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2010/10/8(12:07) 「一ノ倉沢出合(旧道)」から見る「一ノ倉沢」。 上の方は霧で隠れているが、怖さを覚えるほどの迫力は、この写真でも伝わるものと思う。 注:写真は、横が1,288ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。 |
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2010/10/8(12:10) この地方の方言で、岩や岩壁のことを「クラ」と 呼ぶ。谷川連峰随一の岩場であることから 「一ノ倉」と名付けられたとある。 |
2010/10/8(12:10) 「駐車場」に隣接する「トイレ」では、「太陽光 発電システム」で発電された電力が利用されて いる。 |
2010/10/8(12:24) 「土合駅」の近くには「遭難慰霊碑」等を集めた 「土合霊園地」と呼ばれる場所がある。 写真は、水上町長の依頼により「今東光」が、 山に眠る人々へのことばとして書いた「寂静」。 |
2010/10/8(12:24) 昭和12年(1937)に「水上村」と「水上山岳会」 により建てられた慰霊塔。 |
2010/10/8(12:25) 遭難者の名前が刻まれた「過去碑」。 昭和6年(1931)最初の遭難者から年代順に遭難者 の名前が刻まれている。 |
2010/10/8(12:25) 「土合霊園地」は、広い公園のような場所で、 「谷川岳山開き」等もこの場所で開催される。 |
2010/10/8(12:25) 谷川岳の開拓者「中島喜代志氏」の足跡を 讃える碑。 |
2010/10/8(12:27) 「谷川岳のドクトル碑」。 谷川岳のドクトル「石川先生」は、登山者の多い 休日には必ず山に入り、登山者の世話をしたと ある。 |
2010/10/8(12:27) 「山の鎮の像」。 作者の彫刻家「長沼孝三」は、知人のご子息が 谷川岳で遭難したのを悼み、霊を慰めるため 「山の鎮の像」を制作。昭和59年の豪雪により 倒壊したが、昭和60年に復元される。 |