「アプトの道」のページは、3部構成になっています。
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2010/9/11(6:56) |
2010/9/11(6:57) |
2010/9/11(7:02) |
2010/9/11(7:07) 「アプトの道」には、「キバナコスモス」が 咲いていた。 |
2010/9/11(7:08) 「碓氷峠鉄道文化むら」の「屋外車両展示場」に 沿って進む。 |
2010/9/11(7:11) 「側溝」には、アプト時代の「ラックレール」が 再利用されている。 |
2010/9/11(7:11) 「招魂碑」と「鎮魂碑」。 「招魂碑(右)」は、「アプト式鉄道」建設工事に伴う、 500名にもおよぶ犠牲者の慰霊のため、 当時建設されたが、経年から路傍の片隅で寂しく 眠っていたものを、ここに移転。 「鎮魂碑(左)」は、信越線廃止に当たり、 「交通機関建設に関わり殉職された方、 思わぬ災害や交通事故に遭遇し尊い命を失った 人達を慰霊するために建立」とある。 |
2010/9/11(7:19) 左は、元信越本線下り線の線路跡で、 現在は、「碓氷峠鉄道文化むら」の トロッコ列車が走る。 右が、信越本線上り線の線路跡地を整備した 「アプトの道遊歩道」。 アスファルトで舗装されているが、急勾配による レールの重さで、今でも年間数ミリ、レールに ズレが生じるそうである。 |
2010/9/11(7:29) 「上信越自動車道」の下を横切る。 |
2010/9/11(7:36) 「旧丸山変電所(国重要文化財)」。 碓氷線(横川-軽井沢間)は、日本で唯一の 「アプト式」で、日本一の急勾配(66.7‰)。 その上、日本で最初に電化された区間でもある。 この「丸山変電所」は、明治45年、当時まだ アプト式であった鉄道の電化の際に建設された 施設で、写真手前(横川側)には、列車が上り 勾配にかかるときに必要な電力を補うための 「蓄電室」。奥(軽井沢側)には、「回転変流器」と 「変圧器」を収容する「機械室」がある。 廃墟同然であったが、「アプトの道」整備に伴い、 平成12~14年にかけて修復された。 |
2010/9/11(7:51) 「霧積川橋梁」。 「森村誠一」の長編推理小説「人間の証明」で、 映画、テレビドラマ化もされたことで、有名になった 「霧積温泉」は、この下を流れる「霧積川」の 上流にある。 |
2010/9/11(7:58) 信越本線上り線の線路跡地とも、ここでお別れ。 この先、信越本線下り線の下を潜り、「峠の湯」に 向かう。 上の写真の左上には、うっすらと「峠の湯」の 建物が写っている。 |
2010/9/11(8:01) 天然温泉「峠の湯」。 写真の看板には、「碓氷峠の森公園交流館」と 書かれている。 「横川駅」から、ここまで約2.7km。 これが、きついと思われる方は、「トロッコ列車」を 利用するか、車でここまで来ても良い。 「トロッコ列車」は、途中の「まるやま駅」で、 一時停止するため、「旧丸山変電所」をバックに 記念撮影することもできるので、お勧めである。 |
2010/9/11(8:02) ポイントを右に行くと、信越本線の下り線。 先にも線路が続いているが、小さく写る白い看板が、 「この先立入禁止」の標識である。 左は、アプト式の旧信越線であるが、すぐ先には、 トロッコ列車の終点「とうげのゆ駅」があり、 駅の先の線路は取り外されている。 |
2010/9/11(8:07) 「白秋の歌碑」。 トロッコ列車の終点「とうげのゆ駅」の先で、 国道18号(旧道)を潜ると、その先左側にある。 |
2010/9/11(8:07) 「第1号トンネル」。 「めがね橋」までの間には、5つのトンネルを 潜る。 |
2010/9/11(8:09) 「第1号トンネル」は、ちょっと長く出口が 見えない。 |
2010/9/11(8:14) 「第1号トンネル」を抜け、少し歩いたところで 見る「妙義」の山々。 |
2010/9/11(8:16) 「第2橋梁」。 登山靴を履いていたので、少しだけ降りてはみたが、 道があるわけではない。草に足を捕られたり、 滑ったりしたら大変である。また、途中見かけた 注意書きには「草の中には、まむし、山ヒル、 スズメバチがいます!」とあったので、 マネはなさらない方がよいであろう。 |
2010/9/11(8:20) 「第2号トンネル」。 このトンネルは短かったように記憶する。 |
2010/9/11(8:25) 「碓氷湖(坂本ダム)」。 一周20分(1.2km)程で、湖を一周することが できる。 詳しくは、「アプトの道(碓氷湖)」のページで 紹介しています。 |
2010/9/11(8:32) 右に写る休憩施設には、数人が座れるほどの ベンチがあり、「中尾小屋」と書かれていた。 |
2010/9/11(8:33) 再び、国道18号(旧道)の下を潜る。 |
2010/9/11(8:35) 「第3号トンネル」。 第3~5号トンネルは、連続している。 写真をよく見ると、「第3号トンネル」の中に 「第4号トンネル」が見え、「第4号トンネル」の中には、 小さく「第5号トンネル」の右半分程が見えている。 |
2010/9/11(8:36) 「第3号トンネル」の中を歩く。 |
2010/9/11(8:41) 「第4号トンネル」を抜けたところで、振り返り、撮影。 背中側にある「第5号トンネル」は、 中で左にカーブして出口が見えず、ちょっと長い。 |
2010/9/11(8:45) 「第5号トンネル」の出口。出口の先が明るく、 肉眼でも先の様子が見えなかったが、出口の先は 「第3橋梁(通称:めがね橋)」の上である。 |
2010/9/11(8:53) 「めがね橋」の先にある階段を下りる。 |
2010/9/11(8:58) 下に降り、国道18号(旧道)から見る「めがね橋」。 「めがね橋」の詳細は、「アプトの道(めがね橋)」の ページで紹介しています。 |
2010/9/11(9:05) 階段を登り「めがね橋」の上に戻る。 橋の上は、意外と広く柵があるため、 恐怖感は、全くない。 |
2010/9/11(10:12) 「峠の湯の表玄関側」。 「めがね橋」から、ここまで戻るのに、 時間を要したのは、途中で「碓氷湖」の周りを のんびりと、歩いて一周していたためである。 (この様子は、「碓氷湖(坂本ダム)」のページで 紹介しています) 「峠の湯」の表側は、「碓氷峠鉄道文化むら」同様、 「めがね橋」を模したレンガ造りである。 |
2010/9/11(10:21) 帰りは「トロッコ列車(シェルパくん)」を 利用することにした。 ちょっと高めの料金だが、この「トロッコ列車」は、 「碓氷峠鉄道文化むら」の乗り物であり、 「碓氷峠鉄道文化むら」の入場料が含まれている。 |
2010/9/11(10:50) 「碓氷峠鉄道文化むら」に到着。 最大65‰の、このトロッコ路線で、普通客車と トロッコ風客車の2両の客車を、 上りでは後ろから押し上げ、 下りでは先頭で支えるのは、 碓氷峠専用として2両だけ製造された 保線用ディーゼル機関車「TMC-500A」である。 |
2010/9/11(11:03) 「碓氷峠鉄道文化むら」の「屋外車両展示場」。 展示されている先頭の車両は、左から「EF30-20」、「EF58-172」、「EF53-2」、「EF63-1」、「EF80-63」、「D51-96」。 なお、「碓氷峠鉄道文化むら」では、小遣いにしては少し高額なのだが、会社勤めでも手が出せる範囲の金額を支払い、 学科講習を受ければ、本物の碓氷峠専用電気機関車(EF63)を運転することができる。 また、鉄道模型「碓氷峠ジオラマ」、HOゲージ模型(約100両)の展示や、HO・Nゲージ模型の運転体験コーナー等もあり、 「碓氷峠鉄道文化むら」は、全国の鉄道ファンが集う場所となっている。 注:写真は、横が1,690ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。 |
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2010/9/11(10:54) 「鉄道展示館」。 平成9年の廃線時まで、実際に使用されていた 「研修車庫」。 この奥には、アプト式電気機関車「ED42」も、 展示されていたのだが、熱烈な鉄道ファンとは いえない私は、気づかずに通り過ぎてしまった。 |
2010/9/11(11:11) JR信越本線「横川駅」。 信越本線群馬県側の終点になってしまった 「横川駅」であるが、有名な「横川の釜めし」は、 今でもここで、売られている。 最高勾配66.7‰の碓氷峠を越えるため、 ここを通過する全ての列車が、EF63形を 2両1組とする補助機関車の連結/切り離し作業を、 この「横川駅」で行っていた。 このための長い停車時間を利用して 売られていたのが「横川の釜めし」である。 |
2010/9/11(11:15) 平成9年9月まで使用されていた 「EF63-3号」機関車の動輪。 JR信越本線「横川駅」の前に展示されている。 |