鬼押出し

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2010/10/27(11:14)
「駐車場」から見る「鬼押出し園」。
写真に写る「石橋」の上に、「受付・入園口」が
ある。「石橋」の上に写る建物は、食堂、売店等
が入る「岩窟ホール」。
園内では、浅間山噴火による溶岩、高山植物等、
他では見れない景色を見ることができる。
なお、「鬼押出し園」は、冬期休園のため、
行かれる方は確認をお願いします。

2010/10/27(11:22)
「鬼押出し園」の受付を入った「岩窟ホール」の
近くにある「園内地図」。
「鬼押出し園」は、「浅間山」の北北東
約4.2km。「鬼押ハイウェー」に隣接する。
広さは、16万8千㎡。
標高は、園入口で1,322mある。
なお、「鬼押ハイウェー」の反対側には、
「花木園(園内地図の右下部分)」があり、
浅間高原の自然林を観賞することができるが、
今回訪れていないため、本ページでは、
紹介していない。

2010/10/27(11:23)
「岩窟ホール」前の広場を直進。
「浅間山観音堂」へと続く「裏参道」を歩く。
「浅間山観音堂」までの距離は、約410m。

2010/10/27(11:28)
「浅間山噴火記念碑」。
嬬恋村大笹名主の黒岩長左衛門大栄の「再びある
かもしれない大爆発の被害を少しでも小さくなる
ように」との志を引き継いだ子長左衛門により
文化13年(1816)建立。碑文は、当時江戸の歌人
太田蜀山人。
2010/10/27(11:31)
「裏参道」左手の売店横には、お土産物の
「鬼の魔よけ」が置かれていたが、この「鬼」
怖いどころか、まことに可愛らしい。
2010/10/27(11:41)
「浅間山観音堂」が見えている。
2010/10/27(11:34)
「鬼押出し園」一帯に広がる溶岩。
天明3年(1783)4月から始まった浅間山の噴火活動は、7月に入り最高潮に達し、ついに7月8日午前10時頃、火炎が数百メートルの高さまで
吹き上がる大噴火となる。この噴火による溶岩の規模は、火口から北方へ約5.5km。幅800m~2kmといわれ、「鬼押出し園」一帯に広がる溶岩は、
この時の「鬼押溶岩流」によるものである。
注:写真は、180度を超える角度の範囲を写したもので、左右別々に見える道は、どちらも「裏参道」で、実際は、ほとんど直線状に延びた道である。
 また、雲の中で、ほとんど見えていないが、写真中央辺りに「浅間山」がある。
 写真横のサイズは、1,930ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。
2010/10/27(11:43)
溶岩の間から生える草木も紅葉していた。
2010/10/27(11:44)
「鐘楼堂」。
昭和35年建立。「浅間山観音堂」の前にある。
2010/10/27(11:47)
「浅間山観音堂」にかかる橋。
2010/10/27(11:48)
「浅間山観音堂」の前にある「お地蔵様」。
2010/10/27(11:48)
「浅間山観音堂」。
東叡山寛永寺の別院で、「聖観世音菩薩」を祀る。
大噴火の犠牲となった霊を供養するために、
昭和33年建立。
天明3年(1783)の大噴火による鎌原村(現吾妻郡
嬬恋村鎌原)の犠牲者は477人。
生存者は93人だったという。
2010/10/27(11:49)
「浅間山観音堂」から見る、園入口方向の景色。
「浅間山観音堂」は、「鬼押出し園」の
ほぼ中央付近にある。
2010/10/27(11:53)
「お休み処」。
園内の休憩所は、噴火時の避難所(シェルター)
を兼ねている。
2010/10/27(11:53)
「浅間山観音堂」から「高山植物観察コース」を
歩き「奥の院参道」に向かう。
2010/10/27(11:53)
「表参道」から「浅間山観音堂」「裏参道」と、
周るコースは、「標準コース」と呼ばれ歩く人も
多いが、「標準コース」を一歩外れると、
人の数は減り、のんびりとした散策が楽しめる。
2010/10/27(11:54)
まだ、10月下旬だというのに、何日か前に
降った雪が溶岩の上に残っている。
2010/10/27(11:56)
「高山植物観察コース」を右に見送り、
「奥の院参道」を歩く。
2010/10/27(11:58)
「炎観世音」。
昭和47年奉安。
2010/10/27(11:59)
「奥の院」。
屋根の下に、白く見えるのが「炎観世音」。
2010/10/27(12:08)
「奥の院参道」を、更に西に向け歩く。
2010/10/27(12:10)
「奥の院見晴台」が見えている。
2010/10/27(12:11)
「奥の院見晴台」は、園内で「浅間山」を
一番近くで見れる場所なのだが、この日の
「浅間山」は雲の中で全く見ることができない。
2010/10/27(12:12)
「奥の院参道」を戻り、今度は「高山植物観察
コース」にある「高山コース見晴台」に向かう。
2010/10/27(12:18)
「浅間山」噴火時の避難場所を兼ねた「休憩所」
は、園内各所にある。
2010/10/27(12:24)
「奥の院参道」も終わりに近づき、もう少しで
「高山コース見晴台」という辺りで見かけた
「奇岩」。
2010/10/27(12:26)
「高山コース見晴台」。
写真ほぼ中央の山は、日本百名山の一つである
「四阿山」。
2010/10/27(12:27)
「高山コース見晴台」にある「供養塔」。
昭和45年建立。
これも、天明3年(1783)「天明大爆発」の犠牲と
なった霊を供養するために建てられたという。
2010/10/27(12:29)
「高山コース見晴台」からパノラマで見る景色。
地元「嬬恋村」をはじめ、展望に恵まれた日であれば、「北アルプス」「谷川」「日光男体山」などが望めるという。
注:写真は、横が1,332ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。
2010/10/27(12:30)
上のパノラマ写真と同じ方向を、カメラを少し下に向けて撮影。
この辺りを、溶岩が幅広く流れたことが分かる。
2010/10/27(12:35)
「水盤舎」。
途中「ヒカリゴケ自生地」を通り、「裏参道」に
出て、再度「浅間山観音堂」を通り、今度は
「表参道」を「水盤舎」まで来る。
この「水盤舎」は、「徳川家水盤舎」を模して
おり、昭和47年建立。
この場所は「浅間山」と「観音堂」を結ぶ直線上
にあることから、園内の「パワースポット」と
呼ばれている。
2010/10/27(12:37)
「表参道」から見る「岩窟ホール」と「惣門」。
「表参道」は、「浅間山観音堂」から、「岩窟
ホール」前の広場までで、距離は約510m。
注:写真では目立たないが、「岩窟ホール」の
右に写っている赤い建物が、「惣門」である。
2010/10/27(12:40)
「浅間山鬼押出之碑(左)」と
     「厄除観世音碑(右)」。
この2つの碑は、「惣門」の隣にある。
2010/10/27(12:41)
「惣門」。
天和2年(1682)東叡山寛永寺に建立された勧学寮
(学問所)の表門を、昭和41年(1966)に
改修移築。
「惣門」の左右にある「二天尊像」は、元々
寛永寺にある五代将軍綱吉公霊廟に造営された
「二天門」のために造立されたものを、
昭和42年(1967)「浅間山観音堂」内に移築。
その後、昭和62年(1987)「惣門」の左右に
安置された。
2010/10/27(12:43)
園内を一回りし、「岩窟ホール」前の広場に
戻る。
2010/10/27(12:54)
「鬼押出し園」の入園口を出たところで見る
「浅間山」。
「四阿山」方向の空は青いのに、「浅間山」は、
この日最後まで雲に覆われ、美しい「浅間山」の
姿を見ることはなかった。

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