西山の里
(西山荘)

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2016/10/1(10:13,10:18)
駐車場から見るお休み処「桃源」と「西山の里」の庭園に入ったところ。
テレビドラマ「水戸黄門」で知られる「西山荘」は、水戸藩2代藩主「徳川光圀」の隠居所である。
建物は、元禄3年(1690)に建てられ、光圀公は、翌年の元禄4年(1691)から元禄13年(1700)に
亡くなるまでの10年間を過ごし、歴史書「大日本史」の編纂に尽力したという。
後の文化14年(1817)、野火により建物は焼失するが、文政2年(1819)に8代藩主「齊脩」によって
再建され、現在は、公益財団法人「徳川ミュージアム」が管理。水戸徳川家伝来の歴史的資料や
「光圀公」ゆかりの品などを展示する博物館として一般に有料で公開され、周囲は「西山の里」として
庭園などが整備され、こちらは無料で散策することができる。
なお、チケット購入時に頂いたパンフレットや徳川ミュージアムのHPには、「西山荘」ではなく、
「西山御殿」となっているが、本ページでは、一般的に知られる「西山荘」と記述する。
左の写真をクリックすると「西山の里」の案内図が表示されます。
この案内図は、1,200x900ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2016/10/1(10:19)
お休み処「桃源」の前に広がる庭園。
お休み処「桃源」は、「西山の里」の入口にある
休憩施設で、和風レストランや土産物の販売、
観光案内などを行っている。
お休み処「桃源」と「西山荘」との間に広がる
8,000㎡の園地には、池や橋を配した庭園が
造られ、四季折々の花が咲く。
2016/10/1(10:21)
庭園右手の高台には「不老池」があり、
石段下には、茶室「晏如庵」の看板が立つ。
2016/10/1(10:21)
「不老池」。
ここから左に歩くと、茶室「晏如庵」。
右に歩くと、「助さん住居跡」へと至る
「もみじ回廊」がある。
2016/10/1(10:23)
「もみじ回廊」。
「もみじ回廊」を「助さん住居跡」へと歩く。
2016/10/1(10:24)
「もみじ回廊」は、「不老池」の縁に沿って
池の奥へと向かう。
2016/10/1(10:25)
「回廊」が終り、この坂を上がれば、
「助さんの住居跡」である。
2016/10/1(10:26)
「助さん住居跡」。
更地で、住居の痕跡は残らないが、写真右には
当時「助さん」が使ったであろう「井戸」が残る。
写真をクリックすると「助さん住居跡」の
案内版(800x600)が表示されます。
2016/10/1(10:28)
往路を戻る。
2016/10/1(10:32)
直進し、茶室「晏如庵」に向かう。
2016/10/1(10:34)
茶室「晏如庵」。
茶室「晏如庵(あんじょあん)」は、「光圀公」が
茶の湯を楽しんでいたという逸話にちなんで
建てられたという。
「茶室」は予約が必要だが、「立礼席」では、
誰でもが、静かなたたずまいの中で、
お茶の一時を楽しむことができる。
2016/10/1(10:36)
「西山荘」に向かう。
2016/10/1(10:37)
「ご前田」。
「光圀公」は、約5000㎡の水田を耕し、
1領民となられた証しとして13俵の年貢米を納めた。
これは、その水田の一部とある。
2016/10/1(10:39)
「水蓮の池」。
2016/10/1(10:41)
「西山荘入口」。
左の建物「西山荘管理事務所」でチケットを購入。
「西山荘」の敷地内に入る。
2016/10/1(10:43)
「くぬぎ(櫟)門」。
「櫟(くぬぎ)」の丸太が立つだけの質素な門である。
近くには「下乗」の立て札が立ち、ここから先は、
「駕籠」や「馬」に乗ったまま入ることは許されず、
誰でもが、ここで降りて歩いたという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/10/1(10:43)
奥へと進む。
前方に「通用門(裏門)」があるのだが、
この年(2016)1月の強風により、屋根の「ぐし(棟)」が
損壊したとあり、復旧工事中であった。
2016/10/1(10:45)
「お成り道(表道)」。
「光圀公」も常々歩いた道で、近くには「光圀公」が、
紀州(和歌山県)から取り寄せたという樹高約50m、
樹齢約320年の「熊野杉」が立つ。
2016/10/1(10:46)
「紅蓮池」。
「瓢箪池」とも呼ばれ、季節には赤い蓮の花を
咲かせるという。
右奥には、「西山荘」が見えている。
2016/10/1(10:48)
「五本の柳」。
「光圀公」は、庭前に五本の柳を植え、
自らを「五柳先生」と称した中国の詩人「陶淵明
(とうえんめい)」の節義をしたい、「突上ご門」の
隣りに五本の柳を植えたという。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/10/1(10:49)
「突上ご門」。
「西山荘」の表門である。
「光圀公」が、周囲の木立に合せ考案したといわれ、
昼は、扉を突き上げて「門」とし、夜は下げて「塀」の
役目をしたという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/10/1(10:51)
正面には案内板が立ち、「洗耳の滝」とある。
2016/10/1(10:52)
写真中央右の辺りに、「洗耳の滝」がある。
すぐ上にある「桜ヶ池」から静かに流れ落ちる
小さな滝である。
写真をクリックすると近づいて撮る「洗耳の滝」が
表示(450x600)されます。
2016/10/1(10:54)
「桜ヶ池」。
「光圀公」が耕された「ご前田」を潤した水である。
2016/10/1(10:56)
「桜ヶ池」から見る「西山荘(西山御殿)」。
「桜ヶ池」は、「西山荘」の敷地内で一番高い
場所にある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/10/1(10:57)
「桜ヶ池」から一旦坂を下り、再度登り直し、
「西山荘」の庭に向かう。
2016/10/1(10:59)
「西山荘」の庭から見る「突上ご門(表門)」。
「西山荘」の表門で、水戸城からの使者などは、
この門を通って「西山荘」に入ったという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/10/1(11:00)
西山荘の「玄関」。
玄関は6畳敷き。玄関の左には、水戸城からの
使者や侍達の控え室「溜の間」がある。
2016/10/1(11:01)
「御座ノ間」。
「御座ノ間」は、「光圀公」の居間なのだが、
右隣にある「御次ノ間」との間を仕切る「敷居」がない。
これは、身分を越えて領民と親しく交わりたいという
「光圀公」の考えからだという。
2016/10/1(11:02)
「御学問所」と「御寝室」。
丸窓のある3畳の書斎は、「光圀公」が「大日本史」を
編纂した御学問所で、「光圀公」は、元禄13年(1700)、
この「御寝室」で、その生涯を閉じたという。
写真をクリックすると別の角度から取る「御学問所」の
写真(600x450)が表示されます。
2016/10/1(11:02)
西山荘前の「庭園」。
案内版の右にあるのが、昭和4年(1929)、昭和天皇
行幸のときの「御座所跡」。
左には、「光圀公」が毎年元旦に京都を遙拝したという
「遙拝石」がある。
写真をクリックすると案内版の周囲を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2016/10/1(11:05)
「お胞衣塚」。
案内版の右に立つのが、光圀公の「お胞衣(後産)」を
納める「お胞衣塚(おえなづか)」。
2016/10/1(11:06)
「心字(白蓮)池」。
「人の心は裏からも見よ」との戒めから、この池は、
「心」の文字を裏から見た形に掘られている。
写真をクリックすると「心字(白蓮)池」の
案内版(800x600)が表示されます。
2016/10/1(11:08)
「西山荘守護宅」。
「西山荘」の裏庭に立つこの建物は、
当時、西山荘を守護した侍達の居宅を復元したもので、
「資料室(博物館)」として使用されている。
2016/10/1(11:11)
光圀公の「書斎」。
資料室の中には、光圀公の「書斎(御学問所)」が
実物大で、再現されている。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/10/1(11:11,11:12)
「資料室(博物館)」内の展示の様子。
「資料室(博物館)」の中では、水戸徳川家伝来の歴史的資料や
「光圀公」ゆかりの品々などが展示されている。
2016/10/1(11:13)
裏庭から見る「西山荘(西山御殿)」。
2016/10/1(11:13)
「西山荘守護宅」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/10/1(11:14)
「通用門(裏門)」に向かう。
2016/10/1(11:14)
「通用門(裏門)」。
この日は、屋根の復旧工事中であった。
家臣や近所の領民が出入りする「通用門(裏門)」が、
表門の「突上ご門」よりも立派なのは、華美を嫌い、
領民たちを大切にされた「光圀公」の人柄故という。
2016/10/1(11:20)
「西山荘」の敷地を出て、駐車場へと向かう。
整備された、雰囲気の良い庭園である。
この梅園には、「光圀公」が一番好んだという
「難波梅(なにわうめ)」が、「光圀公」の没後300年を
記念して植えられている。
2016/10/1(11:22)
庭園内に建つ「あずま屋」。
2016/10/1(11:23)
奥にお休み処「桃源」。
チケット購入時に頂いたパンフレットには、
「特に庭園は、学者大名として名高い光圀公が
描いた桃源郷・理想郷の空間」とある。
この日は、小雨模様で人の姿も少なく、
可憐に咲く花等も観ることがなかったのだが、
それが逆に幸いし、華美を押さえた質素な
雰囲気を醸しだし、「光圀公」好みの「西山荘」を
演出していたように思う。

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