芝山古墳群
(殿塚・姫塚)

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2011/2/22(9:54)
「殿塚・姫塚」にある説明版。
芝山古墳群は、千葉県成田市から南東に延びる
県道62号線(通称:芝山はにわ道)周辺にあり、
本ページで紹介する「殿塚・姫塚」を含め、
大小13基の円墳からなる関東有数の古墳郡は、
「中台古墳群」とも呼ばれ、国の史跡に
指定されている。

2011/2/22(10:07,10:08)
県道62号線(通称:芝山はにわ道)の「殿塚・姫塚」入口にある標識と埴輪。
埴輪は、左から「馬子」「馬」「ひげの老人A」とある。
「殿塚・姫塚」は、昭和31年(1956)早稲田大学による発掘調査により、
「葬列はにわ」がほぼ完全な形で出土。
「形象埴輪」の配列の意味を知ることのできる最初の発見になったことで知られる。
「殿塚・姫塚」から出土した「埴輪」などは、ここから1.5km程北北東の「芝山公園」にある
「古墳はにわ博物館」と「観音教寺」内の「芝山ミューゼアム」に展示されている。

2011/2/22(9:56)
「殿塚(前方後円墳)」の全景。
「殿塚」は、全長88m、高さ13m。幅が54m。二段の周溝をもつ「前方後円墳」である。
写真は、左方が「後円部」。右方が「前方部」。石室は後円部南側(写真左側奥)に設けられていたという。
2011/2/22(9:50)
下から見る「殿塚(後円部)」。
2011/2/22(9:52)
「殿塚(後円部)」の上から見る「前方部」。
2011/2/22(9:53)
「殿塚(前方部)」の上から見る「後円部」。
2011/2/22(9:57)
「姫塚(前方後円墳)」の全景。
「姫塚」は、「殿塚」の北側に30m程離れたところに位置し、大きさは殿塚より一まわり小さく、全長58m、高さ6m。
写真は、左方が「前方部」。右方が「後円部」。石室は横穴式で、前方部南側(写真左側手前)に設けられていたという。
2011/2/22(9:59)
「姫塚(後円部)」の上から見る「前方部」。
2011/2/22(9:59)
「姫塚(前方部)」の上から見る「後円部」。
2011/2/22(10:01)
下から見る「姫塚(後円部)」。

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