で有名な、京都の「龍安寺」にあり、
徳川光圀(義公)の寄進と伝えらる。
蹲踞(つくばい)とは、「茶室に入る前に
手や口を清めるための手水を張っておく石」のこと。
水の溜まる四角の部分を「口」と見ると、
書かれている文字は、上から右回りに「吾唯足知」で、
「吾唯足るを知る」となり、説明版には
「有れば則ち有るに随って楽ショし、
無ければ則ち無きに任せて晏如たり。
徳川光圀(義公)御生前の人となりがしのばれる」
とある。(パソコン上に表示できない文字をカタカナで
記述しています)
2010/5/14(10:56)
「常盤神社社殿」。
明治初年、偕楽園内に祠堂が創立され、
明治6年(1873年)、勅旨をもって「常磐神社」の
社号を賜る。比較的、近代に建てられた
新しい神社といえる。
明治7年現在地に建てられた社殿は、
昭和20年8月戦災により焼失。
現在の建物は、昭和34年に建てられたもの。
2010/5/14(10:57)
「常磐稲荷神社(末社)」。
社殿に向かって右にある。日本神話に登場する神
「宇迦之御魂命」を祀る。
2010/5/14(10:59)
「三木神社(末社)」。
社殿に向かって左奥にある。
「三木之次(徳川光圀育ての親)」と
「三木武佐」を祀る。
2010/5/14(11:00)
「手水舎」。
境内西側「東湖神社」の入口近くにある。
2010/5/14(11:01)
「東湖神社(摂社)」。
境内西側にある。江戸時代後期に活躍した
水戸藩の政治家「藤田東湖」を祀る。

 旅の記録(茨城県)に戻る

 旅の記録に戻る    Donichi’s HomePageに戻る