偕楽園

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2010/5/14(11:02)
「東門」から「偕楽園」の中に入る。
「偕楽園」は、
水戸藩第九代藩主「徳川斉昭
(烈公)
」が、自ら造園計画の構想を練り創設。
その趣のある造りは、日本三公園の一つに数えら
れ、梅の名所としても知られる。
なお、園内は「好文亭」を除き無料である。

2010/5/14(11:03)
「東門」を入り、右方向に「御成門」へ向かう。

2010/5/14(11:05)
周りの「梅の木」には実が付いていた。

2010/5/14(11:07)
「御成門」。
一旦、門の外に出て撮影。
2010/5/14(11:07)
「吐玉泉」の方向に向かう。
園内には、百種3千本の「梅の木」がある。
2010/5/14(11:16)
「吐玉泉」。
この湧水は、眼病に効くといわれ、「好文亭」の
中にある茶室「何陋庵」の茶の湯にも供されたと
いう。
2010/5/14(11:18)
「吐玉泉」を南に降りた所にある「池」。
左に写る「橋」は、「梅桜橋」。橋を渡った先は、「偕楽園」の「拡張部」と呼ばれ、「梅林」の他、「護国神社」「徳川博物館」等がある。
2010/5/14(11:28)
「好文亭中門」。
2010/5/14(11:31)
「好文亭」の中に入る。
「好文亭」は、水戸藩第九代藩主「徳川斉昭
(烈公)」の別邸として、また、藩内の人々と
偕(とも)に楽しむ場として建てられたという。
園内で唯一有料の施設であるが、小銭で入れる。
2010/5/14(11:33)
「菊の間」。
「調理室」として利用されていたとのこと。
2010/5/14(11:34)
「つつじの間」。
藩主夫人お付きの婦人たちの詰所として利用され
ていたとのこと。
2010/5/14(11:36)
「竹の間」。
明治6年まで「徳川斉昭(烈公)」夫人の
「貞芳院」が、住んでいたとのこと。
2010/5/14(11:36)
「梅の間」。
奥御殿中最も高貴な部屋で、明治以降、皇族
来亭の折に「休息室」として使われていたとの
こと。
2010/5/14(11:39)
「好文亭」1階で見る庭園。
2010/5/14(11:41)
「西塗縁」。
36畳の総板張りの大広間。ここで、詩歌の宴等が催されたとのこと。
2010/5/14(11:45)
3階「楽寿楼」から見る景色。庭園の向こうには「千波湖」が見えている。視界の良い日には、ここから「筑波山」等も見えるそうである。
2010/5/14(11:44)
「配膳用昇降機」。
1階の調理室で作られた「お膳」や「酒肴」等を
3階「楽寿楼」に運ぶための「滑車式昇降機」。
2010/5/14(11:51)
「好文亭」を出る。
2010/5/14(11:53)
「芝前門」。
「好文亭」を出た所にある。
2010/5/14(12:00)
「仙奕台」から見る景色。
2010/5/14(11:55)
「藤棚」 。
見事に満開であった。
「芝前門」を出て「青莪遺徳の碑」の近くに
ある。
2010/5/14(11:59)
「左近桜」。
「徳川斉昭(烈公)」夫人「登美の宮」が降嫁の
折に「仁孝天皇」から賜ったとされる「左近桜」
は、枯死してしまい。現在の桜は、昭和38年に
「京都御所紫宸殿」の「左近桜」から根分けされ
たもの。
2010/5/14(12:11)
園内には、「梅」の他にも、四季折々の見所が
あり、春は「桜」。初夏は「キリシマツツジ」。
真夏には「孟宗竹」や「杉林」。秋には「萩の
花」や「モミジ」等も見られる。

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