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2011/2/1(10:08,10:09) |
2011/2/1(10:12) |
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2011/2/1(10:14) 「旧前川口門」の近くから見る「亀城公園」。 「亀城公園」の名前は、堀に囲まれた「土浦城」の姿が水に浮かぶ「亀」に見えたことから、別名「亀城」と呼ばれたことに由来する。 なお、「土浦城」は、室町時代に常陸守護職「今泉三郎」が築城。江戸時代に増改築を重ね完成。幅の広い二重の堀で守る平城であり、 現在では、茨城県指定史跡の第1号になっている。 写真中央に写る白塀の左端付近に「櫓門」があり、白塀の右端が「東櫓」。写真右端には「聖徳太子堂」が写る。 |
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2011/2/1(10:15,10:15) 「聖徳太子報恩碑(左)」と「聖徳太子堂(右)」。 昭和11年(1936)、土浦の有志により「桜川畔」に「聖徳太子報恩碑」が建てられるが、 昭和40年(1965)、土手改修工事により場所を移すことになる。この時、土浦の市長と五職組合の 尽力で、この場所に「聖徳太子報恩碑」を移すとともに、御堂を建て「太子御尊像」を奉納したと いう。 |
2011/2/1(10:17) 「櫓門(やぐらもん)」。県指定文化財。 本丸の「楼門」であったものを、明暦2年(1656)、 五代藩主「朽木稙綱」が櫓門に改築。 2階に「大太鼓」を置き、時を知らせたことから、 別名、「太鼓櫓門」ともいわれる。 |
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2011/2/1(10:19) 「本丸」側から見る「櫓門」。 本丸御殿は、明治17年(1884)火災により焼失。 後に、郡役所の建物が御殿跡に建てられるが、 昭和7年(1932)郡役所建物の移築時に、本丸は 整地され、現在の広場になった。 |
2011/2/1(10:19) 「東櫓」。 平成10年(1998)、土浦市立博物館の付属展示館と して復元される。 |
2011/2/1(10:21) 「霞門(市指定文化財)」。 |
2011/2/1(10:25) 「霞橋」から見る「東櫓」。 |
2011/2/1(10:30) 「土屋神社」。 明治31年、土屋家の個人所有地であった 「土浦城」を公園とする条件として、当時川口町 にあった「土屋神社」を、この場所に遷座したと いう。 |
2011/2/1(10:32) 「西櫓」。 昭和24年(1949)、台風の被害を受けた西櫓は、 翌年の昭和25年(1950)、復元するという条件で 解体され、長年の間復元されなかったが、 平成4年(1992)に復元される。 |