一ノ倉沢

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2010/10/8(11:58)
「マチガ沢」。
「一ノ倉沢出合(旧道)」に向かう途中で、
「マチガ沢出合(旧道)」から見る。

2010/10/8(12:04)
「一ノ倉沢出合(旧道)」。
狭いが駐車場あり。トイレ等の設備も整って
いるが、週末等は「谷川岳登山指導センター下」
から先、マイカーの乗入が規制されていることが
多いので、車でお出かけの場合は事前確認が
必要である。

2010/10/8(12:05)
「一ノ倉沢出合(旧道)」で、「一ノ倉沢」を
見上げる人たち。
写っている人の大きさから、この景色の大きさを
想像していただきたい。

2010/10/8(12:07)
「一ノ倉沢出合(旧道)」から見る「一ノ倉沢」。
上の方は霧で隠れているが、怖さを覚えるほどの迫力は、この写真でも伝わるものと思う。
注:写真は、横が1,288ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。
2010/10/8(12:10)
この地方の方言で、岩や岩壁のことを「クラ」と
呼ぶ。谷川連峰随一の岩場であることから
「一ノ倉」と名付けられたとある。
2010/10/8(12:10)
「駐車場」に隣接する「トイレ」では、「太陽光
発電システム」で発電された電力が利用されて
いる。
2010/10/8(12:24)
「土合駅」の近くには「遭難慰霊碑」等を集めた
「土合霊園地」と呼ばれる場所がある。
写真は、水上町長の依頼により「今東光」が、
山に眠る人々へのことばとして書いた「寂静」。
2010/10/8(12:24)
昭和12年(1937)に「水上村」と「水上山岳会」
により建てられた慰霊塔。
2010/10/8(12:25)
遭難者の名前が刻まれた「過去碑」。
昭和6年(1931)最初の遭難者から年代順に遭難者
の名前が刻まれている。
2010/10/8(12:25)
「土合霊園地」は、広い公園のような場所で、
「谷川岳山開き」等もこの場所で開催される。
2010/10/8(12:25)
谷川岳の開拓者「中島喜代志氏」の足跡を
讃える碑。
2010/10/8(12:27)
「谷川岳のドクトル碑」。
谷川岳のドクトル「石川先生」は、登山者の多い
休日には必ず山に入り、登山者の世話をしたと
ある。
2010/10/8(12:27)
「山の鎮の像」。
作者の彫刻家「長沼孝三」は、知人のご子息が
谷川岳で遭難したのを悼み、霊を慰めるため
「山の鎮の像」を制作。昭和59年の豪雪により
倒壊したが、昭和60年に復元される。

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