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2010/10/27(11:28) 「浅間山噴火記念碑」。 嬬恋村大笹名主の黒岩長左衛門大栄の「再びある かもしれない大爆発の被害を少しでも小さくなる ように」との志を引き継いだ子長左衛門により 文化13年(1816)建立。碑文は、当時江戸の歌人 太田蜀山人。 |
2010/10/27(11:31) 「裏参道」左手の売店横には、お土産物の 「鬼の魔よけ」が置かれていたが、この「鬼」 怖いどころか、まことに可愛らしい。 |
2010/10/27(11:41) 「浅間山観音堂」が見えている。 |
2010/10/27(11:34) 「鬼押出し園」一帯に広がる溶岩。 天明3年(1783)4月から始まった浅間山の噴火活動は、7月に入り最高潮に達し、ついに7月8日午前10時頃、火炎が数百メートルの高さまで 吹き上がる大噴火となる。この噴火による溶岩の規模は、火口から北方へ約5.5km。幅800m~2kmといわれ、「鬼押出し園」一帯に広がる溶岩は、 この時の「鬼押溶岩流」によるものである。 注:写真は、180度を超える角度の範囲を写したもので、左右別々に見える道は、どちらも「裏参道」で、実際は、ほとんど直線状に延びた道である。 また、雲の中で、ほとんど見えていないが、写真中央辺りに「浅間山」がある。 写真横のサイズは、1,930ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。 |
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2010/10/27(11:43) 溶岩の間から生える草木も紅葉していた。 |
2010/10/27(11:44) 「鐘楼堂」。 昭和35年建立。「浅間山観音堂」の前にある。 |
2010/10/27(11:47) 「浅間山観音堂」にかかる橋。 |
2010/10/27(11:48) 「浅間山観音堂」の前にある「お地蔵様」。 |
2010/10/27(11:48) 「浅間山観音堂」。 東叡山寛永寺の別院で、「聖観世音菩薩」を祀る。 大噴火の犠牲となった霊を供養するために、 昭和33年建立。 天明3年(1783)の大噴火による鎌原村(現吾妻郡 嬬恋村鎌原)の犠牲者は477人。 生存者は93人だったという。 |
2010/10/27(11:49) 「浅間山観音堂」から見る、園入口方向の景色。 「浅間山観音堂」は、「鬼押出し園」の ほぼ中央付近にある。 |
2010/10/27(11:53) 「お休み処」。 園内の休憩所は、噴火時の避難所(シェルター) を兼ねている。 |
2010/10/27(11:53) 「浅間山観音堂」から「高山植物観察コース」を 歩き「奥の院参道」に向かう。 |
2010/10/27(11:53) 「表参道」から「浅間山観音堂」「裏参道」と、 周るコースは、「標準コース」と呼ばれ歩く人も 多いが、「標準コース」を一歩外れると、 人の数は減り、のんびりとした散策が楽しめる。 |
2010/10/27(11:54) まだ、10月下旬だというのに、何日か前に 降った雪が溶岩の上に残っている。 |
2010/10/27(11:56) 「高山植物観察コース」を右に見送り、 「奥の院参道」を歩く。 |
2010/10/27(11:58) 「炎観世音」。 昭和47年奉安。 |
2010/10/27(11:59) 「奥の院」。 屋根の下に、白く見えるのが「炎観世音」。 |
2010/10/27(12:08) 「奥の院参道」を、更に西に向け歩く。 |
2010/10/27(12:10) 「奥の院見晴台」が見えている。 |
2010/10/27(12:11) 「奥の院見晴台」は、園内で「浅間山」を 一番近くで見れる場所なのだが、この日の 「浅間山」は雲の中で全く見ることができない。 |
2010/10/27(12:12) 「奥の院参道」を戻り、今度は「高山植物観察 コース」にある「高山コース見晴台」に向かう。 |
2010/10/27(12:18) 「浅間山」噴火時の避難場所を兼ねた「休憩所」 は、園内各所にある。 |
2010/10/27(12:24) 「奥の院参道」も終わりに近づき、もう少しで 「高山コース見晴台」という辺りで見かけた 「奇岩」。 |
2010/10/27(12:26) 「高山コース見晴台」。 写真ほぼ中央の山は、日本百名山の一つである 「四阿山」。 |
2010/10/27(12:27) 「高山コース見晴台」にある「供養塔」。 昭和45年建立。 これも、天明3年(1783)「天明大爆発」の犠牲と なった霊を供養するために建てられたという。 |
2010/10/27(12:29) 「高山コース見晴台」からパノラマで見る景色。 地元「嬬恋村」をはじめ、展望に恵まれた日であれば、「北アルプス」「谷川」「日光男体山」などが望めるという。 注:写真は、横が1,332ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。 |
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2010/10/27(12:30) 上のパノラマ写真と同じ方向を、カメラを少し下に向けて撮影。 この辺りを、溶岩が幅広く流れたことが分かる。 |
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2010/10/27(12:35) 「水盤舎」。 途中「ヒカリゴケ自生地」を通り、「裏参道」に 出て、再度「浅間山観音堂」を通り、今度は 「表参道」を「水盤舎」まで来る。 この「水盤舎」は、「徳川家水盤舎」を模して おり、昭和47年建立。 この場所は「浅間山」と「観音堂」を結ぶ直線上 にあることから、園内の「パワースポット」と 呼ばれている。 |
2010/10/27(12:37) 「表参道」から見る「岩窟ホール」と「惣門」。 「表参道」は、「浅間山観音堂」から、「岩窟 ホール」前の広場までで、距離は約510m。 注:写真では目立たないが、「岩窟ホール」の 右に写っている赤い建物が、「惣門」である。 |
2010/10/27(12:40) 「浅間山鬼押出之碑(左)」と 「厄除観世音碑(右)」。 この2つの碑は、「惣門」の隣にある。 |
2010/10/27(12:41) 「惣門」。 天和2年(1682)東叡山寛永寺に建立された勧学寮 (学問所)の表門を、昭和41年(1966)に 改修移築。 「惣門」の左右にある「二天尊像」は、元々 寛永寺にある五代将軍綱吉公霊廟に造営された 「二天門」のために造立されたものを、 昭和42年(1967)「浅間山観音堂」内に移築。 その後、昭和62年(1987)「惣門」の左右に 安置された。 |
2010/10/27(12:43) 園内を一回りし、「岩窟ホール」前の広場に 戻る。 |
2010/10/27(12:54) 「鬼押出し園」の入園口を出たところで見る 「浅間山」。 「四阿山」方向の空は青いのに、「浅間山」は、 この日最後まで雲に覆われ、美しい「浅間山」の 姿を見ることはなかった。 |