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2010/11/8(9:55) 石柱に「尾根まで750m」と書かれた 「水飲み場」を過ぎると、その先には、慰霊碑 「すげの沢のささやき」がある。 |
2010/11/8(9:56) 慰霊碑の近くにある案内図には、 日本航空123便墜落時のコースが 書かれている。 |
2010/11/8(10:00) 岩の下にある石柱には「尾根まで500m」と ある。 |
2010/11/8(10:06) 「ベンチ」が並んだ場所まで来る。 写真左上の方向には、遺族のための「休憩所」と 「トイレ」がある。 |
2010/11/8(10:08) 「尾根まで240m」。 標識には、右に「すげの沢」。左に「昇魂之碑」 とある。 この先は、左右どちらに行っても、事故の中心地 である。 |
2010/11/8(10:09) 「昇魂之碑」に向かう。 「尾根まで240m」の地点を過ぎると、 坂の傾斜が増してくる。 |
2010/11/8(10:12) 場所を示す番号の書かれた標識の周りには、 複数の「墓標」が建てられている。 |
2010/11/8(10:17) 坂の傾斜は、増々急になっている。 この写真では見えないが、周囲には、いたる ところに「墓標」が建てられている。 |
2010/11/8(10:19) 「昇魂之碑」前の広場に到着。 |
2010/11/8(10:20) 「昇魂之碑」。 |
2010/11/8(10:23) 「遭難者遺品埋設の場所」。 |
2010/11/8(10:24) 「御巣鷹茜観音」。 |
2010/11/8(10:25) 「1985年8月12日18時56分26秒 羽田発大阪行 日本航空123便 JA8119号機 ここに墜落 遺族これを建立す」とある。 写真には、「524」という数字が見えるが、 この数字は、乗員を含む全搭乗者数で、 内4名は奇跡的に生存した。 |
2010/11/8(10:29) 犠牲者520人全員の名前が刻まれた慰霊碑。 |
2010/11/8(10:32) 犠牲者の名前の中には、歌手「坂本九」の 名前もある。 「坂本九」は、芸名であるとともに、 生まれた時の本名であるが、両親の離婚により、 母方に引き取られたことで、姓が「大島」に 変わったという。 |
2010/11/8(10:39,10:43,10:46) 「昇魂之碑」より上は、地形が険しくなるとともに、建てられた「墓標」の数も多く、墜落事故の中心地であったことを窺わせる。 |
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2010/11/8(11:09) 登った道を、10時8分に通過した場所まで戻り、 今度は「すげの沢」の方向に向かう。 |
2010/11/8(11:12) この辺りで、特に多くの犠牲者が発見されたとは 聞いていたが、実際にこの場に立ってみると、 おびただしい「墓標」の数に身震いを覚える。 事故当時に、この「墓標」一本一本の場所に 「御遺体」があったことを思うと、この世のもの とは思えない地獄図のようなものが想像され、 犠牲者の霊が、まだ辺りを彷徨っているように すら感じてしまうのである。 |
2010/11/8(11:35) 「御巣鷹の尾根新登山口」に戻る。 この案内図では、「旧登山口」から「新登山口」 までの、「旧登山道」は、現在通行止めになって いることが、書かれている。 |
2010/11/8(11:43,11:44,11:44) 「旧登山口」にて撮影。 写真中央は、旧登山口にある「御巣鷹観音」。右の石柱には「尾根(昇魂之碑)まで、2,030m。標高差500m」とある。 新登山口ができるまでの間、ご遺族の方は、この場所から標高差500mを歩いていたのである。 今回の「慰霊登山」で、改めて思うのは事故の悲惨さもあるが、それ以上に、ご遺族のご苦労である。バスすら通わないこの地まで来るのは、 首都圏からですら大変なことである。 登山口まで来れても、その先は大変な思いをして歩かなければならない。ましてや、ご遺族の方の多くが、ご高齢になっていることを思うと、 一生来れないという人も、少なくはないであろう。 世界最多の犠牲者を出した航空機墜落事故の現場。若い人にも、一生の内一度でいいから、自分の目で、この悲惨さを実感してほしいと思うのだが、 途中の道は狭く、乗用車のすれ違いすら困難な場所もある。また、登山口に止められる車の台数も少ない。 難しいお願いにはなるが、絶対に「ご遺族の方に迷惑のかからないよう」、心配りある「慰霊登山」をお願いしたい。 |