御巣鷹の尾根

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2010/11/8(9:47)
「御巣鷹の尾根新登山口」。
「御巣鷹の尾根」は、群馬県上野村高天原山の
尾根であり、説明の必要もないとは思うが、
1985年8月に日本航空123便が墜落。
死亡者数520名。単独機の航空事故では、
25年を経過した現在でも、世界最多の犠牲者を
出した航空機事故の現場である。
案内板には、「昇魂之碑」まで、距離800m。
高低差180mとある。

2010/11/8(9:48)
紅葉の時期であり、周辺の木々は黄色く
染まっていた。
旧登山口よりも、上まで車で入れるようになり、
往復の歩行時間は、旧登山口からの1時間30分
から半分程度にまで縮まったが、ここは一般の
登山道ではない。「慰霊登山」しか入山が許され
ていないコースである。

2010/11/8(9:51)
コースは、よく整備されており、雰囲気もよい。

2010/11/8(9:55)
石柱に「尾根まで750m」と書かれた
「水飲み場」を過ぎると、その先には、慰霊碑
「すげの沢のささやき」がある。
2010/11/8(9:56)
慰霊碑の近くにある案内図には、
日本航空123便墜落時のコースが
書かれている。
2010/11/8(10:00)
岩の下にある石柱には「尾根まで500m」と
ある。
2010/11/8(10:06)
「ベンチ」が並んだ場所まで来る。
写真左上の方向には、遺族のための「休憩所」と
「トイレ」がある。
2010/11/8(10:08)
「尾根まで240m」。
標識には、右に「すげの沢」。左に「昇魂之碑」
とある。
この先は、左右どちらに行っても、事故の中心地
である。
2010/11/8(10:09)
「昇魂之碑」に向かう。
「尾根まで240m」の地点を過ぎると、
坂の傾斜が増してくる。
2010/11/8(10:12)
場所を示す番号の書かれた標識の周りには、
複数の「墓標」が建てられている。
2010/11/8(10:17)
坂の傾斜は、増々急になっている。
この写真では見えないが、周囲には、いたる
ところに「墓標」が建てられている。
2010/11/8(10:19)
「昇魂之碑」前の広場に到着。
2010/11/8(10:20)
「昇魂之碑」。
2010/11/8(10:23)
「遭難者遺品埋設の場所」。
2010/11/8(10:24)
「御巣鷹茜観音」。
2010/11/8(10:25)
「1985年8月12日18時56分26秒
羽田発大阪行 日本航空123便
JA8119号機 ここに墜落
遺族これを建立す」とある。
写真には、「524」という数字が見えるが、
この数字は、乗員を含む全搭乗者数で、
内4名は奇跡的に生存した。
2010/11/8(10:29)
犠牲者520人全員の名前が刻まれた慰霊碑。
2010/11/8(10:32)
犠牲者の名前の中には、歌手「坂本九」の
名前もある。
「坂本九」は、芸名であるとともに、
生まれた時の本名であるが、両親の離婚により、
母方に引き取られたことで、姓が「大島」に
変わったという。
2010/11/8(10:39,10:43,10:46)
「昇魂之碑」より上は、地形が険しくなるとともに、建てられた「墓標」の数も多く、墜落事故の中心地であったことを窺わせる。
2010/11/8(11:09)
登った道を、10時8分に通過した場所まで戻り、
今度は「すげの沢」の方向に向かう。
2010/11/8(11:12)
この辺りで、特に多くの犠牲者が発見されたとは
聞いていたが、実際にこの場に立ってみると、
おびただしい「墓標」の数に身震いを覚える。
事故当時に、この「墓標」一本一本の場所に
「御遺体」があったことを思うと、この世のもの
とは思えない地獄図のようなものが想像され、
犠牲者の霊が、まだ辺りを彷徨っているように
すら感じてしまうのである。
2010/11/8(11:35)
「御巣鷹の尾根新登山口」に戻る。
この案内図では、「旧登山口」から「新登山口」
までの、「旧登山道」は、現在通行止めになって
いることが、書かれている。
2010/11/8(11:43,11:44,11:44)
「旧登山口」にて撮影。
写真中央は、旧登山口にある「御巣鷹観音」。右の石柱には「尾根(昇魂之碑)まで、2,030m。標高差500m」とある。
新登山口ができるまでの間、ご遺族の方は、この場所から標高差500mを歩いていたのである。
今回の「慰霊登山」で、改めて思うのは事故の悲惨さもあるが、それ以上に、ご遺族のご苦労である。バスすら通わないこの地まで来るのは、
首都圏からですら大変なことである。
登山口まで来れても、その先は大変な思いをして歩かなければならない。ましてや、ご遺族の方の多くが、ご高齢になっていることを思うと、
一生来れないという人も、少なくはないであろう。
世界最多の犠牲者を出した航空機墜落事故の現場。若い人にも、一生の内一度でいいから、自分の目で、この悲惨さを実感してほしいと思うのだが、
途中の道は狭く、乗用車のすれ違いすら困難な場所もある。また、登山口に止められる車の台数も少ない。
難しいお願いにはなるが、絶対に「ご遺族の方に迷惑のかからないよう」、心配りある「慰霊登山」をお願いしたい。

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