亀城公園(土浦城)

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2011/2/1(10:08,10:09)
「シイの木(県指定天然記念物)」。
「亀城公園(土浦城)」は、JR常磐線「土浦駅」の北西約1km弱。徒歩でも15分程の所にあり、
県指定天然記念物の「シイの木」と、江戸時代前期の建造物としては関東唯一現存する
「櫓門(やぐらもん)」で知られる。
写真の「シイの木」は、樹齢推定500年。樹高16m。枝張り21mとある。

2011/2/1(10:12)
「旧前川口門(市指定文化財)」。
親柱の背面に控柱を立て、屋根を架けた「高麗門」
で、当時は武家屋敷「多計廓」と町屋の間を仕切る
門であったといわれる。昭和56年(1981)、土浦城
「二之門」のあった、この位置に移築された。

2011/2/1(10:14)
「旧前川口門」の近くから見る「亀城公園」。
「亀城公園」の名前は、堀に囲まれた「土浦城」の姿が水に浮かぶ「亀」に見えたことから、別名「亀城」と呼ばれたことに由来する。
なお、「土浦城」は、室町時代に常陸守護職「今泉三郎」が築城。江戸時代に増改築を重ね完成。幅の広い二重の堀で守る平城であり、
現在では、茨城県指定史跡の第1号になっている。
写真中央に写る白塀の左端付近に「櫓門」があり、白塀の右端が「東櫓」。写真右端には「聖徳太子堂」が写る。
2011/2/1(10:15,10:15)
「聖徳太子報恩碑(左)」と「聖徳太子堂(右)」。
昭和11年(1936)、土浦の有志により「桜川畔」に「聖徳太子報恩碑」が建てられるが、
昭和40年(1965)、土手改修工事により場所を移すことになる。この時、土浦の市長と五職組合の
尽力で、この場所に「聖徳太子報恩碑」を移すとともに、御堂を建て「太子御尊像」を奉納したと
いう。
2011/2/1(10:17)
「櫓門(やぐらもん)」。県指定文化財。
本丸の「楼門」であったものを、明暦2年(1656)、
五代藩主「朽木稙綱」が櫓門に改築。
2階に「大太鼓」を置き、時を知らせたことから、
別名、「太鼓櫓門」ともいわれる。
2011/2/1(10:19)
「本丸」側から見る「櫓門」。
本丸御殿は、明治17年(1884)火災により焼失。
後に、郡役所の建物が御殿跡に建てられるが、
昭和7年(1932)郡役所建物の移築時に、本丸は
整地され、現在の広場になった。
2011/2/1(10:19)
「東櫓」。
平成10年(1998)、土浦市立博物館の付属展示館と
して復元される。
2011/2/1(10:21)
「霞門(市指定文化財)」。
2011/2/1(10:25)
「霞橋」から見る「東櫓」。
2011/2/1(10:30)
「土屋神社」。
明治31年、土屋家の個人所有地であった
「土浦城」を公園とする条件として、当時川口町
にあった「土屋神社」を、この場所に遷座したと
いう。
2011/2/1(10:32)
「西櫓」。
昭和24年(1949)、台風の被害を受けた西櫓は、
翌年の昭和25年(1950)、復元するという条件で
解体され、長年の間復元されなかったが、
平成4年(1992)に復元される。

 霞ヶ浦周辺に戻る      旅の記録(茨城県)に戻る

 旅の記録に戻る    Donichi’s HomePageに戻る